01 TERRIBLE REUNION:ここで会ったが百年目 ①

 頭が痛い気がした。


 着慣れない学園の制服も、ガタゴトと上下に動く魔駆車の揺れも、座っているシートの革の匂いも、何なら背後の扉の向こうの運転席の方から漏れ聞こえてくる術式駆動音すらも、全てがオレの頭痛を助長している気がする。

 気分と言えば最悪も最悪で、オレの顔色は傍目から見ても真っ青だろう。

 別に車酔いってわけじゃない。

 低気圧だとか、寝不足だとか、肩こりだとかでもない。


 原因は分かっていた。

 十中八九……、


 オレの向かいに座る一人の女に決まっている。



「………………最悪だ」


「もう、いやですねえ~ご主人様! さっきからずっとそればっかりい☆」



 魔駆車はちょうど『地球』で言うところの馬車のように、御者席──運転術師席と客席に別れている。小窓付きの壁で運転術師席と仕切られた客席には、人ひとりが寝そべることができる程度の座席が二つ、向かい合わせに並んでいた。

 両脇には出入り用の扉と換気用の窓が備え付けられており、外の景色もばっちりと眺められる豪勢な仕様だったが──生憎、今のオレに外の景色を楽しむような余裕はない。


 傍にいるだけで頭が痛くなる女だった。


 上質な宝石のような桃色の髪。上質の絹みたいに透き通った真っ白い肌。笑みの形に細められた目の奥に潜む鳶色の瞳。彫像と見比べてもこっちの方が作り物だと思うくらいに生命を感じさせない、白々しい美貌。

 一目見ただけで、尊い存在なのだと分かる。美しさゆえ──ではない。それは、あくまで付加価値にすぎなかった。『存在感』が、既に人のそれではないのだ。あるいは、その『存在感』に引きずられて、オレの目にもその姿が美しく映っているのか。

 ギリシア神話の神様が身に纏っているキトンを学生服か何かみたいに着こなした不思議な服装をしているこの女は、『この世界』では昨晩初めて出会ったはずなのに、もう既に十数年来の付き合いかのような馴れ馴れしさだった。

 いや、言い換えよう。

 その一目見ただけで分かる尊さに自ら泥を塗りたくるように、白々しくオレに対して媚びた態度をとっていた。

 『慇懃無礼』。

 うわべだけは丁寧なように見えて、その実は尊大であるというその言葉にこの女以上に適した存在は、きっと三千世界のどこを探しても見つからないだろう。



「……当たり前だろうが」



 オレは一度、この女と出会ったことがある。



「もう二度と、お前の顔なんて見なくて済むと思っていたんだがな……」




 ──『この世界』、




   ◆ ◆ ◆




『突然ですが、アナタは「わたし」に選ばれました!』




 思えば、こんな胡散臭い第一声からして疑ってかかるべきだったのかもしれない。

 だがその時のオレは、人生の終わりに際してある種の呆然自失状態になってしまっていた。むしろ、人並みの受け答えをすることができていただけ自分の思考力を誇るべきかもしれないな。



『簡潔に言うと、アナタにはこれから「異世界」でいただきます。いわゆる一つの転生というわけですねえ☆ あ、転生って分かりますか? 輪廻転生。残念ながら、解脱はないんですけど』



 軽薄。

 そんな印象を見る者に与える敬語の女は、そう言って色んな情報をオレに伝えた。


 これから転生する世界には魔法という技術があること。

 魔獣という強大な生物種と人類が対立していること。

 人類の営みは複数の貴族制国家によって成り立っていること。

 魔法の教育は高等教育に分類されていること。

 ここ一〇〇年で魔法技術は目覚ましい進歩を遂げていること。

 その魔法技術によって、人類と魔獣の対立は人類側に大きく天秤が傾いていること。


 そして、転生に際して一つだけ『特典ギフト』が与えられること。


 オレは考えた。

 『己の死』という極大の衝撃によってまともな思考は殆ど死んでいたが、おそらく転生という事象が確定的となっているこの状況でオレの今後の為になるであろう選択をした。


 『特典ギフト』にも限界はある、と女神は言った。

 与えられるのは一つだけ。

 個人の範疇を超える大規模すぎる才能は魂に設定できない。

 せいぜい、目安は『プロフィールの中身を書き換える程度』。


 重ねて言う。

 オレは、『己の死』という極大の衝撃によって、思考が殆ど停止していた。──より正確には、『諦め』ていた。

 世界には個人の力ではどうにもならない大いなる『流れ』というものがあり、そんなものの前では人間の力など微々たるものに過ぎない。──その時のオレは、そんな諦観に支配されていたのだ。


