第4話 前田猫
坂之上はまず、先程と同じ屋上へとエレベータを進めた。
相変わらずガラスの壁の向こうにいる植物状態の金持ちたちは狂乱のありさまだが、先程入れなかった同じくガラス張りのスペースに、人がいることにようやく気づいた。
無精ひげを生やして少し長い髪をハーフアップにし、気だるげにコンピュータをいじっている中年の男、前田
坂之上は前田に軽く手を挙げて合図をすると、ガラスのドアを開いて中に僕らを案内した。
「何だあ? 何か用ですか、施設長。その連中は一体何なんです?」
前田はやや苛立った様子で僕らを一人一人ねめつけた。特に福のことが気にくわないらしく、ずいぶん
「こちら、宇宙開発事業で有名な小野寺グループ会長のお孫さんである、小野寺アランさんだ。さあ、前田君、挨拶をして」
僕が笑って軽く会釈をしても、前田は全く動かず腕を組んで椅子にふんぞり返っているだけだ。僕は気まずいまま、へらへら笑って前田に話しかけた。
「この関節パルス連動システムを開発したのはあなたなんですってね。大したものだ」
前田は不機嫌な顔のまま微動だにしない。坂之上が眉をひそめる。
「前田君、失礼だよ」
「いきなり仕事中に何です? この金持ちの坊ちゃんが一体何だって言うんだ? そしてそいつは何なんだ?」
前田は福をずばりと指さした。福は目を見開き、それから微笑んで見せた。前田が気味悪そうに顔をしかめる。
「初めまして。私は遊部福と申します。私のことを説明する前に、少しお聞きしたいことがあります」
「何だ」
「前田猫さん、あなた、アメリカにおられましたか?」
前田の顔色が変わった。坂之上が両者を見比べ、口を挟む。
「前田はずっと日本でシステムエンジニアをしていたという話ですが。履歴書にもしっかりと日本の中小のIT企業名が並んでおります」
福は唇を噛みしめたまま椅子に座った前田を、微笑みながら見下ろす。
「あなたのら行は特徴があります。『連中』の『れ』が独特だ。英語のLの発音は上の歯の付け根に舌をつけて喉の奥から出し、Rは下の歯に舌を近づけて巻き舌気味に出します。
対して日本語のら行は『連中』のように語頭にあるら行音はRよりも奥のほうで舌を巻いて発音するんですね。つまり日本語のら行は英語のLともRとも違う。
あなたのら行ははっきりとせず、ごまかすような音で発音されていた。英語圏にいた方に多いんですよ」
「それで? どうして英語圏の中でもアメリカだと思った?」
今度は前田が立ち上がって福を見下ろした。前田は背が高くて筋肉質だ。日本人の中でも平均的な身長で細身の福は圧倒されるかのような体格差だ。
それでも福は全く威圧される様子を見せず、微笑んだ。
「そのタトゥー」
福は前田の黒いTシャツに隠れていたシンプルなアレンジのアルファベットを指さした。
「それ、二十年前に流行したWild Children's War Republicの頭文字ですよね? それがその当時そのデザインで流行ったのは、アメリカのロサンゼルス周辺のみなんですよ。彫り師が同じ人物でね……」
驚いてよく読むと、WCWRとしっかり彫られている。前田はそれを隠すように腕を組み直すと、
「探偵か」
と聞いた。福はにっこり微笑んだ。
「しっかりIDも持っている探偵です。お話を伺っても?」
前田はいくつかある大きな画面上を物理キーボードやイメージキーボードで操ると、坂之上のほうを向いた。
「施設長、しばらく話をしてきても? 患者さんのことを任せておきます」
「わかった」
坂之上は入れ替わるように椅子に座り、画面を操作し始めた。途端に、ガラスの壁の向こうの患者たちは理解の
「……施設長の前で言われるのは困るんだよな」
僕たちは屋上のエレベータ前にある、
「どうしてアメリカにいたことを隠してたんです?」
僕が聞くと、前田はあごひげをいじって首をひねった。
「とっさの嘘だな」
今度は僕が首をひねるほうだ。アメリカで、おそらくシステムエンジニアをやっていたのだ。日本よりもその分野が進んでいるその地で身につけたその技術を、日本の企業でアピールして就職に役立てるという考え方のほうが自然な気がするが、この男にとってはそうではないらしい。
「関節パルス連動システムの精度、あれはとても素晴らしい。あなたはかなり有名な企業にも勤めていたんじゃないですか? どうしてこの施設の一人エンジニアに?」
と聞いたのは福だ。僕は驚いたが前田もそうだ。福をじっと見据えると、うなずいた。
「そうだ。何て言うかな……。日本が戦争でボコボコにされて、焼け野原になって……、何とか役に立ちたいと思ったんだ。それでアメリカから帰ってきた。
アメリカ帰りのSEの俺がその身の上を明かしてうまく立ち回るというのは、ありだとは思った。でも、それだと家をなくしたり家族を失ったりしたこの国の人々を愉快にしない気がした。
それで、とっさに嘘を書いてしまったんだな」
僕は少し驚いた。前田という男の意外性は、出会った瞬間の不愉快な態度のせいで、とんでもなく大きなものとなっていた。
「この施設を選んだのは、どうして?」
福が聞く。前田はうなずき、
「オーナー兼施設長が面白いことを考えたんでね。それを実現したら、いずれ戦争で障害を負った誰かの役に立つと思ったんだ」
「それが関節パルス連動システム?」
「そうだ」
「あなたは――自在に患者を動かせる?」
福は微笑んで彼に聞く。前田は目を丸くし、
「おいおい、俺が疑われてるのかよ」
と動揺した顔を見せる。
「でも、ああ、そうだよな。そう疑われても仕方ない。あの日、俺は確かに施設にいたし、患者を自在に動かせた」
「あの、先程あなたがいた小部屋で操作すれば患者は自在に動く?」
「まあ、そうだけど」
「関節パルス連動システムにはドコイルがついて回るはず。この事件にはドコイルが何らかの形で関係していると私は思っています。何かご存知で?」
前田は視線をさまよわせながら黙っている。
「あのとき部屋にドコイルはいくつありましたか?」
福が聞くと、前田は唇を噛んでいた。何かを考えている様子だった。
「四つ――二人分だ」
「わかりました。あなたがそのうちひとピースを拾ったことはわかっています。そのピースはどこへ?」
「……まだ使えると思ってドコイルの置き場にしまった」
「全てのピースを、ですよね」
「ああ」
前田の顔色が悪い。
「わかりました。ありがとうございます」
福は微笑んで礼を言うと、素早くその場を去ろうとした。僕も慌ててついて行く。
「あいつが犯人じゃないのか?」
「それはあとで話し合おう」
僕はちらりと前田を振り返った。ひどく青ざめた男は、両手を拳にして震わせていた。
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