目の寄る所へは玉も寄る


まさかここまで来る馬鹿がいるとは、不用心にしていた自分が情けない。


僕は街のホームセンターで監視カメラを二十台買って、それを屋敷中に仕掛けた。


両親が医者だったことがあり金には困らない。


時々、両親の職場の人間から電話が来たり屋敷の門まで来たことがあったりしたが、旅に出たとか遠くに行ったとか言って誤魔化していたら諦めてぴたりと来なくなった。こう諦めがいいとなると、父さんと母さんは職場で好かれるタイプや必要とされる人ではなかったらしい。


一日のほとんどをモニター画面の観察に費やした。父さんと母さんの世話を見ているどころじゃない。


あの男が大勢人を連れて屋敷にやって来る気がして、夜も眠れない。首が取れかけた父さんを見られてしまったのだから。


ナイフ、包丁、斧、金属バット、ハンマー、チェンソー。ありとあらゆる武器を屋敷中からかき集めて装備する。


いつでも来い、こちらの準備はできている。


敷地内に入った人間は皆殺しにしてやる勢いだった。


ある日の午後、玄関の上に設置した監視カメラが人物を映した。


男だ、ついに来た。


ゴキブリホイホイや害獣を捕まえる罠を見習って、わざと門の扉を開けておいてやった。


僕は武器を抱えてそっと玄関まで歩いた。ドアを思いっきり開けたら、喋れないよう真っ先に喉首をかき切ろう。力が抜けて膝まづかせたら斧の背で頭を殴って、気を失わせて中に引きずり込もう。


向こうに知られないよう、そっとドアスコープを覗く。


しかし、相手は先日屋敷を覗き見た男ではなかった。


相手が誰だかわかった瞬間、僕は激しい物音を立てて武器を全て床に落とした。


「誰かいるのか?」


男は中に人がいるとわかり、玄関のチャイムを押した。


「兄、さん…?」


僕は小刻みに震える指先で鍵を開けた。ゆっくりとドアを開けると、相手と目が合った。


面影のある顔、声。八年ぶりに再会したその人は、間違いなく兄さんだった。


僕は嬉しくて嬉しくて、すぐにでも兄さんに飛びつきたくなったけど、あの日出て行った時の辛烈な言葉が蘇り、急激に気持ちが下がっていった。


ナイフの先端を兄さんに向ける。


「…今更、帰ってきたの?」


ドアを半分くらい開けたまま、兄さんを睨めつけた。兄さんは困ったように微笑んだ。


「俺のこと覚えてくれてたんだな、灯也」


灯也。ふと誰の名前なのかわからなかったが、それは久しく誰にも呼ばれなかった自分の名前だった。


実の親に化け物と罵られた日々のせいで、自分の名前をすっかり失っていたのだ。


「兄さん。本当は、ずっと、会いたかった」


兄さんに名前を呼ばれた瞬間、僕の目から涙が止まらなくなり、気がついたら外に飛び出して兄さんに抱きついていた。


やっぱり、僕には兄さんしかいない。


屋敷を出ていく間際に放った台詞を、兄さんは後悔して謝ってくれた。それだけで僕は満足だった。


ちっとも掃除をしていない屋敷を、せっかく帰ってきた兄さんに見せるのは恥ずかしかった。前もって連絡をくれればいいのだが、外部と一切断ち切るために電話線を切ってしまったのだった。


「雇い人を断ってからこの有様だよ。僕もね、掃除をしなきゃと思っていたんだけど、父さんと母さんの面倒と、屋敷の監視で忙しくて…」


「父さんと母さんはどこに?」


「ごめん、ずっと部屋に置きっぱなしだ」


ねずみのフンや虫の死骸が床にべったりと張り付いて異臭が充満していた。僕は慣れっこだけど、兄さんは鼻をつまんでは時々吐きそうになっていた。


唯一綺麗にしてある僕の部屋に招き入れると、兄さんは絶句した。


首が取れかけていてなおかつ手足を失った父さんが仰向けに転がっていて、同じく手足ない母さんはうつ伏せで転がっている。その周りで切断された手足が三つ動き回っている。僕はもう見慣れた光景だが、常人にとっては嘘のような光景だろう。


