26 GOD BLESS YOU:この修羅の世界に復讐を ①
その後はもう、何にも頓着しなかった。
デーアに
『学園』の前身、『大書庫』と呼ばれていた頃の姿を維持した建造物──それが、この図書館だ。
白い石造りのこの城が図書館と言われても、おそらく言われなければ分からないだろう。多分火で所蔵が焼け落ちるのを防止しているとかでこの造りなのだろうが、下手な砦なんかよりも難攻不落に見える。
そのあたりは、さすが第二の『聖者』によって設立された歴史ある建造物……といったところか。
だが、その図書館も今はがらんとしている。
白亜の居城の周囲には人の身長ほどの高さの柵が立てられ、余人が侵入できないようになっている。『商工勢力』が混乱によって実務能力を失うのに伴い、一旦閉鎖している……ということなのだろう。
おそらくは、この盤面を築いた黒幕の思惑通りに。
「ご主人様、これどうしますう?」
「決まっているだろ。飛び越えろ」
「仰せのままに☆」
デーアに指示をすると、グン! と身体が重力の圧を感じた。
一気に視界が高くなり、先ほどまで見上げるような高さだった柵が一瞬のうちに眼下に移っていく。
通常のバリケードとしては十分な高さと強度だろうが、リンカーネイトの身体能力を踏まえれば『一応のこしらえ』の域を出ないものだ。こんなものは簡単に突破できる。
「ありがと」
デーアに声をかけながら降りると、
量子ステルス──というと量子論を用いた物々しい技術のように感じるが、これの正体はレンズを重ねたトリックの応用だ。それ自体はかなり原始的なものなので、前身となる技術自体は
それを布状の素材にして扱えるように──そして反対側(つまり、布を被った時の内側)から見た時にきちんと透明に見えるようにしている辺りが、この技術のキモである。
「……おや、私の分も用意してくれるんですねえ?」
量子ステルスの布が二枚発現されたことを受けて、デーアは楽しそうに笑う。
……囮にすることも考えたんだがな。ただ、デーアを餌にして
わざわざデーアの存在を半ば敵にバラして警戒を増やすよりも、なるべく隠れて動いた方がいいだろう。それでも、なるべく急いで移動する必要はあるが。
「最悪、囮には
「でもこれ、被ったらご主人様から私の姿が見えなくなっちゃうんじゃないですかあ?」
「いや、姿が見えなくても衣擦れや足音で位置くらい手に取るように分かるからな」
だからこれだって、万能のステルスアイテムって訳じゃない。
敵が話しているとかの取り込み中で物音に気付きづらい状態とか、あくまでも敵の油断につけ込む補助でしかないんだ。そんなに過信されても困る。
「流石はご主人様です☆ ……んー、しかしツッコミ役が一人くらい欲しいところですねえ……」
この状況で何を言ってるんだこの邪神は……?
まぁ、コイツの妄言を気にしても仕方がないのはこれまでの経験で良く分かっている。デーアを先行させながら、
石造りの書斎の中は、本当に城のような造りになっていた。今は人がいないからか、魔法による照明も落とされ、窓から差す明かりだけが頼りの薄暗いがらんどうだ。
立ち並ぶ本棚も石で作られているが──これについては、表面に何かしらの加工がされているらしく、滑らかでつるつるしていた。多分、石が風化して出た砂で本が傷まないようにする工夫だろう。
最近は蔵書の魔導化が進んでいると聞くが、やはり古くから本を納めている書庫はこういう細かいところに本を長持ちさせる工夫があるのかもしれないな。
図書館の内部構造については、一応一通り頭の中に入れてある。
図書館は『┓』型をしているが、入口及び受付は南側に一つあるきり。右上部分には広間があり、そこから放射状に通路が展開され、その通路に面するように本棚が設置されているような恰好だ。
そして『
幸いにも図書館の中は薄暗いし、本棚の物陰で身を隠す場所にも事欠かない。火災防止の為に本棚の多くは火も通さない頑強さを誇るし……量子ステルスの布を軸に不意を打つのには適しているだろう。
デーアに先行させつつ、本棚の影に隠れながら『
「────」
人の声が、聞こえて来た。
「…………っ」
息を殺して、本棚の陰から広間の様子を伺うと。
石碑の前にいたのは、ウィラルド=スティト=イクス=ヴィラムルースーーアザレアさんの、腹違いの弟だった。
石碑に背を向けて佇んでいる。……よかった。まだリンカーネイトの『適用』は済んでいないみたいだ。
……ふぅ。
ひとまず、動機や経緯は不明だが────
──このクソ野郎が、漁らなくてもいい
すぐ横で、身動ぎをする音がする。
デーアだ。
状況判断については能力を使い
デーアが戦闘準備を進めているのを視界の端に収めつつ、
そこで、気付く。
ちょうど、本棚の陰に隠れる形で。
ウィラルドの目の前に、一人の少女が座り込んでいることに。
「──無様だな」
当然
「…………、」
ウィラルドに詰られている少女──
──彼女は、失踪していたはずのイスラ=イクス=パーダムニットだ。
…………いや、待て。
何だと?
失踪していたはずのイスラが、何故此処に? ……ウィラルドに監禁されていたとか? とすると、ウィラルドの動機はイスラへの怨恨?
