餓鬼の目に水見えず


そもそも、僕にとっての医学は人がどんな仕組みで生きて何をすれば死に、どこをどうすればギリギリの状態で生きていられるのかという学習だった。


でも、こんなに早く役立つとは思わなかった。


後を追ってきた父さんと母さんはうめき声をあげながら床に横たわっている。


待ち伏せして身を潜め、二人の首元を包丁で刺したのだ。夜目がきく僕にとって、刺す場所をとらえるのなんて簡単だった。


刺したといっても頸動脈を狙って致命傷を与えたわけじゃない。血管を裂けてちょうど真ん中に包丁を突き立てた。後頚部まで貫通してしまったけれど。


上手く呼吸ができずに苦しそうだ。チアノーゼが起きて唇が紫色になっている。


さっきの僕だって苦しかったんだ。自業自得さ。


どんなに酷い仕打ちを受けていたにしても、実の両親を殺すのは忍びない。


忍びないのだけれど。


気になる実験はあった。僕のこの力がどの段階まで通用するのか。


もしかしたら二人共死ぬかもしれない。でも医者になってほしいと言うなら、跡を継いでほしいと言うなら仕方がない。身をもって教材になってもらおう。


「んんんーーーー!!ふーーー!!」


人の筋肉や骨は硬い。包丁なんかで切断はできない。僕は外の小屋からノコギリを持ってきてまず母さんの手足を切り離した。切断部からの出血を止めるためにバーナーで焼いた。失血すれば本体が死んで、本体が死んだら離れた手足も動かなくなる。


止血は上手くいった。


予想通り、切り離した両手両足はバタバタと動き続けている。ちょっとしたお化け屋敷に使えそうだ。


あとは首の傷を縫って放置した。ちょっとした、手術だ。しばらくは苦しいだろうけど、母さんの生命力を信じよう。


次に父さんの首を切り始める。もし、首と身体が離れても別々に動き続けるだろうか。一番気になるところだ。


皮一枚を残して急いで切断部をバーナーで焼いた。出血が多いとさすがに死ぬ。器用に、慎重にやらないと。


だらんと頭部は落ちて胸についたが、父さんは変わらず目を瞬かせていた。


なんて凄い力だ。この状態でも生きているなんて。


でも逃げられたら困るので母さん同様に父さんの手足も切り離しておいた。


こうして僕だけのマリオネットが完成した。


声帯を刺された二人は声を出すこともできない。ただずっと意識はあるので死に顔よりももっと酷い絶望の顔をして脱力していた。


なんて非力で弱々しい姿だろう。子犬なんか可愛いものを愛でる人の気持ちがよくわかる。


僕はそんな二人を抱き締めて甘えた。


「父さん、母さん、これからは僕が二人の面倒を見るよ。食事も与えるしお風呂にだって入れてあげる。僕の好意に答えてくれなかったら、その時は怒るからね。やっと僕達、本当の家族になれたんだ!」


