24 INTRIGUE'S END:計略の果てにて息吹く者 ③
──その『決闘』についての情報は、既に『学園』の中を駆け巡っていた。
図書館内。
石碑が設置されている広間にて、一人の少女が佇んでいた。
紫かがった黒の長髪を真っ直ぐに下ろしている少女は、最早大人の女性にも等しい妖艶な魅力を備えている。いっそ、学生服がコスプレか何かのような異物感を与えている始末だった。
豊満な胸、すらりと伸びた長い脚、いずれも女性からすら羨望の眼差しを集めそうな魅力を感じる。
しかしその表情はまるで朝の湖のような静謐さをたたえていた。静かに細められた眼差しからは、一切の感情が読み取れない。
第二の『聖者』メイヴィスの『
二年生にして『商工勢力』の長に上り詰め──そして最上級生となった今も『勢力』の頂点に立ち続けている傑物であった。
既に国内の商工分野にて栄達が約束されている彼女は、しかし現在は周りに自らの配下を一人も置いていない。まるで──人目を忍んでいるかのように。
「…………来ましたか」
身動き一つせず。
イスラは腕を組みながら一言だけ呟いた。その直後、パタパタと忙し気な足音を立てて、一人の少年が広間へと入っていく。
息を切らせて走った少年もまた、誰も連れていない。つまるところ──密談。これだけで、二人が邂逅した目的が暗闇に類するモノであると察せられた。
ウェーブがかった金髪を撫でつけた、いかにも上流階級らしい気品を感じさせる少年。男物の学生服は下品さを感じさせない程度に着崩されており、それが外見から一定以上の隔意を感じさせないように印象を調整しているようだった。
少年の名は、『リグドーン=スティト=イクス=マルフィアト』。
『外交勢力』の長を任されている少年、その人だった。
リグドーンは息を整えながら、
「作戦は、成功したよ」
ゆっくりと、そう宣言した。
とある事件の、顛末を。
「『王女派閥』は、結局劣勢を打破する材料を手に入れられなかったようだ。……いや、真っ当に欺瞞情報の払拭をしていれば後手に回ると考えたのかな。『パトヴァシア派閥』と、一騎打ちをしたらしい」
「……なんと、そうでしたか」
意外そうな口調のイスラだったが、その声色は一つの想定外も存在しないと断言しているようだった。
実際のところ、現状は彼女にとっては何一つ予想を超える事態ではない。
『王女派閥』は結成されたばかりで、地盤が緩い。もちろん個々の構成員は一人ひとりが『学園』内の
だからこの絵図を描いた『商工勢力』の面々も、やるとするなら『パトヴァシア派閥』との正面対決しかないと最初から踏んでいた。
だが──この展開は、ドツボにはまっているも同然なのだ。
まずそもそも、パトヴァシアが強い。
彼女のリンカーネイト能力『
近距離戦タイプのリンカーネイトなら削り殺されるし、遠距離戦タイプのリンカーネイトでも一撃で削れなければじり貧になる。まずもって、普通のリンカーネイトでは勝ち目がない。
超火力を持つという噂の──そして今日のオリエンテーションでその全貌が明らかになったフラムジアのリンカーネイトであれば勝てる可能性は高いが、それはそれで別の問題が発生する。
──『決闘』の決着によって、敵の主張を無理矢理に引っ込めさせる。
この『学園』においては、これも立派な作戦となる。『決闘』に勝って主張した事実を受け入れなければ、後に待っているのは本格的な泥沼だからだ。落としどころの見えない争いを続ければ、待っているのは『学園』の外への争いの波及──つまり内乱である。
だから、『最後の落としどころ』である『決闘』の勝敗は何よりも優先される。
ただし──だからといって、全ての人間が納得できるかと言えばそれは間違いなく『NO』だ。
無理矢理に力で捻じ伏せられた『パトヴァシア派閥』との間に遺恨は残り続けるし、『パトヴァシア派閥』が不承不承という態度を崩さなければ、パトヴァシアと関わりのある人材も『王女派閥』に対する見方が厳しくなっていくのは必定。
