網の目に風たまる



父さんと母さんの世話を始めてから結構経った。


朝起きたら二人の食事を作り食べさせる。


母さんは咀嚼も嚥下もする気力がないからドロドロにして流し込むのだけれど、上手くいかない。


首を切断されて皮一枚の父さんの場合、口に食べ物を流し込んでも胃に届かないから味だけ楽しんでもらって吐き出させる。しかし多少は切断部から盛れだしてしまう。焼きが甘くて完全に塞がっていなかったようだ。栄養がないと死んでしまうため胃に穴を空けて管で食べ物を流し込んだ。


二人を交互に風呂へも入れたし、排泄物の処理もした。大人二人分の世話は本当に骨が折れる。


小さい子どもを世話する方が随分楽なのに、二人はそれを僕にしなかったのだなとしみじみ思う。


時々要領の悪さに苛立ったり面倒くさい時がある。そういう時は床に転がせたりソファに座らせたりしてしばらく放置した。でも衰弱してしまうので仕方なく世話をする。


もう一人味方がいたらありがたいのに。


この間はじれったくなって暴れてしまい、棚の上にあげた宝石箱を落として中身があちこちに散らばったことがある。


二人の面倒を見ることで外へ宝石を取りに行けなくなった。もう半年くらい前が最後だった。


これは禁煙や禁酒の類と同じで、依存的なものなのだ。急に辞めてしまうことでストレスがかかり短気になる。


厄介事もどうにかしなくてはいけないのでとても忙しい。


雇い人全員を首にしてから庭の雑草は伸び放題、屋敷は荒れ放題。人が住んでいないと思って肝試しに訪れるバカな奴が増えた。


厳重に鍵をかけて、カーテンを締め切った。さすがに窓を割ったりドアをこじ開けたりするまで入る度胸のある奴はいない。


しかし、うっかり僕はリビングの窓を閉め忘れたことがあった。度重なる疲労のせいで注意力が鈍り油断していた。


「うわああああああああああっ!」


外から人の声がした。リビングの方だ。僕はナイフを持って急いで声のする方に走った。


男が一人、窓の外から中を覗いていた。懐中電灯で僕の顔を照らす。ソファに座らせていた父さんも見つかった。


まずい。


窓から飛び出した僕は逃げていく男を懸命に追いかけた。屋敷の秘密を人に知られた。あいつを殺さないと平凡な生活がおしまいだ。


男はうまく逃げた。こんなことなら屋敷の周りに電気柵や罠を仕掛けておけば良かったんだ。


きっと言いふらされて近いうちにわんさか人が集まってくる。その前になんとかしなくちゃ。


僕はさっそく父さんと母さんを地下室に隠した。切り取った手足もここに隠しておこう。


あれ?


足が四本、手が三本しかない。それまで手足達にはカラフルなリングを付けてそれぞれ名前を付けていた。這いずって自由にさせていたのだが、一本足りない。母さんの右手がない。


ポチという名を付けた右手がいない。屋敷のどこにもいない。


まさか、窓を開けていた時に出ていってしまったのでは。


僕は庭の草むらを必死で探した。勝手に動く手なんて誰かに見つかったらどうしよう。僕はどうなってしまうんだろう。


そうやって怯えた毎日を過ごした。けれど、人が集まってくることはなく、静かに暮らすことができた。


屋敷にやって来た男は、誰にも喋らなかったんだろうか。


何にせよ、助かった。これでまた生活を続けられる。


男の顔は覚えた。街中で見かけるようなことがあれば、ただじゃおかない。


✱✱✱✱✱



天宮との遭遇で霧生の心は落ち着かなかった。


何かを知っているあの卑しい目。出雲の傷害事件の加害者だと疑われている。しかし同時刻に雨ケ谷と一緒にいたというアリバイがある。後ろめたいことはないし、裁かれることもない。わかってはいるのに、妙な胸騒ぎがする。


唯一落ち着いて過ごせるアパートの部屋でも、常に誰かに見張られている気がして、カーテンを閉めて布団を被り身を隠した。


霧生は震えた。怯えているわけでも、恐怖を獲得したわけでもない。


自分が、サスペンスドラマやホラーゲームの主人公になった気になって、興奮していたのだ。


彼の図太い神経は握ったペンを離すことはなく、布団の中で目を凝らしながら怖い小説を白紙に書き綴る。


空白が全て文字で埋め尽くされた頃、新しい紙を取りに机へと歩いた。


ふと、脇に置いた仕事用鞄の口から紙がはみ出ているのを見つける。それは一枚の鮮やかな彩りのリーフレットだ。緊急招集で学校の職員室に集まった時、帰り際に稲垣から渡された物だった。