次の日から雇い人が屋敷に来ても追い出して二度と来ないよう手切れ金をたくさん渡した。もう誰にも僕達の生活を邪魔させない。


あとは、兄さんがいてくれたら心の底から幸せになれるのに。


家族四人で初めからやり直したいのに。


帰ってこないかな。


どこにいるんだろう。兄さん。


✱✱✱✱✱



眼球が狙われた傷害事件のことは前々から調べていた。記事に書いて新聞に載せたこともあった。


しかし被害者の声があまりにも小さ過ぎて、世間にその恐ろしさを伝えるのが難しい。


非人道的な加害者に鉄槌を、然るべき罰を。


警察はいつまで経っても犯人を捕まえられない。殺人事件などのもっと重大な捜査の方が優先されているようだ。


被害者団体で活動を起こすよう自身が主となって声をあげたが、被害者もその家族も命があっただけでありがたいと言って、戦おうとはしなかった。


皆、憔悴し諦めている。被害にあった娘や姉、妹、恋人が将来をどう生きるのかだけを懸命に考えている。


片目の女性が就職できるのか、恋ができるのか、結婚できるのか。当たり前のことすら躊躇って未来に怯えている。


なぜ、何も悪いことをしていないのに傷つけられなくてはならないのか。


新聞記者、天宮昇吾は怒りで震えた。


誰も立ち上がらないのなら、自分が犯人を見つけ出そう。満ち溢れた正義感が突き動かした。


「行ってくるよ」


毎朝彼は娘の遺影の前に跪き、手を合わせてからアパートを出て行く。


たった一人の愛する娘はもういない。


妻は娘を亡くしたショックで自分との諍いが耐えなくなり蒸発した。今は独りで暮らしている。


まだ二十三の若さで、娘は死んだ。眼球盗難事件とは無関係だが、目に関係することだった。


生前、大学に通いながら親には内緒で娘は高額のアルバイトをしていたのだ。どこで何の仕事をしていたのかは言わなかった。水商売ではないだろうなと詰め寄ったが、娘は大激怒してこう言った。


「常識が学べるし、アルバイト代も高いし雇ってくれる人も親切なんだから!」


結局どこでアルバイトをしているのかは妻にも自分にも教えなかった。本人が満足しているなら、干渉せず見守ってやるしかない。


それが間違いであったと早く気づけばこんなことにはならなかった。


「どうしたんだ? その眼帯は」


久しぶりに実家へ帰ってきた娘は眼帯をしていた。顔色が悪い。何かあったのではないだろうか。


「ものもらいだよ。大丈夫」


そう笑って見せるが、どこか様子がおかしい。


「それならいいが…。久しぶりに帰ったんだし今日は泊まっていけ。たまには家でゆっくり休まないと」


娘は妻と自分の間に布団を敷いて一晩泊まった。


昔、こうして三人で寝ていたのが懐かしくて思い出話をしながら眠った。


その日が、最後の親子の時間となってしまった。



突然、娘が行方不明になった。実家に泊まったのを最後に、大学の女子寮に何週間も戻っていないという。連絡も取れない。友人もどこに行ったのかわからないと言う。


死にものぐるいで探し回った。たった一人の自分の子だ。命よりも大事な存在だ。警察にも届けを出して捜索してもらった。


しかし、いくら探しても見つからなかった。


何か手がかりはないかと娘の住んでいた部屋を漁った。するととんでもない物を見つける。


クローゼットの中に牛革のトランクが入っていた。高価な物だ、それに娘にしては趣味が違う。


中を開けると、大量の札束が入っていた。五千万円はくだらない。実際に見たことがないその量に腰を抜かしてしまった。その上に一枚の手紙がある。娘の直筆サインだった。


お父さん、お母さん。急にいなくなってごめんなさい。実は私、バイト先で目を怪我してしまったの。ものもらいなんかじゃないの。失明しちゃったの。本当は子どもに定規で目を刺されて、潰れちゃったんだ。お医者さんにも行ったけど、もう駄目だって。バイトで雇ってくれた人はね、すごく謝っててこんなに慰謝料をくれたのよ。これだけあれば、借金、返せるよね。その代わり私にバイト先の場所とか、目のこととか黙っていてほしいって。その子も悪気があってやったわけじゃないと思うの。ただ悪ふざけをしただけで…。親から愛されていない子で、酷い目に合っている子なの。何度か通報したこともあるけど、あの子の親はうまく隠してしまうの。あの子を救えなかったから、これはきっと罰なのかもしれない。最初はね、片目になったことくらいへっちゃらだと思ったんだけど、人間不信になってしまってね。外を歩くのも大変になっちゃった。人の目が、怖くなった。こんなんじゃ、生きていけない。ごめんなさい。今まで育ててくれてありがとう。





