21 二三〇七年一〇月六日 ── ある少年の前世

 記録────

 二三〇七年一〇月六日

 某県 汐見マーケットモール



 午前一一時三一分、この施設はとある過激派政治組織によって襲撃され、二時間ほど占拠されることとなった。

 『汐見マーケットモール立てこもり事件』。

 三五名の死者を出し、のちに二四世紀最悪の事件として歴史に刻まれることになるこの事件に──いずれアルマ=イクス=フィリデイとして生を授かる少年がいた。

 昼時ゆえに大量の利用客が巻き込まれたこの立てこもり事件は、モール利用客の実におよそ八割・一〇八五人が人質となる前代未聞の事件であった。ただし、この事件が二四世紀最悪の事件となったのは、その人質の規模ゆえでも、まして三五名という死者の数ゆえでもない。

 この事件が最悪と、そう呼ばれるようになった所以は──



 ──少年はその日、友人達と共に学校近くのモールへと遊びに来ていた。

 一〇月に入ってから最初の日曜日。人工制御の秋模様に肌寒さを感じつつ、少年は友人と談笑しながら休日を過ごす。このとき少年は、この平穏が突然の悲劇によって崩壊するとは、露ほども思っていなかったことだろう。


 最初にあったのは、銃声と悲鳴だった。


 数人の銃を携帯した男達が入口を抑える。

 腹部から赤い何かを垂れ流しながら倒れ伏す警備員を踏み越え、数人のテロリストがモールへと立ち入っていく。

 このとき、これと同じ光景がモールの各入口にて展開されていた。総勢二四名の武装テロリストによる、モールの一斉襲撃。大した警備側の抵抗もなく、汐見マーケットモールは一〇八五名が囚われた監獄へと変貌したのだった。


 何故、二四名ものテロリストが作戦行動をとれるほどの計画性を以て襲撃事件を起こしたのか。そしてその標的を何の変哲もないモールに指定したのか。

 その意図については、此処では詳しく語らない。

 そんなことを語っても無意味だし──この先に起きる悲劇の本質とは無関係だからだ。


 精神的に不安定な思春期の少年が、テロリストの襲撃によって人質となった。自分達を守ってくれるはずの警備員はいの一番に銃撃されて命を落とし、そして自分達はその銃器を抱えたテロリストによって追い立てられている。

 ──そんな時に、完璧な行動を取れるような者がいったいどれだけいるだろうか?

 


 喧騒の中、館内放送を通じてテロリストの指示に従って虜囚として指定された場所へ移動しているその最中。たまたま出くわしたテロリストに銃を向けられた少年の友人は──短く悲鳴をあげて、反射的にテロリストに背を向けて逃走を試みてしまった。

 そして、その横で即座に両手を挙げて降伏の意思を示していた少年の目の前で──彼は後頭部を撃ち抜かれて銃殺された。


 友人の、理不尽な、そしてあっけなさすぎる死。

 それが、少年の悲劇。


 そして悲劇は──少年の中に眠っていたを呼び起こしてしまった。




   ◆ ◆ ◆




「う、うあッうわああァァあああああああああああああああ!?!?」



 ──男の悲鳴が、響き渡る。


 モールの占拠から、一時間半ほどが経過した頃だろうか。

 銃を所持しているテロリストの男は、その銃を構えることすらなく、もはや身も世もなく走り回っていた。

 その顔面にはべったりと彼のものではない血が付着しており、服にはが貼り付いている。


 その周辺についても、既に異常が塗れていた。

 ──凍てついているのだ。

 モールに出店されているストアや、エスカレーターなどの移動設備。そのところどころが、氷によって物理的に覆われている。

 季節は秋、まだ肌寒くなったという程度でしかないはずのモール内では──いや、そうでなかったとしても、そもそもこんな局地的な冷温が発生するはずなどないというのに。



「あー………………最悪だ。面倒臭いから、大きな声を上げて走り回るなよ」



 その後ろを。

 ゆったりと、しかし決して焦らずに追うのは、一人の少年だった。

 中肉中背。赤茶けた癖毛の髪を短く整えた少年の目元は、先ほどまで涙を流していたのが分かるくらいに泣き腫らされていた。


 手に握られていたのは、ありふれたレーザーポインタ。新品らしき真新しさを感じさせるそれの根本にはゴチャゴチャとした改造の跡が見て取れたが──だからといって物品としての本質が変わっているわけではないだろう。