「兄さん聞いて。僕には不思議な力があるんだよ。身体の一部が切り離されたり取り出されたりしてもね、そのまま機能し続けることができるんだ。出血し過ぎると死んじゃうんだけど。僕勉強をたくさん頑張ったんだ。父さんと母さんの世話もしてたし、屋敷も守ってた。だから怒らないで。お願い」


てっきり怒られると思った。勘当されたとはいえ、父さんと母さんだ。世話をちゃんとできなかった僕に怒鳴りつけるんじゃないだろうか。


「そ、そうだ! 見てよ、この花瓶にさしたポピー。根が他の場所で生きてるからもうずっと咲き続けているんだよ」


机の上に飾ったポピーの花を兄さんに渡して見せた。これで機嫌が直るといいが。


「その力の話、詳しく聞かせてくれないか?」


兄さんは机に腰掛けて僕の力のことを聞いた。父さんと母さんのことは大して気にしていないらしい。ほっと胸を撫で下ろす。


これまでの経緯を一から説明する。宝石と呼んでいる人の目を集めていたことも、えりな姉さんの目を傷つけたことも、父さんと母さんが僕を殺そうとしたことも、男が屋敷にやって来た時に母さんの手がなくなったことも白状した。


どれもこれも疑うことなく、真剣に話を聞いてくれて嬉しかった。


「宝石箱はどこに?」


僕は棚の上を指した。見るか聞くと、兄さんは嫌な顔をして断った。


力のことについても全て話終えると、兄さんは予想外にも大喜びしていた。小説がどうとか、怖い話がどうとかぶつぶつ言っていたけどよくわからない。


「いいか、灯也。お前の力は世の中のために使うべきだ」


「世の中の、ため? 僕のためじゃなくて?」


兄さんは僕の両肩を力強く叩いた。


「お前のためにもなるんだよ。お前も医学を勉強してきたからわかるだろう。人の身体の一部はな、罪を犯すんだ。万引きをしたなら手を、詐欺をしたなら口を、強姦したなら陰部を切り取れ。そうしていけばどんどん世界が平和になる。平和になればお前は誰かに傷つけられなくて済む。皆優しくなるからな。きっと犯罪者が減れば皆が喜びお前に感謝する。これまで独りでよくやったよ。これからは俺の言うことを聞くだけでいい。なぁに、もちろんお前の言うことは俺がきく。母さんの手も見つけ出してやるさ」


兄さんの言葉がとても心に染みて、僕の目から大粒の涙が流れた。この力を認めてくれて、役に立てるようにアドバイスをくれる。なんて存在意義だろう。生まれてきてよかった。


僕は床に転がる母さんの頬にキスをした。


「ありがとう兄さん。じゃあ僕はまず何をすればいいんだろう? どうしたら人の役に立つかな?」


「そうだな、俺にいい考えがあるんだ」


兄さんの言ういい考えは、僕の片方の目と兄さんの片方の目を交換することだった。そうすれば僕は兄さんの世界を、兄さんは僕の世界を見ていられる。一心同体になれるんだ。


できるだけ兄さんに痛みが伴わないように、父さんの部屋の薬品棚から麻酔と注射を準備した。こういう時医者の勉強をしておいて良かったと思う。


僕は痛みに鈍感なので麻酔を使わず目を定規で摘出した。


お互い摘出した目を、お互いの窪みにしまい込む。


こうして僕らの目の交換が終わる。


「どうだい兄さん。目の具合は?」


「すげえ、まるで二台のテレビを同時に観ているみたいだ」


兄さんは感動していた。すぐに順応できたようだ。


僕にとっては慣れるまで少し時間が必要だが、これで一何時も情報交換がスムーズにできる。


同じ景色は見えても離れていれば話をすることはできないので、兄さんは常に通話ができるようにと僕に携帯電話を預けて、自分はワイヤレスイヤホンというものを片耳に付けて、髪の毛で隠した。