結果として、『王女派閥』は誰にも文句をつけられない形で疑いを晴らし、逆に『パトヴァシア派閥』に不名誉を押し付けることはできても──表立たない形でうっすらとだが、敵を増やすことになるのだ。
もちろん、そこまで思い至らず悪評によって圧し潰され『外交勢力』に取り込まれるでも、問題はない。
その場合、作戦協力の見返りとして『外交勢力』から情報を得つつ、善意の使者として『農政勢力』に『王女派閥』の味方をするよう唆し、『王女派閥』の『外交勢力』からの独立を手伝いつつ、見返りにさらに情報を搾り取ればいい。
どう転んでも、『王女派閥』の力を削り、『商工勢力』が甘い汁を啜ることができる策。
それが、『商工勢力』が仕掛けた陰謀の正体だった。
「……それで、『決闘』の結果はどうなりましたか?」
「『決闘』なら、パトヴァシア氏が勝ったよ」
イスラの問いに対して、リグドーンはあっさりと答えた。
それが、一つの結果だった。
「相手は副長のシュヴィア氏を出したらしいが、パトヴァシア氏のリンカーネイトの方が上手だった。まぁ、シュヴィア氏のリンカーネイトは近距離戦特化の
「……なるほど、つまり」
「ああ。『王女派閥』は降伏を申し入れて来た」
リグドーンの回答に、イスラは『ふむ』と頷きを一つ。
想定していた中では、一番スムーズな展開だ。こうなってくると、見返りとして『王女派閥』の持つ種々の技術情報を獲得する為の交渉の方に専念しなくてはならなくなってくる。
つまり、此処からが交渉。本質的に商人である『商工勢力』の長としては、本領発揮の場ということになる。
「……では、事前の取り決め通り。『王女派閥』の情報を手中に収めた時の、我々の取り分について話していきましょうか」
「おい、そんな直球な……。どこで誰が聞いているのか分からないんだぞ」
「……問題ありません。此処は我が『商工勢力』の縄張りで、『勢力』の面々には図書館に入らないよう言明していますから。アナタだけですよ、この場にいるのは」
それはつまり、事前の取り決めを反故にすればこの場でいかようにでも孤立したリグドーンを料理できるということでもあるのだが、イスラはそこにはあえて触れない。
これから交渉するという相手に下手に悪印象を与えないようにするためか──あるいは。
「……それに、口頭とはいえ事実を確認するのは大切です。言った言わないの水掛け論は困りますが、『言ってすらいない』のでは正当性の主張すらできませんからね」
「分かった、分かった。……こちらとしても、認識の齟齬は避けたいしな」
リグドーンは両手を差し出して降参のポーズをすると、イスラはその無表情で目の前の少年を見据え、
「……それでこそです。こちらとしても、付き合いのある『パトヴァシア派閥』の内部を犯人に仕立て上げるのを容認しているのですから、相応の見返りを求めますよ」
「それも分かっている。……ただなぁ、それについては、ウチの新入りがまたちょっと──」
と。
その時、他に誰もいないはずの図書館内で──くすり、と女の笑い声が、響いた。
◆ ◆ ◆
「まず大前提として、私達の『決闘』についての情報は出回っていない」
──時は、三〇分前まで巻き戻る。
『王女派閥』と『パトヴァシア派閥』の面々を前にしながら、アルマはそんなことを言っていた。
そもそも『決闘』自体が、電撃戦によって引き起こされたもの。そもそも『決闘』を挑んだという情報すら一般には伝わっていないだろうし、専用のアンテナを張っている『外交勢力』や『商工勢力』でもその結果についてまでは把握していないだろう。
そこで。
「それを、逆手に取ろうと思うんだ」
「逆手に?」
首を傾げたのは、当事者であるパトヴァシア。
アルマは頷いて、さらに続ける。
「そう。『決闘』の結果については、此処にいる私達しか知らない。つまり、私達が結託していることも、私達しか知らないんだよ」