 すい、と。


 少年がレーザーポインタから放たれた光を男の足に当てると、ガキン! と次の男の一歩で硬質な音が響いた。

 直後。



「ぎゃっ、ぎゃぎゃっ!?!?」



 男が悲鳴をあげて、その場で転がる。

 男の足は、見事にひび割れていた。まるで、



「おっ、俺のっ俺の足っ、なっなっ、なんでっこんなっ!」


「現実を把握する能力が欠けているんじゃないか? 周りを見ろよ。最低でも、俺が何らかの方法で物質を冷却する方法を持っているってことくらいは気付いて警戒して然るべきだぞ」


「あ……ひぁ、ひっ……ひっ……!」


「──レーザー冷却、って言えば分かるかね」



 少年はそう言って、レーザーポインタを掲げて見せる。



「さっきまでのボヤ騒ぎ……まぁ俺が起こしたんだけど、それのせいでが放出されていただろ? アレは不燃性の空気より比重の重いガスを垂れ流すことで、利用客を窒息させないようにしつつ火元を鎮火させるっていう設備でな」



 くるり、と少年はレーザーポインタでペン回しをしてみせる。



「あとは、その消火用ガスの原子の振動数に合うように市販のレーザーポインタの周波数を調整してやるだけだ。それだけで、このモール内に限ってどこでも冷却できる素敵なレーザー兵器の完成って訳。振動数の測定にはちょっとばかり面倒な手順が要ったが」



 当然、この一芸だけではなかった。


 モールの空調設備を手中に収めての『酸素の薄い区画』の作成によるテロリストの誘導。

 どこにでもある食塩水を電気分解して水酸化ナトリウムを精製して、大量のテロリストの顔面をドロドロに溶かしての殺害。

 他にも防火シャッターによるギロチン、小規模な粉塵爆発を用いての銃器の暴発、天井の崩落による圧死の誘発などなど、この少年が弄した策によって、テロリスト達は惨たらしく命を奪われていた。


 全ては、彼の『逆鱗』に触れてしまったがため。


 友人の命を理不尽に奪われた少年は怒りのままに行動し──そして本来なら当たり前の流れで圧し潰されるはずだったその激情は、少年の持つ『おぞましい才能』によって具体的な悲劇を彩るに至った。

 のちに『二四世紀最悪の事件』と呼ばれる、とある事件の悲劇を。



「待ってくれ……頼む…………」



 テロリストの男は、足を抑えながら懇願を始める。

 もはや、発砲しようなどとも考えていなかった。銃器の暴発で死んだ仲間達なら、何人も見ている。そもそも無事に撃てたところで、それで目の前の少年を殺せるビジョンが見えない。だから男にできるのは、ありきたりな命乞いだった。

 そして。



「…………はぁー……最悪だ。やめろよ、今更命乞いとか。お前らだって、こうなることは覚悟の上じゃなかったのか?」



 それを見た少年は、本当にげんなりした調子で呻いた。

 精神的な負担を隠そうともしない態度。しかしそれは、真の意味で命を刈る引き金に指がかかっている者が発するにしては、あまりにも平坦すぎる声色だった。



「お前らが一体何者なのか、そんなことは知らないよ。どんな信念を持って戦っているのかも知らない。今の社会の中で、どれほどの正統性があるのかも分からない。……分からないし、興味がない」



