第6話 坂之上テオ・僕とハチの推理

 一階に降りて、僕のスポーツカーに福とともに乗り込みながら坂之上に挨拶をする。坂之上はご機嫌だった。福とあれこれ話し、大きくうなずいては笑う。


「坂之上さん、少しお聞きしても?」


 福が微笑んだ。坂之上が笑ってうなずく。


「戦前も介護施設を?」

「ええ。こんな風に富裕層向けの施設ではありませんでしたが……。江戸川区で小さな老人ホームをやっていました」

「戦争は全てを変えてしまいましたね」

「ええ、そうですね」

「あなたの人生はよくなりましたか? 悪くなりましたか?」


 奇妙な質問をする。戦争後に人生がよくなったなんて、少なくとも人前で言えることではない。たとえ成功者になったのだとしても。


 坂之上の表情は奇妙だった。笑っているのに、目は遠くを見ている。


「……言いかねますね」

「もう一つ聞きます。ドコイルは本当にあった?」

「前田が持っていましたから。それは確かです」

「いくつありましたか?」

「一人分でしたね。前田が持っていた片方のピースと、血の海である床に落ちていたもう片方のピース。つまり左右のピースがひとセットです。見たのはそれだけですな」

「ありがとうございます。また伺いますね」


 福は微笑みを浮かべ、坂之上に手を振った。坂之上は機嫌よく手を振り、僕らを見送った。


 一体全体、どういうことだ? 福はドコイルの数を確認し、何かに気づいている。僕はわくわくし始めた。


 きっと、またすごい結果になるぞ。




 BLANCに戻って、僕はいつものようにハチとダリルを前に説明を開始した。


「容疑者はおそらく三人。前田猫と露木翡翠、それから坂之上テオ。三人とも事件当日現場となった施設にいた。そのとき出勤していたのも、現場にいたのもこの三人だ。

 血の海を発見した若い介護士は数に入れなくていいだろう。怖がって中には入らなかったらしいから。

 三人とも戦後に人生が変わったみたいだったな。そりゃあ多くの人はそうだ。でも、果物ナイフで被害者をメッタ刺しにした冷田山吹が意識を持っていた説も考えられるよな」


 僕が言うと、カウンターの中でコップの水を飲み干したあと、ハチがうなる。


「それは難しいんじゃない? 脳波を測定されたら意識があるかないかはすぐわかる」

「そのときだけ意識が戻ったとか」

「ああ、あるかもしれないね。じゃあ、冷田山吹の失恋の相手って、殺された田辺桂だってことかもしれないな。四十五歳のおっさんに恋する二十三歳、大いにあり得るよ、今の時代」

「今の時代?」


 僕が聞くと、ハチは「よく見る」と言った。


「例えば夜の仕事をしてる女たちは、家族に恵まれないやつが多いんだ。それは男だってそうなんだけどさ、体を売ってる女たちは自分の人生を託したい相手と出会いやすかったりする。

 そうすると売春がガチの恋愛になっちまって、ずぶずぶとハマったまま抜け出せなくなっちまう。父親の愛と混同しちまうんだな」


 僕は呆れてハチを見つめる。ハチはきょとんと僕を見つめ返し、「何だよ」と口を尖らせる。


「君はませすぎだ。そんなに大人の事情に精通しすぎると、将来恋愛ができなくなるぜ」


 ハチは嫌悪に満ちた顔で、


「やめろよ。恋愛なんて俺はしねえもん」


 と声変わりすら始まっていない声で返す。


「福が聞いて回ったドコイルの数の問題もある。前田は二人分あったと言った。露木はひとつもなかったと言った。坂之上に関しては一人分だけあったと言った。全員バラバラだ。これ、どういうことなんだ? 教えてくれ、福」


 僕は客席で黙って話を聞いている福を振り返って問う。福はただただ煙草をふかすばかりだ。


「無駄だよ。福はこういう質問に答えたりしない。俺たちが会話してるのを聞くことで、この事件が世間一般からはどう見えるのかを探ってるんだよ」


 ハチが頬杖をついて言う。僕は改めて驚き、この時間の意味をようやく知った。


「なら福、僕たちの会話は役に立ってるのかい?」


 僕が聞くと、福は一通り吸い終えた煙草を灰皿でにじって消し、


「まあな。特に冷田山吹に意識があるという考え方は面白かった」


 と答えた。ハチが残念そうに聞く。


「じゃあ冷田山吹の説はなし?」

「そうだな。冷田山吹は同級生の男に振られて自殺を図ったそうだから」


 驚いて福の手元のポータブルスクリーンを覗きに行くと、金持ちばかりを狙う有名なゴシップ誌の紙面と、種々様々なSNSの画面がごちゃごちゃと並んで表示されていた。


「冷田山吹が自殺を図ったことについての記事だ。

 振った相手だとされる二つ年上の御曹司にインタビューをしているが、この相手は本気で何も知らないな。

 ゴシップ誌は信用ならないが、ヒントにはなる。この紙面を共有しているSNSのアカウントを覗いてみると、本当の失恋の相手が見えてくる」


 見ると、冷田山吹が若い、一見誠実そうに見える男と共に収まっている写真、やりとりしたSNSの記録などがいくつかのアカウントから暴露されている。

 どうやら彼女の自殺を図った本当の理由は、「同級生の恋人に振られたあとリベンジポルノをされたこと」らしい。彼女のあられもない姿の写真がいくつも流れている。残酷なことだ。