「さっき失礼なことを言ったお詫びです。弟の友達がマジシャンをやっているんです。今度公共施設の一室を借りてマジックショーをやるって。気分転換になるかはわからないけど、良かったらどうぞ」


謝罪のつもりらしい。気が立っている霧生に配慮してわざわざそんなものをくれた。


「弟さんの友達って、前に言ってたお化け洋館に肝試しに行った子ですか?」


「…そうですけど、あくまでこれはマジックを見るためにあげるんです。怖い話のネタを聞くために行っては駄目ですよ」


稲垣にはそう念を押されたが、こんな物をくれなくても、最初から彼女の弟の友達に会って話をするつもりではいた。


肝試しに行った屋敷で、何を見たのか。持ち帰った物はないのか。


リーフレットに顔写真と名前が載っている。


きりっとした好青年だ。まだ二十歳と若手だが賢そうな顔をしている。経歴を読んでみると、テレビ番組にも出たことがあるらしい。


名前は風間爽平かざまそうへいといった。芸名なのか本名なのかはわからない。



マジックショーが開催される日、霧生はリーフレットを持参して公共施設に向かった。


意外にも客足が多く、部屋の前には行列ができていた。彼には女性ファンが多いようだ。風間爽平と書かれデコレーションされたうちわまで持ってきている女の子がいる。まるでライブハウスだ。


やっと時間になって部屋の中へ人が流れ込む。霧生は控えめに後ろの壁に背をもたれてライトアップされた豪華なステージを見つめた。


「お集まりの皆さん、長らくお待たせ致しました! 一流マジシャンの風間爽平です! それではどうぞ!」


テンポの良いBGMが流れ始めた。


司会進行と共に派手な衣装を纏った風間がステージに姿を現した。途端、黄色い声が部屋の中に響く。


彼はまず、帽子から鳩を出したり口から何枚ものトランプを出したりと初歩的なマジックから始めた。ぶれがない、鮮やかな手業だった。


「皆さん、今日はお集まり頂いてありがとうございます! 風間爽平のマジックショー、ぜひ最後までご覧ください!」


それから約一時間、時には観客をステージにあがらせて一緒にマジックをして、時には種明かしを取り入れてあっという間に終盤を迎える。ショーが終わったら風間とどうやってコンタクトを取るか、霧生はそればかりを考えた。


「では、最後のマジックになります。最後は、『Free-moving hands 自由に動く手』です!」


テーブルの上に自らの右手をかざし、赤い布で隠す。風間は躊躇った演技をしながら左手に持った斧を振りおろし手首を切断した。


BGMは荒々しくなり、観客も息を飲む。


風間は絶叫して、苦悶な表情を浮かべながらも赤い布を取り払って右手を顕にした。


女性は悲鳴をあげ、子どもは泣き出してしまう。


テーブルの上には、切断された右手が未だに指を動かしていたのだ。


断面図はこちらから見えないが、血は出ていない様子だ。


やがて観客に笑いが生まれた。あれは作り物だ、ロボットだと種がわかり馬鹿馬鹿しくなって皆笑った。


だが霧生だけは、笑わなかった。


瞬き一つせず切断された右手を凝視する。


やがて拍手喝采に包まれ、風間は丁寧に頭を下げる。幕がゆっくりと下り彼の姿を完全に隠したところでマジックショーは終わった。



客達が外へ出て行く流れに逆らって、霧生は幕の向こう側にいる風間の元へ急いだ。


ステージから荷物を片付けたスタッフが出てきて、続いて風間が布を被せた物を持って姿を見せた。


霧生と目が合った瞬間、彼の表情が強ばった。サインを求めれると勘違いして疎ましく思ったのだろうか。


それとも、やましいことがあるからなのか。


「初めまして、素晴らしいマジックをありがとうございます」


声に反応したように、彼の持つ布を被せた何かが動いた。


「これ、さっきのマジックハンドですか?」


「え、ええ…。良くできたロボットでしょう?」


「ロボットなんですか、すごいなぁ」


霧生が手を伸ばしたと同時に、風間はさり気なく商売道具を遠ざけた。詳しくは企業秘密ということなのだろう。


「申し遅れました。私は霧生一閃と言います。実は××高校の教師をしています。風間さんの友達のお姉さんが同じ学校の教師でして、マジックショーのことを教えてもらったんですよ」


