第3話 容疑者たち・事件現場
ここのエレベータはスタッフだけが使用できるようになっているらしい。
もちろん患者や家族も乗るものだろうが、スタッフがいちいち社員証をかざしてから階数ボタンを押しているから、要人や金持ちの家族を守る仕組みはしっかりしていると言える。
坂之上は僕らを乗せてから社員証をかざし、九階に降りた。今時のエレベータだからあっという間に着く。
ふわっと開いたドアからは、真正面に看護師や介護士の詰め所兼受付があり、捜査中らしい警官たちがいた。廊下の右側に立ち入り禁止のテーピングがされ、どうやら来てはいけない場所だったらしい。早速警察に囲まれた。
「九階には誰も通さないようにと言いましたよね? どういうことですか?」
ごつい顔と体つきの警察官が坂之上と僕と福を囲んで威圧する。坂之上は平気な顔で、
「私が雇った探偵の方です。あなた方より早く事件を解決してくれると思いましてね」
とどう考えても癇に障るような言い方をする。二人の警察官は僕と福をじろりと見ると、
「我々警察も日々努力しております。鑑識と科学捜査の結果はお知らせしたはずですが?」
と坂之上に言う。坂之上は、
「くだらん! 結果は何も出なかったじゃないか」
とぴしゃりと答えた。どうやら今回は鑑識も科学捜査も手に負えなかったらしい。福の表情も興味深げだ。
「とにかく、五分でいいからこの探偵の方に現場を見せてくれ。私は早く事件を解決してほしいんだ」
坂之上が言うと、警察官の中でも一番年かさに見える男が、口を歪めて言った。
「やれるもんならやってみろ。被疑者風情が偉そうに」
坂之上はじろりとその警官を見た。福は無表情だ。僕は坂之上が容疑者の一人だという事実に、少し驚いていた。だからこんなに焦っているのだろうか?
「行きましょうか、探偵さん」
坂之上は途端に柔らかい口調になり、僕らを誘導して右の廊下へと向かっていった。
「全く今の警察はなっていない。科学捜査の技術が進んだとはいえ、それが事件の手がかりにもならなかったら何にもならない。
おまけにあの態度! 戦争前だったらありえなかった……。ねえ、探偵さん」
坂之上はすっかりお気に入りになった福を振り返って聞く。福は苦笑して見せ、
「そうですね。警察は戦争前と比べてかなり乱暴になったと聞きます。
当時はコンプライアンスだとか人権だとか、世間から厳しく見られていたようですからね。治安が悪くなった今の時代、乱暴にならざるを得ないのでしょう。
まあ私は戦争の当時は十歳でしたけどね……。警察が昔どうだったかを肌で知らないんです」
と答えた。坂之上は驚いたような反応を見せる。
「何と! 意外に若くていらっしゃるんですね。今時の若い人は幼いうちに戦争を経験しているからか、落ち着いていて大人びているのだろうな。小野寺さんよりずっと年上かと」
「僕は彼より一つ下ですね」
僕が横から言うと、坂之上は僕のほうを見ずにうなずいた。
「今時の若い人は感心だ。うちの介護スタッフの
今ではこの施設のリーダー業務をやってますよ。すっかりベテランです」
「その露木さんというのはいつからここに?」
福が聞くと、坂之上は大きくうなずき、
「ここが八年前に開業したときからのスタッフです。すっかり頼られておりましてな。態度も堂々としていて、立派な人物だと思いますよ」
と答えた。福は更に聞く。
「他に、心に残る従業員はいますか?」
「おや、早速推理は始まっているんでしょうかな? そうだな。前田という技師がいい加減でしてな。露木とは真逆の意味で印象深いですね。
遅刻はする、女遊びは激しい、仕事中にふざける……。屋上の患者様たちの言動。あれは前田がプログラムしたものなんです。あんなにも奇妙なことを言わせたりしなくてもいいのに、言わせて楽しんでおるのです。
まあ、あの技術を開発したのは前田なので文句をあまり言えないんですがね……」
福は少し考える。
「露木さんは、関節パルス連動システムを操作できますか?」
「ま、簡単にはですね。前田が休んだときのために、患者様の動作を画面上で選んで動かしたりするくらいはできますよ。私もですが」
「施設長である坂之上さんはどの程度できますか?」
