3.親切な誘拐

第1話 戦争についてのキーワード・ハチと夜の街をさまよう

「また行くの? いい加減になさい!」


 祖母の妙に通るアルトの声が玄関に響きわたる。僕は顔をしかめてわざとらしく耳を手でふさぐ。

 今日もさいわい横町に行こうとしていたのだ。一段低くなったたたきにピカピカの革靴を小気味よく置いて、さあ出かけようというときにこれだ。

 玄関を見渡せる位置に設置されたスチュワート・カメラが僕と祖母を見ている。管理しているのはAIだが、何かが起こると人間の管理者に映像が行くシステムだからこういう事態になると何となく心許ない、少し不愉快な気分になる。


 人間の使用人を抱えていた過去の時代の富裕層は、どういう心理状態でいたんだろう。プライバシーの全くない状況でストレスを感じたりしなかったのだろうか。

 僕は家に気にくわない他人がいるだけで耐えられないのだが。


 祖母はさいわい横町の人々の気の毒さを滔々と解く。貧しい生まれの彼らは僕をうらやみ、嫌な気分になるかもしれない、云々。

 僕が退屈しているのに気づくと、今度はあの場所の危険さを大袈裟なほどに強調する。近頃は貧しい人々を誘拐して体に損傷のある富裕な人物の脳を移植するという違法な医者がいる、最近も一人逮捕されたがまだまだこの手の悪人ははびこっている、あなたも巻き添えを食って体を奪われるかもしれない、云々。

 うんざりしてきた。今されているこれはこのところの恒例となっている。僕はもう二十四歳だ。自分の行動を子供のようにとやかく言われるなんて、窮屈だし、イライラするだけだ。


「わかったわかった。もういいよ。僕だって大人だ。自分が危険な場所に通ってるのはわかってる。

 さいわい横町の人々と交流して、彼らの人となりや彼らの人生も理解したつもりだ。僕はそういうのをわかったつもりで彼らと仲良くしたいんだ。

 彼らは何というか……僕とは異質な美しさがある。僕は知りたいんだよ、その美しさの理由を」


 僕は祖母のようによどみなく反論した。これで満足だろう、というか満足ではないのはわかるけど放っておいてくれ、と思いながら祖母を見ると、こめかみを押さえていて、どうやら頭痛がしているらしい。


「お祖母ちゃん、具合が悪そうじゃないか。ベッドに行って休んだほうがいい」


 僕は祖母を抱えてしめしめと思う。こうして親切な孫を装って寝かしつけてやれば、しばらくは僕の夜の遊びに文句を言ったりはしないだろう。


 祖母は足取りも弱々しい様子で歩きながらぶつぶつと言う。


「本当にあなたは私のことを恨めしく思ってるのね!

 あのころ孤児たちを診るというのがどんなに大仕事なのかわかってないんだわ。シラミのたかった子、寄生虫のいる子、元々持病のある子、たくさんいたのよ。

 色んなものを見てしまったせいで精神を病んでしまった子、自殺した子……。死んだ子供を見つけること、その子の周りの子の心のケア、本当に大変なのよ。

 私にできるのは彼らの世話。食べ物や洋服をあげたり、母親の代わりをしてあげたり。その間あなたの世話をできなくてもあなたには十分な環境があったじゃない」


 僕は黙って彼女を寝室のベッドに横たわらせる。彼女は変わらず繰り言のように何かを言っている。


「そうは言うけどさ、お祖母ちゃん」


 僕は無理に彼女の言葉を切る。


「十二歳の子供が、親と妹を亡くして呆然としているときに、同い年ぐらいの大勢の子供を診ると言って外に飛び出す祖母の背中を見送るのは辛いものがあると思うよ。あのころ僕はいつもお祖父ちゃんの仕事に連れて行ってもらってた」


 祖母は黙った。僕もだ。二十四歳の大人、か。ちっとも大人らしくない。ティーンネイジャーみたいなことを言っている。


 あの日のことを思い出す。

 僕の十二歳の誕生日、両親と妹は父の愛車で出かけた。それから戻ってきたのは穴だらけの死体だ。

 街中で強盗に撃たれたとのことだった。あの日の血なまぐさい臭い……。僕はしばらく精神的に不安定になった。誰もいない部屋をうろついたり、一睡もできなくなったりした。それから出かけていく祖母を追いかけて、僕は……?


「あなたの心の傷は知っているつもりよ」


 祖母は労るように言う。僕は考え込んでいる。重要なことを思い出したのだ。


「あなたの家族は仲がよかったものね。わかるわ。でも……」

「もういいよ。罪悪感からやってるんだろ? 僕らは不当に裕福で……」


 考え事を続けるために話を終わらせようとして、ふと、祖母の表情に気づいた。何かびっくりしているようだった。見たことのないような祖母のシンプルな驚きの表情に、僕は違和感を抱く。

 どの言葉だ? 「不当に裕福」? 「罪悪感から」?