「…………あ」
言われて、パトヴァシアも気付く。
そもそもパトヴァシア達が『王女派閥』と連携することに決めたのは、『決闘』の中でアルマの人間性に触れ、絆されたからだ。その顛末を知らない以上、誰にもこの展開は予想できない。
……そのアドバンテージを生かさない手は、確かにないだろう。
「ってことは……」
「そう。対外的には、私達は負けたことにする。『決闘』には『パトヴァシア派閥』が勝利し、『王女派閥』は完全に降伏した。そういう誤情報を広めるんだ」
『パトヴァシア派閥』も『王女派閥』もその情報を認めていれば、当事者が言っているのだからとそれを疑うことはしないだろう。
仮に相当の切れ者がいて疑いを持ったとしても、確信には至らない。最低でも、戦場に赴いて現場検証でもしない限りは嘘だとは気付かれない。
「『王女派閥』が勝ったとなれば、向こうの警戒も跳ね上がるでしょ。必然的に、情報のやりとりもかなり厳密に隠匿される。そうなったら、流石に外野の私達には追い切れなくなってしまう。……でも、『王女派閥』が負けたとなれば話が変わる」
「……言うなれば、最高のグッドニュース。敵は喜び勇んで『真っ先に報告すること』を優先するから、秘匿については手薄になる……ということですのね」
アルマの説明を聞いて、フラムジアが頷く。
実際、通常時よりも秘匿レベルが下がってしまうのは間違いないだろう。疑似的な戦場にいるとはいえ、所詮は学生だ。勝利が確定した段階で、それでもなお秘匿を徹底できるようなプロ意識が育っているはずもない。
まして、彼らにとっての本番はまだこの先なのだ。
屈服させた『王女派閥』の情報をいかに取り込むか。その過程で発生する『外交勢力』と『商工勢力』の主導権の奪い合いを考えれば、秘匿などよりも先にリソースを割く部分はたくさんある。
「その隙を、突く。各所に人員を配置するんだ。そうすれば向こうは勝手に疑わしい動きをしてくれる。……あとは簡単さ。私のリンカーネイトが、その動きを尾行する」
「アルマのリンカーネイトが、ですの?」
「ええ。お安い御用です☆」
首をかしげるフラムジアに、水を向けられたデーアが胸を張って答える。
「しかし……尾行か。難しいだろ? お前のリンカーネイト、凄く目立つ外見をしているし……」
そこに対して不安材料を並べたのは、実際に大戦相手として相対した経験のあるパトヴァシアだ。
戦闘中はそこに言及する余裕はなかったが、宙を浮いて飛び回るその姿が天女に見えるほどの美貌。とてもではないが、尾行という地味な作業に向いているとは思えなかった。
しかし。
「それについては問題ないよ」
アルマがそう言った瞬間──デーアの姿が、まるで透明な布で隠されるみたいにして、消えてしまった。
「なっ!?」
その場にいた全員が、驚愕のあまり声を上げる。
姿が消失する──そんなことは、魔法でもない限り不可能な芸当だ。これまでの経緯から何となくデーアの能力が『物質を発現すること』だと思っていたその場の面々は、思わず言葉を失ってしまう。
「……ウチの秘儀魔法の応用だよ。原理については秘密ってことにさせてほしいけど……。デーアの能力で出した布に、秘儀魔法を付与したんだ」
「な、なるほど……」
アルマの説明に、パトヴァシアを筆頭に一同は納得する。秘儀魔法ということならば、ある種何でもありである。
同時に、アルマの自信にも納得がいった。これほどまでに完璧な迷彩、かつデーアの身体能力を考えれば、十分に尾行は可能だろう。
────なお、このアルマの説明は当然ながら虚偽である。
アルマがデーアに用意させたのは、単なる布ではなく──『量子ステルス』と呼ばれる、『地球』で実在したテクノロジーが用いられた布である。
アルマの生きた時代より三〇〇年前に発明されたこの技術は、光の屈折を用いて包んだものを透明にするという代物だった。三〇〇年前は硬質な板としてしか使えなかったが、三〇〇年の技術発展を経て、布の様に柔らかな物質として用いることができるようになっていた。
