第5話 ハチのおとり調査

 その日の夕方から、ハチはさいわい横町のはずれのラーメン店の横に座り始めた。

 昼はまだまだ暑いくらいだが、夕方からは少々肌寒くなる。できるだけ汚れた毛布を持ち込んだハチは、それにくるまるようにして粗末な椅子に座っていた。

 手にはカードサイズに畳んだポータブルスクリーン。物乞いをする子供のふりをするわけだが、昔のように紙幣やコインで寄付をするわけにはいかないから、ポータブルスクリーンに表示した口座に金銭を受け取るというわけだ。


 ラーメン屋の店主はハチを知っているし、何より何をしているのかを説明してあるので、時々ハチに水をくれたりする。ハチは「ありがと」と笑って受け取る。


 それ以外の時間はひたすら無表情にポータブルスクリーンを眺めるだけだ。


 僕と福はハチが見える位置の美容院の外壁に並んで立っている。薄暗いとここはあまり見えないのだ。時々交代しながら、僕と福はハチを見張る。


 ハチはかわいらしい少年なので、何も知らない人々が哀れんで寄付をすることがある。そんなときハチは悲しそうにうなずき、うつむいたような格好をする。何だか人生全てに打ちのめされた可哀想な子供に見える。

 実際は小遣いが増えて喜んでいるだけなのだが。


 夜の九時。そろそろやめようかというときに男が一人、ハチの元に近づいた。


「君、BLANCにいた子だよね」


 八幡沈香だ。一気に不穏さが増す。子供に興味を示す怪しいやつだというのは福も知っているらしい。僕の横で双眼鏡を持って身を乗り出す。


「可哀想にねえ。お母さんは? お父さんは?」


 八幡はいかにも気の毒そうに顔を近づける。何だか度を超した近づき方だ。


「いない」


 ハチが答えると、八幡は、はあ、とため息をつく。


「ダリルさんは君の生活を全面に見てくれてはいないの。はあ、可哀想に」


 八幡はハチのポータブルスクリーンに自分のそれをかざした。ハチの目が開いた。相当な額が入ったらしい。


「これでおいしいご飯でも食べなさいね」


 八幡はそう言い残すと、さいわい横町の外へと去っていった。


 そろそろ十時だ。人通りはまだ途絶えないが、そろそろハチの体力を考えてやめることにした。

 ハチは少し眠そうで、僕らにポータブルスクリーンを見せて「もうかった!」と笑った。見ると、三つ星ホテルに一泊できる程度の額の金が入っている。福はハチを背負うと、「よかったな」と言った。色々と話しながらも、ハチはすぐに眠り込んだ。

 赤ん坊のような顔だ。彼は福に背負われたまま福の居住スペースであるBLANCの二階に連れて行かれた。普段は福の部屋で寝ているのだ。


 ダリルは店で忙しそうにしている。僕に気づくと話しかけてきた。


「何かわかった?」

「まだ始めたばかりだからね。何にも」

「八幡さんは話しかけてきた?」

「うん」

「やっぱりね」


 ダリルは顔をしかめてうなずいた。よほど八幡のことが信用できないらしい。僕は不思議に思っていたことをダリルに聞いてみる。


「あの人お金どうしてるんだろう。宿無しなんだろ?」

「ああ、何でも何かのアドバイザーをやってるらしいよ。宿無しは定住している家がないってだけ」

「ふうん。金は持ってるんだね」

「俺、見たことあるぞ」


 カウンターの端の客が話しかけてきた。ほら、角谷メロウ、とこの間も話題になった美容専門家の名前を出し、こう続ける。


「八幡は角谷メロウの家によくいて、出てくるところをよく見る。あの角谷は気味のわりいあの白マスクをつけてたんで顔は見てねえが、八幡を送り出してるのを見たぜ」


 それは意外だ。八幡と角谷メロウに関係があるとは。ちょうど福が降りてきたのでそのことを話す。福は軽くうなずき、


「じゃあ、明日は角谷メロウの家のほうも見てみよう」


 と言う。これからしばらく夕方からは今日と同じハチのおとり調査の見張り、夜は怪しい人物の調査をするらしい。なかなかにハードだ。


「今回ばかりは殺しの匂いがしないから難しいんじゃないかい?」


 僕がからかうように言うと、福は煙草をふかしながら答えた。


「人を殺そうと思ってるやつのことは、何となくわかる」

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