 そんなオレが選んだ『特典ギフト』など、一つしかなかった。


 それは────。



「『太い実家』。ご主人様が選んだ特典ギフトなんですけど、ご満足いただけませんでしたか?」


「していたさ。あの時点ではなっ!!」



 白々しい笑顔をそのまま向けてくるクソ邪神に、オレは殆ど吠えるみたいに返した。

 ──オレをこんな世界に送り込んだ張本人である女神が何故、今こうしてオレの隣で白々しく座っているのか。その理由については一旦捨て置くとしよう。



 『太い実家』。

 それが、オレの選んだ『特典ギフト』だった。

 魔法の才能? そんなもの集団の中では多少突出している程度にしかならない。

 健康な身体? そんなもの発達しているらしい魔法技術にアクセスできる立場さえあればどうとでもなる。

 この特典ギフトという『プロフィールを書き換える程度の恩恵』で最大の『力』を得るにはどうすればいいか。

 『人ひとりの能力には限界がある』という前提に立って考えた時──オレは、こう考えた。『副次的に人ひとりの範疇を超える財産がついてくる「プロフィール」を設定すればいいのではないか』、と。

 たとえば──『生まれ』という『個人のプロフィール』を指定すれば、自動的に『生まれた血筋』という、人間が一〇〇年かけても手に入らない『個人以上の力』がついてくることになるのではないだろうか。

 それは、どんな反則チートじみた特典ギフトよりもよっぽど強力だ──と、その時のオレは思っていた。


 もっとも、そんな諦観から生まれた薄弱な思惑は、現実という分厚い壁に阻まれてあっさりと瓦解したが。



「まぁ、しょうがありませんよね。ご主人様……女の子になっちゃってますもんねえ……☆」



 含み笑いをしながら、女神はオレの胸元あたりに視線を落とす。

 学園指定の制服は、男性では有り得ない柔らかな膨らみによってずっしりと押し上げられていた。


 この世界に転生することを決めた少年オレは──今は、少女となっていた。


 これが、オレの第一の誤算。

 オレの生まれたフィリデイ辺境伯は、代々女系の一族。八代前まで遡っても女しか生まれておらず、婿養子をとっている。そんな家に生まれたオレもまた当然ながら女として生を受けていた。

 辺境伯ということで中央政治とも距離を適当に距離を置いて独自の地方政治によって発展してきたフィリデイ辺境伯領は政治的にも安定しており、広大な領地を持っている為経済的にも十分安定している。『太い実家』というオーダー自体は満たしているのが、なんとも腹立たしかった。



「…………そこは良いんだ。もう、慣れた。色々と……。色々と、な」



 怨嗟が口を突いて出そうになる過去のあれそれを無理やり呑み込み、オレはそれだけ吐き捨てた。お陰様で、今となっては女として外面を取り繕うのもお手の物だ。本当に呪ってやる。

 ……まぁ実際、他の誤算に比べればこの誤算なんてものは誤差に過ぎない。



「お前がオレをハメやがったことに比べれば、まだマシだ」


「やだなあ。人聞きが悪いですよ、ご主人様! ただちょーっと……『危険が多い』だけじゃないですか☆」



 第二の誤算。

 それは、社会情勢だった。

 確かに、女神は『人類と魔獣が対立している』とオレに説明していた。それに、『人類と魔獣の対立は人類側に大きく軍配が上がっている』とも。

 オレはその説明を聞いて、『なるほど、身の危険とかはそんなにないんだな』と了解していた。確かにその通りで、今やこのアンガリア王国では魔獣の危険など絶えて久しい。護衛代をケチった馬鹿な商人の魔駆車が魔獣に襲われただとか、そんな些細な事件くらいしかないほどだ。