 みしり、と。

 テロリストの男は、少年の手の中にあるレーザーポインタが軋む音を聞いた。

 いや、違う。これはそんな物理的な音ではなかった。この音は──少年の理性が、軋む音だ。



「だが、覚悟はあったはずだろ? 警官隊と交戦して、全員死ぬ覚悟とか。そのくらいの心構えで来たんじゃないのか。その上で、俺の友達を撃ったんじゃないのか」


「か……覚悟なら、ある!」



 蔑むような少年の言葉に、思わずテロリストの男は言い返していた。

 だが、それは信念に裏打ちされた殉教者の声色ではなかった。既に折れてしまった、敗北者の声色だ。

 恐怖に支配された眼差しで、男は目の前のバケモノを見据える。



「でも……これは違う! 違うだろ!? 確かに死ぬ覚悟はあった! 大義の為なら犠牲はやむを得ない! でも、こんな風に死ぬなんて思ってなかった!!」



 つまりは、想像力の限界の外。殉教者の覚悟すら錆び付かせる、絶望的なまでの悪意。

 ドロドロにとろけた同志の顏を服に貼り付けさせ、足から凍り付きながら嬲り殺される末路。

 『死ぬより恐ろしい結末』を前にして、テロリストの男は完全に萎縮しきっていた。否、そうなるように、目の前の少年によって丁寧に精神をへし折られていた。


 その言葉を聞いて、少年はようやく満足したように笑みを浮かべる。

 処刑者の雰囲気が弛緩したのを感じ取ったテロリストの男の表情が、僅かに緩んだ直後。



「ああ、そうだろうな。



 ばしゅっ、と。

 男の心臓付近は一瞬にして凍り付き、血流が冷却によって滞った男は四〇秒もの間苦しんでから、命を落とした。


 それが、とある少年の復讐劇の結末だった。




   ◆ ◆ ◆




 結局、この事件における死者は、テロリスト二四名全員と、テロリストの襲撃によって命を落とした警備員一〇名、それと民間人一名のみだった。

 負傷者はゼロ。脱出した元人質のうちの数%は強烈なPTSDを発症したが──その原因が一体については、未だ不明のままだ。



 少年にとっての悲劇は、彼が法的に裁かれることは、結局なかったという点だった。

 事件の特殊性を鑑みて、少年が罪に問われることもなく──また、プライバシーも守られた。代わりに少年は日常を失い、

 まるで、物語の中のような急転直下。

 しかし、だからといって一人の少年の心が救われる訳ではない。国に組み込まれてからの日々は、少年にとっては己の才能の本質を確かめる日々でしかなかった。


 少年には、夢がなかった。

 単なる高校生だった少年は特に得意なものについての自覚がなかったし、何かに対する憧れも乏しかった。ただ、何者かになりたいという願いはあった。

 楽しそうに未来の話をしていたあの日の友人のように、胸を張って名乗ることのできる何者かになりたいという願いが。その為の才能が自分にも眠っていると信じたい……そんな少年らしい希望があった。


 だが──蓋を開けてみれば、そこにあったのは『これ』だった。



 『人殺しの才能』。



 目的を遂行する為に、あらゆる精神的物理的障害を突破して、思考し実現する才能。即ち、『人間力』。──これが、少年はそれこそ地球の歴史上を見ても類を見ないほどに優れていた。

 皮肉なことに、少年のうちに眠っていた才能は、そんな血塗られたものなのだった。


 少年は、絶望した。


 何よりも絶望したのは、復讐に身を投じている最中、少年は一切『良心の呵責』というものを感じていなかったのだ。

 当たり前の倫理や良識など、一顧だにしなかった。おそらく彼の友人ならばどんな時でも外さなかったであろう一線を、少年は気軽に踏み越えてしまうことができた。

 外道。

 少年が自分をそうであると断ずるのに、そう時間は要らなかった。


 結局、少年は失意のうちに生き続け、青年となるよりも前に不慮の事故によってその短い生涯に幕を下ろすことになる。



 そして────


 ────この稀有な才能を、神が見逃すはずも、なかった。

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