素材の性質によって実現している透過なので、電源などを用いなくても使用が可能な点が優れている。
しかもこの光学迷彩の優秀な点は、可視光だけでなく赤外線や紫外線についても屈折によって透過してくれる点にあった。リンカーネイトの能力によっては蛇のピット器官のような『通常の視覚に頼らない感知手段』を持つ者だっているが、そうした警戒もこの迷彩ならすり抜けることができるのだ。
……当然ながら、そんな事実についてアルマがいちいち説明することはないが。
「……この件については、私とアザレアさんが友達になったことが端を発している。もちろんその前から陰謀は進んでいたんだろうけれど、でも、きっかけになったのは私達なんだ」
アルマはそう言って、真剣な目で一同を見る。
「でも、私はこの出会いが間違いだった、迷惑をかけた……なんて風に思いたくない。だから、決着は私に任せてほしいんだ。……アザレアさんと友達になって良かったって、そう胸を張って笑えるようにするために、さ」
──決意を秘めた表情で言うアルマに対して、否を突きつけるような人は、その場にはいなかった。
◆ ◆ ◆
「──と、言うわけでえ☆」
透明な布を払いのけながら、デーアは嗤っていた。
その手には、小型の魔法具が握られている。……通信魔具だ。そして、それが意味することは。
「な、は? ばッ……馬鹿野郎!!」
二もなく、リグドーンの身体から剥離するように牛頭の魔人が現れる。
──ミノタウロスを模したリンカーネイトがデーアの持つ通信魔具を破壊しようと試みるが、
「残念、もう遅いですよお。今の会話内容は既にご主人様に届いていますしい、ご主人様は、きっとこの会話内容を録音されていますからねえ☆」
その言葉を聞いて、動きが止まってしまう。
「お前……確か、『王女派閥』の新入りのリンカーネイトか!? 変わった
「……まさか」
状況が理解できていないリグドーンの言葉を遮るように、イスラが呻く。
その気付きを肯定するように、デーアの笑みが深められた。
「ええ、ええ!! お察しの通りです☆ 『王女派閥』が敗北したというのは、真っ赤な嘘!! 実際には『王女派閥』は『パトヴァシア派閥』を下した上で懐柔し、欺瞞情報を流していたんですよお! どうです? 欺瞞情報に騙される気分って☆」
「…………、」
「──そして『王女派閥』は正当性を得ただけでなく、アナタがたの自白めいた証言まで入手している。……これを以て勝利宣言をするだけで、全ての陰謀は明るみになるのです! そうなれば、分かりやすいレッテルこそが正義となるこの『学園』で誰が勝者となるかは、お分かりですねえ?」
それ以上の問答は、不要だった。
逆上したリグドーンが、ミノタウロスのリンカーネイトに手に持った斧を振りかぶらせる。が、
「解除☆」
瞬間、ミノタウロスの体が一気にデーアの方へと引き寄せられ──ゴギン、とその首が、デーアによってへし折られる。
──会話の最中に、気付かれないよう静かに空気を発現していたのだ。敵が暴れようものなら、即座に解除して空気の分の距離を詰め、電光石火で決着をつけるために。
そして、頼みの綱の暴力すらも失われた二人に、打つ手はもうない。
「………………ここまで、ですね」
イスラが──陰謀のすべてを描いた少女が、静かに
地に膝を突いた黒幕────それを以て、この事件は執着したのだった。
しかし。
一つの結末、それをその目で眺めながら、事実を反芻しながら、決着の場に居合わせた女神は、人の子に助け舟を出すような──それでいて不吉な予言をするような調子で、小さく小さく、誰にも聞こえないように付け加えたのだった。
────本当に? と。
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