 だが、たとえ魔獣の危険が薄れたとしても、人間が手にした武力がその瞬間消えてなくなるわけじゃない。

 振り下ろす先を失った拳を持つ者は、やがてはその拳をを探し始めるものだ。


 ……ああ、そうだよ。

 だがそれは同時に、人類が魔獣と渡り歩く為に磨き上げた牙が、人類自身へと向けられる始まりでもあったんだ。


 ──結論から言って。

 人類は今、魔獣から勝ち取った平穏の中でのイニシアチブを巡って、血みどろの内ゲバの真っ最中なのだった。



「ちょっと? ちょっとだと?」



 さらに言えば、今言った『魔獣の危険』の根絶は──ぶっちゃけた話、でしかない。

 人類の生存圏の外側ギリギリでは未だに魔獣による被害が頻発しているし、都市に大規模な被害が発生した例だってある。

 そう例えば──人類圏と魔獣圏の境界線にある辺境伯領とかでは特にな!!!!



「辺境伯!! つまり『人類圏』と『魔獣圏』の境…………最前線もいいところじゃねえか!! 外側は魔獣被害! 内側は内ゲバ人類!! 二重苦どころの話じゃねえぞこの詐欺師女ァ!!!!」



 そして、最後の誤算。

 それは──オレが、そんなフィリデイ辺境伯の『長女』として生を受けたことだった。

 魔法があり、男女の身体能力差が乏しいこの世界では、男だろうと女だろうと関係なく『長子』が家を継ぐのがならわしだ。

 ちなみに、オレには兄も姉もいない。なので当然ながら、フィリデイ辺境伯の家督は何も無ければオレが継ぐことになる。


 つまり、このままいけばオレに訪れるであろう運命を簡潔にまとめると。


 長子として望まぬ相手おとこを婿に迎えて世継ぎを作り。

 辺境伯領という対魔獣戦線の最前線で戦い続け。

 かと思えば大領地の領主として内ゲバ人類どもに食い物にされないよう腹芸を繰り広げる。

 そんな一生を送らなければならないわけだ。


 ──次期辺境伯、アルマ=イクス=フィリデイ。それが、この世界における『オレ』の立ち位置である。


 ちなみに、過去に魔獣との闘いの日々が嫌で逃亡したご先祖様も家の歴史には残っている。醜聞だから外部向けには抹消されてるけど。ちなみにその人の命も抹消されてるけど。ちくしょう明るい未来が見えないぞう。



「はて。ご希望は満たしていますしい、嘘は吐いていませんしい、フィリデイ辺境伯は成立以来四〇〇年国を守り続けて王家からの信頼も篤い『実績』ある一族じゃないですかあ☆」


「歴代当主の死因は八割がた対魔獣戦での『戦死』だがなァ……!!」



 そんな負の『実績』は要らねえんだよ!!


 ──オレは知っている。この邪神が、オレを見て開口一番に『堪えきれない』とばかりに噴き出したのを。

 ここまで言えば、誰でも分かるだろう。

 コイツは、あくまでもオレのことを陥れる為に転生という壮大な罠を仕組んだ。オレが、オレの為に、最善の選択をしようとして──この上なくオレの首を絞める顛末に結び付くよう、あえて情報を歪め、オレのことを誘導したのだ。

 ……チャンスを与え、それをふいにする様を眺めて楽しむ。なるほど、いかにもたちの悪い邪神らしい趣味の悪さじゃないか。



「ハァ……なんでこんな邪神が」


「邪神じゃありませんってえ。ちゃんと『召喚』のときに名乗ったでしょう? 『デーア=レプリカ』、気軽にデーアとお呼びください……って☆」


「……なんでこんな邪神が、オレなんだろうな…………」



 『も~!』という邪神の白々しい声を無視して、オレは魔駆車の車窓から見える森を眺めていた。

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