 祖母は自分の表情に気がついたのか、目を逸らした。頭痛は酷くなっているようだった。顔をしかめている。


「まあゆっくり寝ててよ。今は仕事もリタイアしてるんだからさ」


 僕は廊下に続くドアのノブを握って笑顔を作る。祖母は追いすがろうとするかのようにベッドから出ようとしたが、僕は素早く家から抜け出した。


 夜だ。輝かしき夜。さいわい横町がにぎわう夜。福が活動するぬばたまの夜。金木犀の匂いがする。僕は新月のはずの明るい街に繰り出した。


 罪悪感。これがキーワードだ。僕は大きな謎の尻尾の先を摘んだらしい。

 多分、これは戦争における謎を解き明かすキーワードだ。




 BLANCはすでに開店していた。カウンター席もテーブル席もいっぱいだ。酒の匂い。ウイスキーやブランデーなどの洋酒も多く並ぶが、ここには焼酎に清酒、ビールのような庶民的な酒もある。

 様々なカクテルの匂いが充満し、それを上回る酒のアテの匂いもする。少し香ばしいような、イカを醤油で煮たもの、焼いた鶏肉にマヨネーズの和えをかけたものなどが荒々しい客たちの前に置いてある。

 どっちかというと一人飲みの居酒屋に近い。


 ダリルが忙しそうに店を回している。目の前の客のセクハラそのもののジョークに豪快に笑いながらも、他の客の連れの女の子が注文したややこしいカクテルをシェイカーで作っている。

 僕の相手をする暇はないらしい。福はいないものかときょろきょろと見回すが、カウンターの中でポータブルスクリーンのゲームをやっているハチが目に入る程度だ。

 ハチは唇を尖らせて体を震わせ、何かうまくいったらしく時々「っしゃ!」とつぶやいては夢中になっている。こういうときだけは子供らしいなと思う。


「ハチー、邪魔だよ。どっか行きな」


 ダリルが低い声でハチに注意する。


「えーっ、今いいとこなのに……」

「暇人は外に行きな。椅子はもうないよ」

「あるじゃん、ここに」


 ハチが自分の尻の下にあるスツールを示す。


「その椅子はもらう」


 ダリルが半ば無理矢理にスツールを奪い、ポータブルスクリーンを持って立ち尽くすハチの前でカウンターの椅子に加えた。あっという間に次の客が座る。


「アランと一緒に外に行ってきな。もう涼しいでしょ?」


 僕も? と言う暇もなくダリルが僕とハチを外に押し出した。

 にぎわうさいわい横町の真ん中に、僕らは立っている。人々の笑う声、喧嘩けんかめいた太い声、女の子たちの嬌声きょうせい。目の前を水商売らしい女の子連れの中年男が歩いていった。

 女の子は目一杯媚びている。腕にからみつき、にこにこ笑い……。僕らの世界ではありえない光景だ。びない女のほうが僕らの世界では価値がある。そのほうが高級で美しいと思われている。

 地位と制度とテクノロジーに守られていない女の子たちは、一気に媚びる人間にちる。それが力の弱い人間の生きる術だと知るまでは、異文化を楽しむつもりで面白がっていたものだ。


 そんな思考はハチの一言で破られた。


「あーあ、今からアランのお守りかよ」


 ぼくは大いに驚く。僕は大人だが?


「君、そんなちっちゃな体で僕のお守りだって? 僕だってそんな落ちぶれちゃ……」


 僕の横を通り過ぎた男からハチが何かを盗み取った。僕に差し出されたそれは、僕のネクタイピンだった。大きなルビーがはまった品で、当然ながら高価な品だ。


「まさに今スられてたぜ。取り戻した。気をつけろよな」


 全く、と呆れたように僕を見上げる。僕は面目を失ったままやけになって歩き出す。隣を歩くハチに、僕は話しかける。


「福はいないんだな」

「また福かよー」


 ハチは僕のことを哀れむように見上げる。僕はいつものように福の所在を聞こうとしただけだが……。


「アランは福をえらく気に入ってるんだな。何か理由でもあるわけ? 俺が気づいたときにはアランはすでに店に入り浸りだったけど」


 僕は考えていたことをずばりと当てられたような気分でハチを見下ろした。ハチは子供とはいえ頭の回転が速い。今考えていることは、福にまず報告したいことなので今は言わないでおこう。僕が福に執着するわけを。


「話は変わるが、ハチはどうして店にいつもいるんだい? 福やダリルの子供のようには見えないけど」


 僕らは場末のラブホテルの前に並んで立ち、壁に寄りかかっている。娼婦らしい女の子と筋骨隆々の荒々しい歩き方の男が中に入っていく。実にさいわい横丁周辺らしい感じだ。


 僕の、質問を誤魔化すための何気ない質問は、ハチの顔を無表情にした。しばらく黙って、僕が後悔し始めた辺りでハチは言った。

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