天宮えりな




えりなは昔から優しい子だった。腹を空かせた同い年の子がいれば、持っている菓子を全部あげてしまったり、泣いている子がいれば一緒に泣いてやる。そんな天使みたいな娘。


父親が不甲斐ないばかりに生活には苦労をかけさせた。欲しい物を買ってやれなかったし、何年も同じ服を着させた。何百万もの借金をして、返済をしてはまた借りての生活だった。


それでも大学だけは行かせてやりたくて、奨学金制度を使って通わせた。


自分も妻も、娘さえ幸せになれれば良かったのに。


どうか、どこかで無事に生きているようにと、食事も睡眠もままならぬままま、毎日祈りを捧げた。


その行為は無駄に終わる。


一ヶ月後、山林で首を吊って絶命している娘が発見された。傷ついた目からは蛆が湧き、異臭が酷かったという。


目は、生前に鋭利なもので刺された形跡があり潰れていた。


争った形跡もなく、着衣の乱れもなく自殺と断定された。


最愛の娘の死を知った妻は気が狂って大量の札束を破ろうとした。それを天宮は止める。


「あんたは、こんな紙切れが憎くはないの!? えりなの可愛い目は、命は、こんな物よりずっと重かったのよ!」


憎くないはずがない。娘の目を傷つけて光を奪った挙句に、紙切れで解決しようとした輩。他言するなと命令したこと。目を傷つけた張本人の子。心をズタズタにされて結果的に命まで失われた。