坂之上は目をぱちくりと瞬きし、少し考え、
「ま、露木よりはできますな。ちなみに患者様と一緒に行動したりしていても不自然ではないのは私も同じです。
前田は、患者様に触ったり一緒に歩いたりしたがらないので、疑わしい人物がいるとしたら確かに露木のような介護スタッフと私のような何でもやる立場の人間かもしれません。
でも前田は関節パルス連動システムを事細かに動かせるだけの技術は持ってますよ」
と福を見た。
「私はやはり容疑者なんですかな? まあ、仕方のないことですね。当日出勤していたスタッフの中に、私もおりましたから」
そう言いながらもさほど気にしていないようだ。福は申し訳なさそうに微笑むと、
「当日の出勤スタッフの名簿をお借りしたりできますか?」
と言った。坂之上は大きくうなずき、
「もちろん。さあ、事件現場に着きましたよ」
と言った。そこは角にある、受付からは遠く離れた部屋だった。
何てことのない広い部屋だ。警察の捜査が入った痕跡がある以外は豪華な普通の部屋で、ベッドも一般人の使う介護用ベッドとはレベルの違う、金属と特殊なゴムを用いた安全な品だ。
部屋にトイレと洗面所があり、簡単な二人掛けのダイニングテーブルもある。
「この部屋は宝石商の田辺
奥様もお子様もいらしたのに、お気の毒なことですね。二人のお子様も奥様も、週に一度は来られていました。まあ、円満な家庭だったようですね。
この方は部屋に置いてあった果物ナイフで何度も刺されて亡くなりました。植物状態だったのが何よりの幸運と思えるほど、ひどいありさまでした」
「眠ったままの殺人という話でしたが、殺したのはどなたで?」
福が聞く。坂之上は部屋を出て、斜め向かいの部屋を指さした。
「
今は刑務所のような病院に入れられて、関節パルス連動システムもないところで寝かされているそうなので、お気の毒なことです」
「その冷田さんは、どういう経緯でこの植物状態に?」
福が聞くと、坂之上はとても言いにくそうに、
「自殺未遂ですね。若い方にも多いんです。何でも失恋か何かで手首を切り、失血したショックで植物状態になってしまったようです」
福が小さく、なるほど、とつぶやく。
「どのような事件だったのか、詳しく聞いても?」
福はまたも彼に聞く。坂之上は、本当に何でもないような顔で言った。
「私を容疑者にしていただいても結構ですので、この件を解いていただけたら。
深夜二時、事件は発覚しました。田辺様の部屋から、血液のような真っ赤なものが溢れてきている、怖いから中を見てきてくれと若いスタッフから露木が頼まれましてな。
度胸の据わっている露木はすぐにスライドドアを開いたそうなんです。すると、部屋には血塗れになって立った冷田様と、床に倒れた田辺様がいて、床は血の海だったそうです。
冷田様は凶器となった果物ナイフをしっかりと持っており、まだ刺そうとしているので露木は彼女を抱き留めてナイフを奪ったそうです」
「勇敢ですね」
これは僕の台詞だ。福は黙って唇に指を触れて考えている。
「そして前田が現場にやってきて、さすがに慌てて私に連絡してきました。
私も残業でその時間に施設長室におりましてな。やってきて話を聞いたり警察や救急車を呼んだりでてんやわんやでしたね」
「そのとき怪しい動きをしていた人物はいましたか?」
福が聞く。坂之上は黙り、しばらくして小さな声でこう言った。
「前田が補聴器をつまんで眺めていましたね。それはまるで……、患者様が互いの位置を把握するときに使う、あの補聴器様の機械、ドコイルに似ていました。……これは警察には言っていません。警察は信用なりませんからな」
坂之上はきょろきょろと辺りを見回し、誰もいないことを確認すると、
「さあ、これで全部です。あとは私やスタッフを煮るなり焼くなりご自由になさってください」
と大きくうなずいて僕らを部屋から連れ出した。福は考え込みながらそれについて行く。
何とも奇妙な事件だ。でも、僕の中では犯人が何となく固まっている。福はどう結論づけるだろうか?
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