第8話 容疑者たちの過去
「事件は一人の男性が一人の若い女性に刺殺された、『眠ったままの殺人』として起こりました。
両者は眠りながらにして殺され、眠りながらにして殺人を起こしました。いや、起こさされた――というのが正しいでしょう。女性は意識がなく、操られながら人を刺し殺してしまったのだから」
福は視線を窓の外に移した。それからダリルのほうを見た。ダリルは強張った顔のまま話を聞いている。
「事件はまず、お三方の過去を起因とします。まずは前田猫さん。あなたは十代からアメリカに住み、優秀なシステムエンジニアとなられた。毎日を忙しく過ごし、故郷である日本を思い出すことなどなかった。
そのころ世界的なニュースとしてWCWRが第三国のテロ組織リーダーを殺害したり、ハッキングによって大国の不都合な事実をさらしたりしていて、アメリカに代わる新しい世界の警察のような扱いを受けている、というものがありました。
そのころの若者はWCWRを支持し、タトゥーの彫り師は様々に工夫したWCWRの頭文字を客の皮膚に彫って、売り上げを上げていました。
あなたも同じように、そのタトゥーを彫りました。WCWRをよい組織だと思っていましたからね」
前田は唇を噛みしめて自分の足下を見つめながら腕を組んでいる。反論する様子はない。
「しかし二一三〇年――、あなたが二十五歳のときに転機が起きる。日本が攻撃を受け、戦争となったのです。
どうやら中米を拠点とした組織が、大規模な軍事ロボットや潜水艦を海底や海上を移動させ送り込んできて、飛行機やドローンを用いて空襲を繰り返していました。それら軍備はどれも最新鋭で、二百年近く戦争から遠ざかっていた日本は、なすすべもなく壊されてしまいました。
その組織がWCWRだとわかったのは半年後、そのあとには世界各国から掃討作戦が行われ、WCWRは消滅しました。それを知って、あなたはひどくショックを受けました」
前田は震えながら拳を見つめていた。誰かを殴ろうとしているのではなく、震える体を押さえつけようとしているためのようだった。見た目にそぐわない震える声で話し始める。
「俺は、正しいものを信じてるつもりだった。単純に、正義の味方を信じる子供みたいな気持ちでいた。二十五歳にもなってな……。
俺が信じた正義の味方は意味のわからない戦争を仕掛け、戦争は俺が捨てた故郷を滅茶苦茶にした。罪悪感でいっぱいだった。日本で、何かいいことがしたかった。過去の罪を、少しでもきれいにしたかった」
「それが、この施設にやってきた理由ですね」
「そうだ」
前田は充血した目で福を見た。福はかすかに目を細めて微笑んだ。
「次に、坂之上テオさんは、戦前経営されていた江戸川区の介護施設を破壊されたため、戦後この施設を始めた。
坂之上さんは犯罪行為をやけに嫌われますね。そして警察のことが大嫌いだ。その理由として過去にあったことが挙げられます――」
坂之上は福を見つめている。その目に見えるのは、全くの無だ。
「坂之上さんの本名は坂之上テオではないのです。本当の坂之上テオさんは戦争中に亡くなられています。今ここにいる坂之上さんは、全くの別人だ」
前田と露木が信じられない顔で坂之上を見た。坂之上は、ちょび髭をいじりながら、悲しそうに微笑んだ。
「江戸川区の介護施設を経営していた坂之上は、私の上司です。私は一介の介護士に過ぎませんでしたな」
「どうして入れ替わりを?」
福が聞くと、坂之上は予行練習でもしていたかのようなはっきりとした態度と言葉でこう言った。
「戦争は全てを壊しました。私の知り合いはほとんどが亡くなり、軽く容貌を変えて坂之上テオと名乗れば、皆簡単にだまされました。
場所を変え、客層を変えた介護施設をすると、過去の知り合いに会うことは滅多になくなりました。会ったとしても、戦争によって怪我をして整形したなどと言って、顔の変わった坂之上テオとして振る舞えばいいんですからね!
私は犯罪行為に手を染めていました。覚醒剤の密売人をやっていたのです」
やっと気づく。福が僕たちに見せた不良青年の写真には、坂之上を思わせる小柄な男が写っていた。戦後すぐも、そのような犯罪に手を染めていたのだろう。
坂之上は続ける。
「警察から逃れるには、別人になるしかありませんでした。坂之上テオとして振る舞ううち、私はかつての坂之上のような『正しい人間』であることが大切だと思うようになりました。
正しい人間は犯罪をしない。この施設で殺人が起きたことは、耐え難いことでした。警察は、若いころと変わらず大嫌いでしたけどね」
「それであなたは前田猫さんが犯人だと思い、ことをはっきりさせようと思った」
福が言うと、前田が驚いたように坂之上を見た。坂之上は前田をじっと見て、
「君は床に落ちていたドコイルを隠して、何事もなかったように元の場所にしまった。そうだろう?」
と問いつめた。
「ちょっと待てよ、施設長。俺は――」
「ドコイルはいくつでした?」
福が割り込んで聞いた。前田は動揺したように、
「四つだ。二人分」
と答えた。
「本当に?」
「ほ、本当だ」
と、そのときだった。低い声で露木が言った。
「前田さん、そういうのいいから」
彼女は疲れ切った顔で、前田を見ずにダリルを見ていた。ダリルは――、何だか悲しそうだった。
「私をかばう必要はないから。ドコイルは二つ、一人分だったでしょ?」
かばう? つまり――。それにドコイルは坂之上だけが一人分だと言っていた。
つまり、ドコイルについて嘘をついていたのは、前田と露木の二人だということになる。前田は露木をかばって嘘をついていた?
「でも、露木さん」
「日本で人がたくさん殺されたのはあなたのせいじゃない。私が戦争で家族を喪って十四歳で娼婦になったのも、あなたのせいじゃないから」
その場がしん、と冷え切った。ダリルの目から涙がつうっと流れていた。福は、冷静な表情でこう言った。
「私が代わりに説明しても?」
「どうぞ」
露木は少し離れた三人掛けの椅子の端に座って足を組んだ。壁をじっと睨み、僕らの話を聞こうとしていた。
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