例え兄さんが何気なく外を歩いていても、周りの人間には誰かと情報交換しているようには見えないというわけだ。


「さっそく、取り掛かろうか。悪いやつを見つけたらすぐに教えるからな」


それから六日間、今後の作戦について話し合った。


兄さんが悪と決めた人物を、僕がやっつける。


湧き上がる正義感は、きっと僕の新しい生活を潤してくれる。


世界中の悪を僕達の力で消してやるのだ。


✱✱✱✱✱


風間爽平の事務所ビルに行くと、すでに彼の姿はなかった。


やはりアポをとるべきだった。しかし電話で切られてしまえば接触しずらくなる。


マジックショーに新しいテクニックを取り入れてから彼の人気は急上昇したらしいが、何でも切った手が動くマジックだとか。


天宮は雨ケ谷と白藤の共通の友人である風間とコンタクトをとろうとしていた。


「風間さんは、おばけ洋館で首の取れた男を見たらしいです。被害者と同じ訴えをしています。犯人って自分の悪事がばれないようにわざと被害を演じる場合もありますから、彼も正直信用できない。目玉がたくさんあれば、また抉り出して彼に触らせたいくらいです。触ってもし目が見えたら彼が犯人だってことじゃないですか。ねえ?」


「目がたくさんあれば、私にも触らせるつもりですか?」


「さあ、どうでしょう。全人類に触らせるかも」


雨ケ谷とのやりとりを思い出して身震いする。発想がいかれている。


本当に、首の取れた男を見たのか。それに見たとしたらなぜ警察に通報しなかったのか。彼が犯人である可能性も否定できない。


「すいません、風間は不在でして」


彼は不在だった。売れっ子に休む時間はないというのか。


事務所にいたスタッフに肝試しの話を聞くが、風間からそう言った話は聞いたことがないらしい。


「風間さんはいつお戻りで?」


アルバイト風の若い女の子が困惑した様子で答える。


「それが、今日一般市民の方にマジックショーを見せた後、急に姿が見えなくなったんです。ショーが終わった後にファンの男性と話し込んでいたみたいで…」


「ファンの男性?」


嫌な予感がした。


「はい、名前はわかりませんが、近くで顔を見たので覚えています」


「この男かな?」


天宮は霧生の顔写真をアルバイトに見せた。


学校で接触した時に隠し撮りしたものだ。


「はい、間違いありません。二人でどこかに行ったのかもしれません。すいませんか行き先までは…」


元々の接点があったのか、それとも初対面だったのか。


何にせよ、今二人は行動を共にしていることはわかった。これで風間に何かあれば、霧生が黒。霧生に何かあれば、風間が黒。何もなければ、二人に別々取材をするまで。


両名に何かあれば、またスタート地点から調べ直しだ。


こうして人のことを調べつくそうとすればするほどどいつもこいつも怪しくなる。一番許せないのは、誰の目にも触れず安全な場所で悪事を働いているパターンだ。卑劣極まりなく胸糞が悪い。


「ワタクシ、風間さんを待つ間マジックショーの動画なんて見せていただけますか? ただ待っているのも退屈なので」


風間が戻るまでアルバイトに頼み込んでマジックショーの動画を見せてもらうことになった。


オフィス内パーテーションで仕切られた狭い空間に案内され、DVDをパソコンに挿入し動画をながしてもらった。さっそく若い男が出て来た。事務所の壁に飾られたポスターと同じ男、風間だ。軽やかなステップを刻みながら次々とマジックを披露する。若手でもプロ並みだ。しかしありきたりで面白みに欠ける。


例の、手が切断されても動くというマジックが始まった。布で被さる前は本人の手だが、切断されてから布が取り払われる場面をよくよく見ると、違う。細長くてしなやかで青白い肌。別の手になっている。