風間は眉をひそめ、目を泳がせてから「あぁ」と思い出したように言った。


「稲垣実雷さんですよね? お姉さんというか…まぁ、いいか。…どうもこの仕事をしていますと友達が増えまして。おかげでたくさんの人に宣伝できています」


初めは彼のファンだった者が友人へと関係が変わるのはざらにあるらしい。声のトーンが穏やかで人を居心地よくさせ、おまけに優男でマジックができるなら人望は大いにある。


「羨ましい、ぜひ私とも友達になっていただきたいですね」


霧生がふざけてそう言うと、風間は苦笑いをした。


「…あ、あとこんなことも聞いたんですよ。風間さんが肝試しに行った話」


風間の瞼がぴくりと動く。彼の持っている商売道具に被せられた布が、はらりと落ちた。


滑らかに動く細長い指先。血管の浮きでた手の甲。皮膚の色は白いが、うっすら赤い血が通っている。親指の付け根に古い火傷の跡があった。


どこからどう見ても本物の人の手だ。


そして、見覚えのある手。


風間は慌てて布を拾いあげて再び商売道具に被せた。


「私、趣味で小説を書いているんです。よろしければ参考に肝試しに行った時の話を聞かせてほしくて」


「ちょっと待ってください」


風間はスタッフから離れた場所に霧生を誘導する。二人は部屋の隅で話をした。


「どこまで聞いたんですか?」


「えっと、花見丘に建つおばけ洋館へ肝試しに行ったら首が半分切れて、頭が取れかけた人間を見たと」


「誰にも言うなってあれほど言ったのに…」


風間は苦虫を噛み潰したような顔で呟いた。


そして堂々と開き直る。


「たぶん、幻覚だったんです。それか人形。このこと言いふらさないでくださいよ。立場上ばれたら大事なんですから。二度と肝試しなんてしませんし」


「もちろん、言いふらすことはしませんよ。そしたら住宅侵入罪と窃盗罪になりますからね」


霧生の一言により、風間の顔色はみるみる青くなっていく。


誰にも打ち明けていないはずの、もう一つの罪を指摘されたからだ。


「せ、窃盗、というのは?」


「とぼけても駄目です。あなたが今ここに持っているんですから。人の手を」


すっかり紫色になった唇をパクパク動かし、言い訳を考えているようだったが結局風間は観念して経緯を小声で話した。


友人に唆されてほんの興味本位でおばけ洋館へ肝試しに行った。マジックショーの合間で使う話の種にするつもりだった。


庭から屋敷内を見た。カーテンと窓が半分ほど開いていたおかげで中の様子がわかった。


そこはどうやらリビングのようだが、物は散乱し埃臭く虫が飛び交っていた。とても人が住める環境ではないのだが、ソファの上に腰をかけている人影があった。


それは、皮一枚で首がやっと繋がった男だった。


悲鳴をあげてしまうと、何者かの足音が近づいてきたので本能的に逃げ出した。その人物の顔を懐中電灯て照らしたが、部分的にしか見えなかった。もしかしたらこちらの顔を見られたかもしれない。


無我夢中に走って、ようやく一息ついた時、腰の辺りに重みを感じた。


切断された人の手首から上が、しっかりとベルトに掴まっていたという。


パニックにはなったが、自宅に持ち帰って冷静さを取り戻した風間は、これを使ってマジックショーをやろうという提案にいきついた。


あまりの恐怖で頭が混乱していたのかもしれない。


意外にもマジックは上手くいき、すっかり十八番となった。


「なるほど、あなたの持っているその不思議な手のことは警察に言わず、商売道具にしていたわけですか」


風間は頷いてから涙目で懇願する。


「どうしてあなたが、この手のことまで知っているのかは、わかりません。僕は、手のことは誰にも言っていないのに。もしかして、屋敷にいたのはあなた…」


言いかけた言葉を遮って霧生は耳打ちをして、真実を伝える。風間は震え出し、大切な商売道具を床に落とした。その音に反応して、スタッフ達は不思議そうに二人の様子を見た。


「かの有名マジシャンが二つの罪を背負っているなんて、ファンや世間がどう思うか…」


風間は、落とした商売道具を拾うふりをしながら土下座に近い格好をした。


「…お願いです。何でもしますからこのことは誰にも、言わないでください。お願いします…どんなお詫びでもします」


「お詫びねぇ。じゃあ」


霧生は弱々しくなった風間を見下し、少し得意になってから秘密を漏らさないための条件を突きつけた。


「私と一緒におばけ洋館に行ってください。そうすれば黙っていてあげましょう。その手は見なかったことにするのであなたの物です。もしかしたら新たな商売道具が見つかるかもしれませんよ。一石二鳥です!」


霧生は満面の笑みで風間と切断された人の手と握手を交わした。


切断された人の手は、まだ生暖かくそっと霧生の手を握り返していた。





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