……動機のことなんて考えても仕方がないか。
ただ、状況にイレギュラーが生じた。この状況で行動を開始するのは勇み足だ。少し様子を伺った方がいい気がする。
「なあ、『商工勢力』のトップ様。見事に没落した気分はどうだ」
そう言って、ウィラルドはイスラのことを嘲笑う。
……その声色に、捨て鉢さは感じられない。彼の属する『外交勢力』のトップグループも今回の一件で没落しているはずだが、そのことを気にした風は一切なかった。
おかしいな。パトヴァシア先輩の話だと、ウィラルドはかなり取り乱した様子で『ボクは聞いていない』なんて言い逃れまでしていたらしいんだが。
「惨めに逃げ回って此処に到達していたようだが、年貢の納め時だ。……たとえ誰が許そうと、ボクは決してお前を許さない。この手でお前に引導を渡してやる」
「…………、」
「……お前のせいで」
加害を仄めかす言葉にも、イスラは無反応を貫き通す。
『到達していたようだ』? ってことは……そもそもウィラルドはイスラを追って此処に来ていただけで、最初に到達していたのはイスラの方ってことか?
だが、イスラが『リンカーネイト:オーバーライド』のことを知っているのであれば、そもそもこんな事件を起こす必要もない……。
……それに、何か妙だ。アレじゃあ無反応というより、そもそも人形──
「お前のせいで、ボクの愛しの義姉は危うく破滅するところだったんだからな」
────。
………………は?
な……何? 今コイツ、何て言った?
ボクの愛しの……
……ウィラルドは、ヴィラムルース男爵家の家督を継ぐはずだった少年は、突然現れたアザレアさんのことを疎んでいるんじゃなかったのか?
だから『学園』に向かう魔駆車にも護衛をつけなかったりと冷遇したり、わざわざ陰謀の対象……どう転んでも破滅する役回りにアザレアさんを置くようはたらきかけたりしていたのでは?
だがこのウィラルドの発言……どう考えても、どう転んでも破滅する役回りにアザレアさんを置くのは知らなかったとしか……、……まさか。
まさか本当に、ウィラルドはこの陰謀について知らなかったのか?
……いや、知らなくて当然なのか?
考えてみればおかしかったんだ。
ウィラルドは
……関係ない。
ウィラルドからアザレアさんへの感情が前評判と違っていようが、今の盤面とは関係ない。重要なのは『リンカーネイト:オーバーライド』の阻止であり、現状の盤面にはウィラルドとイスラの二人しかいない。それはデーアの視点からでも確認していることだろう。
なのに。
にも拘らず、思考が走る。まるで此処を取り違えることは、己の命を落とすのに等しいと本能が訴えかけてくるかのように。
──コイツは今、アザレアさんに愛情を向けていると言った。
それはつまり……ヴィラムルース男爵家がアザレアさんを冷遇しているという前提が揺らぐということでもある。
……いや、そこじゃない。そこよりももっと、根本的に──
『まぁ構わないだろ。それより──これで一層疑惑は確定的になったんじゃないか? ここ一ヵ月で突然自分が貴族の長子だと判明した庶子の「派閥」が、敵対「派閥」を吸収する為の鉄砲玉に。その「派閥」が所属する「勢力」のトップは、件の庶子の存在によって長子の座から転げ落ちた嫡男だった。……これ、流石に都合が良すぎだろ』
──アザレアさんはあの時、パトヴァシア先輩の悪意的な解釈の発言に対して、何のリアクションもしていなかった。
それだけじゃない。『商工勢力』が没落して義弟もそれに巻き込まれるという流れの中で、そのことに一切異議を唱えたりしていなかった。
まるで言外のうちに、『ヴィラムルース男爵家はアザレア=イクス=ヴィラムルースを冷遇している』というこちらの認識を肯定するかのように。
だが、
その場合、アザレアさんはあえて私達の誤解を容認し──場合によっては助長させていたことになる。
何の為に────
「────!!!!」
その瞬間、特大の悪寒が
思考の、飛躍があった。
何の為に?
まさに今この時の為に決まっているだろう!!!!
──ひゅひゅん、と。
イスラとウィラルドの方から鋭い何かが空を裂く音が聞こえた瞬間、どん!! と強い衝撃が
何故なら、衝撃に伴う感触は柔らかく──デーアが、
続いて、また何かが空を切る音がした。
今度は、先ほどの様に鋭い音ではない。どちらかというと間の抜けた──棒状の何かが、くるくると回りながら宙を舞う音。
「──楽しくなってきましたねえ☆」
被っていた布が切り裂かれ、その美貌を
──右腕を、肩口から失っていた。
「な、なん、」
「……あなたには、退場してもらいます」
一連の物音にウィラルドが気を逸らしたその隙に、イスラが……いや、イスラの姿をした何かが動く。
瞬時に立ち上がったかと思うと、ウィラルドとの間の距離を詰め、そして腹に向かって──蹴りの一閃。
「うっごェ…………!?!?」
横薙ぎに蹴り飛ばされたウィラルドはノーバウンドで十数メートルほど吹っ飛び、図書館の奥の方へと転がって行った。
当然、人間に出力できる力の強さではない。あんなの、一流の
……最早、量子ステルスの布は意味を成さない。
即座に布を解除しながら立ち上がり、改めて状況を確認すると──ちょうど、イスラの姿をした『何か』の影から一人の少女が這い出てくるところだった。
影から這い出て、イスラの姿をした『何か』の傍らに立ったのは──
「……いや、本当に危ないところだったわ」
栗色の髪を背中の中ほどまで伸ばした、小柄な少女。
重めの前髪から覗く眼光は、大人し気な印象を突き破るほど野望に満ちた禍々しさを宿している。
「念には念を入れて
「き、みは……」
その名は。
「……アレを囮にしていなかったら、作業中で隙だらけのところをアルマさん達に叩かれて終わっていたわね」
────
アザレア=イクス=ヴィラムルース。
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