2.眠ったままの殺人

第1話 眠ったままの殺人事件

 戦争は僕が八歳のときに始まった。

 太平洋戦争のように何年もだらだらと続いたわけではないが、被害は甚大だ。都市部は巨大ドローンが空をいくつも飛び交い、絨毯爆撃じゅうたんばくげきを受け、焼夷弾をポロポロと落とされ、壊滅的な被害を受けた。

 この東京だって同じだ。新宿区から北は奇跡的に街が残されているが、それ以外は本当にひどい様変わりを果たした。

 焼夷弾が落とされた空襲の夜が明けた空の下では、人々の遺体がそこかしこに転がり、家が焼けた臭いなのか人間が焼けた臭いなのかよくわからない、そんな臭いが立ちこめていたという。

 黒こげの壊れた家やビル、破壊された学校、家族や恋人や友人を探してさまようボロボロの服を着た人々。


 僕はそのころフランスにいたが、僕の親族の一人は映像でこの様子を知って、ヒステリックに泣いた。

 僕は呆然と映像を見ていたが、母に目を遮られ、しばらくはそれを知ろうとすることすら許されなかった。

 幼稚園の友達や、その親たち、僕のために雇われていた教師のことを思い出した。夜には夢を見た。その夢は真っ黒で爆弾の破裂する音が常にしていて、誰か、男がケラケラと笑う声がひっきりなしに響いていた。

 それが僕の二一三〇年だった。


 戦争、戦争と皆気軽に言うが、記憶の中の戦争では、日本がどこと戦ったのか、はっきりしない者も多い。

 いわく、あれはロシアだったのだ、中国だったのだ、いやアメリカの破壊工作だったのだと陰謀論いんぼうろんが飛び交う程度にはぼんやりしている。

 僕も、調べたわけでもなく、教科書の内容や友人や家族との会話で何となくわかっている程度なので、はっきりと断言はできない。


 でも、あれは国家との戦争ではなかったと言える。


 僕が知っているのはあれがWild Children's War Republicという国家を模した組織との戦争だったのだということだ。

 共和国を名乗っているから皆誤解をしがちだが、あれは国ではない。あの組織は、破壊工作を請け負う武装集団だ。各国の要人が金銭や武器を提供していた、とか、アメリカの極右が応援していた、とか、様々な噂を聞く。

 でも、もうWCWRはない。中米にあったその組織の拠点は各国による掃討そうとう作戦により消滅した。リーダーは殺害されメンバーはあちこちに散って、しばらくは再組織化されないだろう。

 しかし重要なのは誰かが日本を標的にするよう、組織に依頼したということなのだ。


 東京二十三区では新宿区より北のみが残されたということで、そこに住む人物は皆疑われている。

 組織にそのような依頼ができるということは、相当な財力を持つ人物の可能性が高い。


 僕はその疑いもあってか、この僕らの世界を忌避きひする事が多い。僕らだけが豊かな暮らしができるのは、平等ではない。

 それはどうでもいいけれど、実力ではないと言える。実力に基づかない豊かさなんて、何とも不気味ではないか? 僕は理想主義的すぎるだろうか? この世界は、暴力のみで動かすことが可能だというのだろうか?




「やあやあ、今日も映画三昧かい」


 昼の三時にBLANCに寄ると、今日もダリルが恋愛映画を観ていた。

 来る日も来る日も恋愛映画。一体この女は恋愛に何を夢見てるんだと思ってしまうが、ここは人々が恋愛や性愛を楽しむための街、さいわい横町だ。彼女は別に夢を見ているわけでもなく、単純にその機微きびや雰囲気のようなものが好きなのだろう。


 ダリルは苛立った様子で僕をちらりと見ると、手元に置いているポータブルスクリーンに触れ、誰かに連絡をした。


「アラン」

「わかった」


 誰かが返事をした。決まっている。福だ。僕はわくわくしながらべたつく壊れかけの椅子に座った。


 五分もすると、いつもの喪服に似た黒いスーツにループタイの格好で福が降りてきた。

 福は不思議だ。いきなり訪ねてもすぐにいつもの格好で降りてくるし、寝起きだったり誰かと共に過ごしていたりする様子も見せない。ゲームのスタート画面のように、彼はいつもと同じスタイルで現れる。


「今日も何か事件なのか」


 下に降りてすぐに煙草をくわえた福は、僕を上目遣いに見ながら点火装置で火をつけた。僕はうなずく。


「今日のはすごい事件だよ。何というか、奇妙な事件なんだ」

「あんたが持ってくる事件は基本的に奇妙だけどな」


 福は無表情に煙を吐く。


「題して『眠ったままの殺人』ってとこかな」


 福の薄い眉毛がぴくっと跳ねた。興味があるのだろう。


「僕の知人の介護施設経営者からの依頼なんだが、そこは金持ち専門の施設でね、植物状態の者限定なんだ」

「植物状態……?」

「そう、皆意識がない。けれど、眠っている者同士で殺人が起きたっていうから面白いんだよ。今から現場に行かないか? アポは取ってある」

「そうだな。行こう。今回は報酬をもらえそうだ」

 前回の事件のときは無報酬だったに違いないから、そのことを言っているらしい。

「じゃ、僕の車で行こう」


 僕らはいつものように車で現場に向かうことになった。




 目当ての施設は新宿区内の内藤町にある。カーサ・デル・ボスクというスペイン語で「森の家」を示す名前がつけられたその十階建てのビルは、新宿御苑ぎょえんを見渡せる位置にあり、非常に見晴らしがいい場所に建っている。

 黄色いスポーツカーを駐車場に停めると、待ちかねていたらしい壮年の男が近づいてきて、福のことを値踏ねぶみするようにじろじろと見た。


 車から降りると、坂之上さかのうえテオという名の黒いちょびひげの男は、愛想よくにこにこと笑った。


「やあ、坂之上さん。探偵を連れてきましたよ」


 僕は福を手のひらで示すと、坂之上は福が自己紹介をする前に渋い顔をした。


「いやあ、よくありませんな。葬儀屋だと思われて誤解を生んでしまう……」


 坂之上は抑揚よくようの大きすぎる声で話した。福が笑顔を作って聞く。


「この黒いスーツですか?」

「そうです。ここは植物状態の患者様だけを収容した施設です。当然人の生き死にを扱います。

 しかも事件が起こったばかりだ。できるだけ出入りする業者の方には明るい服装をしていただきたくて」


 業者。僕は福の顔をちらりと見た。気にも留めていないかのような微笑みで、福は坂之上の顔を見て尋ねた。


「では、このアランのジャケットを借りて、ネクタイも明るいものを締めるのはいかがでしょう。アラン、借りてもいいかい? 車のトランクに何着かあったはずだが」


 坂之上が渋々うなずくと、福は僕に臙脂えんじ色のジャケットを持ってこさせた。ネクタイは真珠のような色の変化のある派手なものだ。

 ネクタイを締めると、福はますます胡散臭く見えた。僕のジャケットは福には少し大きすぎ、ネクタイも彼の雰囲気に全く合っていないからだ。


 坂之上がうなずいた。


「ま、いいでしょう。自己紹介いたしましょうか? 私はこの介護施設のオーナー兼施設長、坂之上テオ。あなたは?」


 どうやら坂之上は相手を見て態度を変える男らしい。福をやや見下している様子だ。福はにっこりと微笑み、


「遊部福。探偵です」


 と自己紹介を始めた。

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