親から愛されていない、酷い目に合っている子と書かれた遺書。虐待されているのだろうか。だが、そんなこと今は関係ない。


純新無垢な子どもが、人の目に尖った物を刺すわけがない。


必ずえりなのアルバイト先を暴いてやろうと誓った。見つけ出して、同じ目に合わせてやる。



死を覚悟したえりなの部屋はこざっぱりとしていて、アルバイト先の手がかりも一切出てこなかった。


友人関係を調べて何かえりなから聞いていないか訪ねて回ったが、誰もわからない。


高額のアルバイト代がもらえるから他人には内緒にしていた可能性がある。


貯金通帳を調べて、毎月振り込まれる金額を元にインターネットや公共職業安定所でアルバイト先を探した。


めぼしい場所を何件かリストアップして、一件一件を訪ねた。


しかし一般の素人ができることなど限られている。


パン工場を退職し、新聞記者へ転職した。人々から情報収集するのが当たり前で極自然である職に就いた。全ては、娘の身に起きた真相を知るためだ。


「すいません、×月×日に森林で首吊り自殺をした女の子について調べているんです。情報提供に御協力ください」


飲食店、塾、キャバクラなどの水商売。ありとあらゆる所に赴いて記事を書くふりをしては娘の情報を集めた。


しかし、何の成果も得られない。非公開のアルバイトだったのかもしれない。そのうち妻はいなくなり、独りになる。


彼は、諦めなかった。


児童虐待が疑わしい家を調べて実態調査もした。


少年院に行き、女性に暴行した罪のある少年達に話を聞いた。娘の名も知らず、目を傷つけた輩はいなかった。


どこにいるのかもわからないそいつは、今もなんの罰も受けずにのうのうと生きているのかと思うと怒り狂う他なかった。


何年もそうして調べてきた結果、有益な情報はなかった。


娘が一体どこでアルバイトのことを知り、どこで何をして働いていたのかは迷宮入りになった。


なぜ、泥棒のように人の幸せを盗んでいく奴がいるのだろう。貧乏でも、自分にとってはこの上ない幸せな生活だった。


やがて彼は世の中の悪を恨むようになり、身近に起きた事故や事件について夜も眠らず書き殴った。


加害者を許すな、最大の罰を与えろ。


被害者の代弁を過激な文章で表現するのが万人に受けて、天宮は出世した。だが彼にとってはどうでもいいことだった。


恐らく、この世から悪が消える日まで彼は記事を書き続けるだろう。寂しさや虚しさで深くなった心の溝を埋めるために。


そんな時、腸が煮えくり返る事件を知ってしまった。


女性の目ばかりを狙った卑劣な犯行。裏では眼球盗難事件などとふざけた名前で呼ばれている。


娘と被害者が重なった。全身を巡る血液が熱くなったように感じて、気がついたら探偵みたいな真似をしていた。


事件について調べ漁り、被害者と被害者家族と対話し、自分にできることを考えた。


少しの手がかりでも掴めれば、いつか犯人に辿り着けるかもしれない。


復讐の代行をする。それが、天宮昇吾にとっての目標であり生きがいとなっていた。


「また、目のことで話を聞きに人が来たのね」


まだ眼球を取られて一番日の浅い被害者宅を訪れた。


名前は、白藤美雪という。今年の春で高校二年になる。名前の通り、肌が白くて儚い印象がある。


「また、というのは?」


居間に通された天宮は、彼女の母親が付き添いの元話を聞くことができた。


「…マジシャンをやっている友達の友達って人が、…私に興味を持って何回か会いに来るんです。あなたみたいに他の被害者とも交流が、あるみたい。彼の、お母さんも目が悪くて長く入院してるって…」


雨ケ谷晴介という一つ年上の青年が、自分と同じように被害者に会っては対話を試みているらしい。白藤宅には一度きりではなく何度も見舞いに来ては励ましてくれるという。不思議と親近感がわいた。そのうちその青年にも会う機会があるといいが。


「私以外の、…被害者に会ったって言いましたけど、取られた目が、まだ使えているって話は聞きましたか…?」


「美雪!」


彼女の母親の顔が青くなり、慌てた様子で娘に語りかける。


「それは、そんなことは医学的に有り得ないって先生も仰っていたじゃないの。あなたの精神的なショックが生み出した妄想だって」


「お母さんは、黙っていて。…ううっ」


白藤は背中を丸めて呻き声をあげ、口を抑えたまま台所へ走った。肩を上下させて激しく嘔吐する。


母親は慣れた手つきで背中を摩り、タオルで口元を拭いてやる。依然として他の被害者にも話の途中で嘔吐する女性がいた。


水を飲んで少し落ち着いたのか、白藤はよろめきながらソファに座る。動いた拍子に浮き出たあばら骨がちらりと見えた。


「ごめんなさい、目がなくなってからこんな感じなんです。…想像できますか? すでに失った目が、どこかの景色を映し出すんです。ご飯を食べている時も、寝ている時も。…気を紛らわせなくちゃいけないから、テレビ鑑賞とか散歩とか、常に何かをやっているんです。…目がそれぞれ違う景色を映すなんて、気持ちが悪いですよ。生き地獄です」


天宮はこれまで十人の被害者へ会いに行こうとした。しかし中には取材に強い拒否があったり、入院し面会制限がかかっていたりと結局会えたのは六人。いずれも白藤と似たような発言をしている。


取られた目が、まだ景色を映し出していると。


大半の人間は彼女達が口裏を合わせているのだろうと疑うに違いない。だが被害者は誰一人として互いに面識がないのだ。そもそも口裏を合わせてでまかせを発信することに何のメリットがあるのか。自分の片目を失ったというのに。


ならば、そんな都市伝説みたいな現象を信じられるのかといったら自信がない。確たる証拠はない。真相は闇の中だ。


疑心暗鬼のままではあるが、天宮は彼女達の声にしっかりと耳を傾けている。


娘の生前、そうしてやれなかった贖罪のつもりだ。


「どんな景色が見えますか?」


白藤は考え込みながら答える。


「薄暗い、部屋があります。化学室みたいな部屋です。壁に、色んな凶器や器具みたいなものが、あります。私の目は、…水の入ったガラス瓶に入れられていて、プカプカ浮いています。浮遊感が常にあるから…気持ちが、悪いです。時々、黒一色の人が部屋に入ってきます。…体格から、男の人だと思います。きっと、この人が、私の目を奪ったんでしょう」


