第5話 露木翡翠

 第一発見者の介護士である露木翡翠ひすいは、とても美しい女だった。

 施設長は彼女を若いわりに有能だと誉めていたが、なるほど、三十歳前後だが、きびきびとした動きで信用ができそうな雰囲気だった。

 気も強そうだ。おかっぱにした髪を耳にかける仕草が少し色っぽい。


「施設長、何かご用ですか?」


 九階と同じく患者の居室の階である八階で部屋の見回りをしていた彼女は、僕らを見て怪訝な顔をした。


「何、君に聞きたいことがあるんだよ。この人たちはかの有名な小野寺グループ会長のお孫さんの小野寺アランさんと、そのご友人の探偵、遊部福さんだ」


 露木は困ったような顔で僕たちを見る。


「今巡回の最中なんですが……。どうしても今でなければならないですか?」

「しばらく待つことならできますよ」


 福が微笑むと、露木は真顔のまま、


「わかりました。少々お待ちください。十分ほどで終えますので」


 と答え、行ってしまった。坂之上は自慢そうに、


「ほら、仕事熱心で立派でしょう」


 と言う。愛娘まなむすめを自慢するかのようだ。


「簡単に露木さんの経歴をお聞きしても?」


 福が聞く。坂之上は少し考え、覚えている限りのことですが、と前置きして話し始めた。


 露木は十五年前の戦争のとき、十四歳だった。

 台東区のねじ工場をやっている両親と祖父母、弟と六人暮らしだったが、戦争が全てを変えてしまった。

 ある日の空襲で工場は焼け、家族も全て失った。彼女はそのときたまたま新宿で友人と会っていたため、彼女一人が助かってしまった。


「それから部品会社で年齢を偽って働き、介護士の資格を取ってうちに来たそうです。あのころは身分を偽るのは簡単でしたからな。今のように電子身分証明書が必要でもないし」


 坂之上が説明し終わるころ、露木が現れた。

 とても落ち着いていて、ベテラン介護士というのも間違いない感じだ。探偵に質問されようとしているのに、こんなに冷静なのも珍しい。

 露木は僕らを休憩室のソファーに案内すると、きびきびと聞いた。


「それで、聞きたいことというのは」


 福が申し訳なさそうな顔をし、こう切り出した。


「申し訳ありません。あなたの身の上は、先程坂之上オーナーからお聞きしました。大変な人生を歩まれたんですね」


 露木の表情が少し歪んだ。泣きそうにも、怒っているようにも見えた。


「私も家族を失い、孤児として一人生きてきました。渋谷駅の地下道などで仲間と皆で支え合って」


 露木の表情が同情的なものに変わった。


「あなた、若そうだけど何歳?」

「二十五歳です」


 福は身分証を表示したポータブルスクリーンを見せた。


「大変だったね。あのころ孤児ってたくさんいたから……。生き延びたのはすごいよ」

「私もそう思います。露木さんも、一人で生き延びるのは大変だったでしょう」


 彼女の表情がぴくりと違う表情を見せそうな反応を見せたが、また元に戻った。


「まあね。茨城に親類を頼って働いてたの。家族みたいに頼れる人がいないってのは、本当に大変だよ」

「そうでしょう」

「探偵ってことはこの間のことを聞きたいんでしょう?」


 福が本当に恐縮しきっているように見える様子でうなずいた。露木は微笑んで説明してくれた。


「田辺様の部屋に行って、血塗れになった冷田様を抱き留めたの。冷田様が果物ナイフをぎゅっと握って取れなかったから、ちょっと怪我しちゃった」


 と、右てのひらの裂傷を見せてくれた。かなりよくなってはいたが、おぞましいほどはっきりと切られていた。


「で、突然冷田様の動きが止まって、ぐにゃっとなったからしっかり抱えて床に下ろした。可憐な女の子なのに、こんなことになって大変だよね」

「冷田さんや亡くなられた田辺さんは本当に意識がない?」

「私にはわからない。普段の介助のときは本当に意識があるみたいに動くしね。でも、二人とも直前までいつも通りだったよ」

「ドコイルはありましたか? 補聴器のようなものが落ちていたと証言がありましたが」


 露木は顔をしかめて考えていたが、


「ばたばたしてたからわからないな。ドコイルはなかったと思うよ」

「一つも?」

「一つも。普段使うドコイルが全部揃ってることはスタッフが確認してるし、その場にはなかったはずだと思うけど。だってあったら警察が持ってくでしょ?」


 露木の顔は冷静そのものだった。

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