「えぐいね。やっぱ恋愛なんてするもんじゃねえな」


 ハチが覗き込みながら言うので、僕は慌てて彼の目を覆った。


「というわけで、冷田山吹は加害者ではなく被害者だ。関節パルス連動システムを悪用して彼女を操り、田辺桂を殺害した本当の犯人がいるってことだ」


 今日の福は妙にしゃべる。そして、もう一つ気になっていることがある。ダリルが一言もしゃべらないのだ。BLANCに帰ったときは興味津々だったのに、僕が説明を始めたときから急にスクリーンで恋愛映画を観始めて、こちらに全く興味を示さない。

 もしかして、容疑者の中に知り合いがいる……?


「例えば坂之上テオの戦前勤めていた施設。確かに坂之上テオという人物が施設長をしていたが、その情報は何もかもあやふやだ。写真も、その施設の情報も今はわからない。

 露木翡翠が年齢を偽って勤めていた茨城の親類の工場、それも戦争の影響で潰れてもうない。彼らは戦争のために自分の身分を偽り放題だ。

 前田猫の経歴だけが本人の言葉と合っていそうだ。英語訛りとタトゥーは、すぐに用意できるものじゃない。

 頼りになるのは、ドコイルの数だ。それによってすべてが決まる。患者を操る関節パルス連動システムに位置情報を送るドコイルは何に使われたのか、いくつなら今回の結末を導き出せるのか」


 僕は少し考える。もしドコイルが二人分なら、前田猫が怪しいだろう。事細かに被害者と加害者を操り、うまく殺せるだろう。

 もしかしたら他の二人もできるかもしれないが、動きをやめる瞬間の加害者を抱き止めていた露木翡翠は関節パルス連動システムを止めることが不可能だ。

 でも、前田猫は何故二人分と言った? 自分が不利になる。まあ正直なのかもしれないが、そういうタイプには見えない。


 もし一人分なら、加害者のみがそれをつけていて、被害者はつけていないということが考えられる。加害者を動かし、ベッドに寝ている被害者を刺した。

 でも、被害者は床に倒れていたはず。加害者が落とすにしても、眠っている女の子にそんな力があるか? だとすると、これは難しいか。

 じゃあ坂之上はどうしてわざわざ一人分と言った?


 何もなかったなら。被害者と加害者を滅茶苦茶に動かして、刺すという手もあるかもしれない。

 動かし続けて犯行を成し遂げたとして、露木翡翠が加害者を抱き止めている最中に動きが止まったというから、露木は被害者じゃないかもしれない。

 でも、じゃあ何故他の二人はドコイルがあったと証言したんだ?


「誰かが嘘をついてるんだよな。それも二人。共謀しているのか、それとも誰かが犯人をかばって嘘をついているのか」


 ハチがまた妙に鋭いことを言い出す。確かにそうだ。本当のことを言っているのは一人だけ。それが誰なのかを考えればいいのかもしれない。


 そうやってうんうんうなっていると、福がポータブルスクリーンを広げ、僕とハチにある写真群を示した。


「さっき戦後の東京の写真を見ていて、いくつか興味深いものを見つけた」


 それは焼野原の写真だ。どこなのかわからない。不良青年たちの写真、孤児たちの写真、若い娼婦たちの写真……。どれもこれも群衆を写している。

 戦後の写真の中に、何かヒントがあるらしい。じっと見ていると、あっとハチが声を上げた。それから急に黙った。そろそろとダリルを盗み見、気まずい顔をする。


 何だ? ダリルがこの事件に関係あるっていうのか?


 福は僕を見て新しい煙草を吸いながら、笑った。


「俺はもう結論が出た。明日またカーサ・デル・ボスクに行って坂之上施設長たちに説明するつもりだ。アラン、一緒に行くか?」


「あ、ああ……」


 福の様子が変なので、おかしな返事をしてしまった。何かを企んでいる? でも、何を?


「ねえ」


 声がして振り向くと、ダリルがようやく僕らに話しかけたところだった。目はスクリーンに向けられながらも、彼女は僕と福にはっきりとこう言った。


「あたしも行っていい?」


 僕が驚いていると、福は微笑んで、


「もちろん」


 と答えた。


「俺はバイクで行こう。ダリルはアランに乗せてもらうといい。アランの車は二人乗りだから」


 ダリルは無表情に映画を見つめ続けている。ハチと僕だけが意味不明で、ハチは頬杖をついたまま首をかしげていた。

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