白藤は小刻みに震え始めた。明らかに彼女は目の前にいる何者かを恐れている。正面で唖然としている天宮など見えていない。


「顔は? 見えませんか?」


「フードを深く被っているし、…前髪が長くて、マスクも付けているから見えません。でも、時々二体の人形を引きずって、持ってきます。…不気味だけど、まさか、死体では、ないと、思いますが…いや、もしかしたら…」


白藤は大量の冷や汗をかいていた。ソファの背もたれに身を預け、長く息を吐いた。


「すいません、これ以上話すのは娘の体力が…」


母親が止めに入ったところで取材は終わった。


警察、マスコミ、自宅に訪ねて来た者に何度もこの話をしてきたというが、体力を削ってまでの必死の訴えを誰が信じてくれただろうか。きっと、頭がおかしいと鼻で笑われたに違いない。


「白藤さん、今日はありがとうございました。ゆっくり休んでください」


「春には、学校に行くつもりなんです。…将来が、ありますから。勉強、しなくちゃ」


彼女は、世界中を旅する写真家を夢見ている。


しかし、夢が叶ったとしても、このままでは美しい景色の片隅に、黒く汚れた景色が付き纏うのだ。


それから半年以上が経った。風の噂で、白藤の精神が壊れ、入院したと聞いた。


女性の目を狙った傷害事件は白藤を最後に途絶えたが、とある高校の男性教師が両目と口を抉り取られ、公衆トイレに捨てられていたという事件が起きた。同日、その学校の男子生徒が自らの片目を手で摘出したらしい。


男子生徒の名は、雨ケ谷晴介。白藤美雪の知人だ。



プロの記者ならあらゆる職種から情報を得ることなど容易い。


雨ケ谷が運び込まれた病院を突き止めて、事件翌日にはさっそく足を運んだ。


別の階では目と口を抉り取られて意識が朦朧としている出雲が、面会謝絶で治療を受けている。世間は夏休みだというのに悲惨な目にあったものだ。


女性の目を狙った犯人と同一人物の仕業だろうか。それとも別の事件に巻き込まれたのか。


気になるのは、切り離された唇が動いていてひゆうひゆうと話しているようだったという噂だ。すでに再建手術をした後では、目視することは叶わない。もし、本当の話だったら、神経の繋がっていない口がどうやって動いたのか。ひゆうとは、どういう意味なのだろうか。


記者ではあるが、ずば抜けて頭がいいわけではない。奇っ怪な事件ほど考えることが多くて頭を悩ませる。


雨ケ谷晴介。彼が運び込まれた昨夜は意思の疎通も不可能で暴れまくり、医療従事者を殴ったり蹴ったりしてそれは大変だったらしい。一晩過ぎた今では、鎮痛剤が効いているのか落ち着いていて拘束もされていない。