「なぁ、お嬢さん。このマジックはいつ頃からやり始めたんだい?」


「えっと、本当にごく最近ですよ」


「種明かし聞いてもいいかい? 謝礼はするから」


アルバイトは小声でネタばらしをした。この手はロボットで、何でも風間が特注して作らせた物らしい。台の上に自分の手を乗せて布を被せる瞬間、素早くロボットの手と置き換える。斧を振り下ろして自身の腕を切る振りをして、布を取り払えば切断された腕が動いたままという陳腐なものだった。


「でも、不思議なんですよ」


「何がです?」


「普通、自分の手と似たものを作らせるじゃないですか。それなのに風間さんは逆でロボットの手に似るために過度なダイエットやスキンケアをしていたんです。発注間違えたんですかね」


「…風間さんの商売道具はどちらに?」


天宮は立ち上がり、事務所内を探索して風間のマジック道具を探し始めた。


「ちょっと、困りますって! 風間さんのマジック道具は本人の許可が必要で、本人が見ている前でしか触ってはいけないことに…」


「あの手は? 今日使ったんだろ?」


「あれもまだ他のマジック道具と一緒にトラックの中ですよ。風間さんが帰ってこないといじることができないんですから」


霧生は手を合わせてアルバイトに懇願する。


「見るだけだ! 触らないからトラック開けてくれ。謝礼はずむから」


自分のマジック道具をトラックにしまい込んでから霧生と姿を消した。大事な商売道具とはいえ、信用するスタッフにまで触らせないのが妙に引っかかる。


謝礼を受け取ったアルバイトはしぶしぶ事務所裏にあるトラックの鍵を開けた。


「見るだけですよ、本当に」


天宮はトラックの荷台の中を確認する。そして山積みになったダンボールを片っ端から開け始めた。


「ちょっと! 触ったら駄目だって今…」


「しっ」




微かだが、ダンボールの中から爪の引っ掻くような音が聞こえた。


天宮は音のするダンボールを探し当てる。


「妙だな」


なぜか、このダンボールだけ何重も頑丈に紐で縛られている。


カリカリカリカリ。


明らかに中で何か動いている。


まるで中の物を封じ込めているようだ。


アルバイトは天宮の後ろに隠れて恐る恐る様子を窺う。


「そ、その箱が、ロボットの手が入った箱です。誤作動して勝手に動くことがあるから頑丈に縛ってるんだって風間さんが…」


天宮はゆっくりと紐解いていく。ただならぬ空気にアルバイトはもはや止める気力もないようだ。


やがて、青白い肌が顕になる。


完全に箱が開かれた瞬間、手は勢い良くダンボールから飛び出した。


「ひいっ!」


アルバイトが叫ぶ。手は真っ先に天宮の首元に飛んで、細い指先で強く掴んでいた。どんなに振り払おうとしても離れない。


「何なんだ、くそっ!」


天宮はズボンのポケットに入っていたボールペンで手を思い切り突き刺した。すると次第に力が抜けて天宮の首からぽとりと床に落ちた。


二人は、その光景に息を飲む。


ボールペンの刺さった箇所から、血が滲み出ていた。未だに手はぴくぴくと動いている。


「これが、ロボットだってのか? 」


伸びきった爪、明らかに焼かれた切断面、鉄の臭い、ボールペンで刺した時の感触。


「これは、人間の手だ」


それを聞いたアルバイトはショックでその場に倒れ込んだ。


手が切断されてもなお動いている。出雲の事件と同じ現象だった。


一体、誰の手だ。女性なのは間違いないが、手を切断された事件など過去にあっただろうか。


これではっきりした。風間は眼球盗難事件に関与している。


霧生と向かった先は、恐らくおばけ洋館。


今そこに行けば、加害者側から真実を口にするはずだ。


雨ケ谷の母親の眼球も、被害者達の眼球も、必ずそこにある。











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