ただ、摘出した眼球は治せない。何度も地面に落としたせいで潰れてしまった。


食事、排泄以外は個室の病室のベッドで過ごしじっと静かにしているらしい。人に害を加えることもない。


「精神科の先生がカウンセリングをしても黙っていて答えてくれないんです。搬送に付き添っていた学校の先生も、なぜ雨ケ谷さんがこんなことをしたのかわからないって」


病棟の看護師は哀れみを込めて言った。雨ケ谷の母親は精神科に長いこと入院。父親は蒸発。身内は叔父夫婦しかいない。


昨晩、一体何が起きたのか。


新聞記者が自分を見舞いに来たと看護師から告げられた彼は、幸いにも快く面会を許した。


病室に案内されると、雨ケ谷はベッドの上でじっと座っていた。天宮の姿を確認すると、無表情のまま頭を下げた。


「初めまして。天宮昇吾と言います。君のことは、白藤美雪さんから聞いていたよ」


雨ケ谷が看護師に退席を促したため、二人きりで話をすることができた。


天宮はベッドサイドのパイプ椅子に腰掛けた。


「白藤さんとは、どうして?」


「女性の目ばかりが狙われる事件について調べていたんだ。君もそうだったんだろう? きっかけは、なんだい?」


雨ケ谷は答えに困って何かを言いかけては口を閉ざしてしまった。


「申し訳ない、記者であるがゆえの悪い癖が出て質問攻めにした。だけど今は一個人として話を聞きたいだけなんだ。聞いたことは記事には書かない。約束する」


雨ケ谷は安堵したように少しだけ微笑んだ。


「何から話せばいいのか…」


話を聞くうちに、自分と似た境遇であることを知った。



彼もまた眼球を盗まれる事件について調べていた。


驚異的だが、母親の眼球の行方を探しているという。


昔、事故にあってこぼれ落ちた母親の眼球を何者かが持ち去ったこと、母親の眼球は、まだ生きていてどこかの景色を映していることなど、これまでの経緯を教えてもらった。もはや偶然の一致で片付けられない展開となった。自らの眼球を自らで取り出した青年だ。普通の頭じゃないのかもしれない。


それも決して幸福といえない少年時代を過ごしたせいだろうか。


「眼球を奪われる事件の被害者も、母と全く同じ症状を訴えていることを知りました。個人情報もくそもないですよ、ネットで調べれば、被害者の関係者が面白がって情報を書き込みして、やがて多くの人に拡散される。悔しいけど、僕はそうして得た情報を元に、被害者達に会いました。天宮さんみたいな大人で被害者の声を世間に知らせる仕事に就いていたら、追い出されることはなかったでしょうね」


十代の高校生だということ以外何者でもない青年が一人、被害者宅を訪れればただの興味本位のためだと思われても仕方がないだろう。酷い時は酒瓶を投げつけられて怪我をしたそうだ。


「白藤美雪さんは、友達の友達で被害者の中では一番身近な人でした。彼女は僕と話すことを快く承諾してくれて、何度も状態を見に家を訪ねました。彼女の目は犯人のいる場所のリアルタイムを映している。それを僕に教えてくれていたんです」


「…犯人がどこの誰なのかわかったのかい?」


雨ケ谷は自信なさげに頷く。


「犯人がまだ顔を隠していなかった頃、母から顔の特徴を聞いていました。目や鼻や口を雑誌などから切り取って顔を作ってそれを元に探しました。そして、ようやく見つけたんです」


犯人と思わしき人物と、白藤を会わせてみた。しかし、その人物は顔色一つ変えず平然としていた。白藤も同様に何の反応もない。犯人の顔を見ていないのだから仕方がない。


しかも白藤は一緒にいる際、男女の死体と暮らす男に怯え、やがて発狂した。精神の限界だったのだろう。以前、男女の人形について言っていたことを思い出す。あれは、人形ではなく、人間だったのか。


「犯人と一緒にいるのに同時刻、犯人がいるどこかの風景が見える。矛盾しているでしょう? 被害者はいずれもリアルタイムを見ているのに」


「そうすると、君が疑ったその人物は違ったってことかい?」


雨ケ谷は返事をせず、包帯の巻かれた片目を押さえた。


「犯人と疑った人物と、被害者達が見ている男は別人。そう思う他ないかと」


「つまり、君のお母さんは勘違いをしていたということか?」


「いいえ、もしかしたら母は、犯人かもしくは犯人と共に生活をしていた人物を僕に伝えていたのかもしれません。認知能力も低下していたから、曖昧になってしまって」


それか、犯人と顔が瓜二つの親近者だったのか。


この事件には、二人の人間が関わっていると雨ケ谷は推測した。


小さな時から共に生活してきた人間。親族が、父親か、兄弟か。


被害者達は暗い部屋で男を見たと言っているが、その男が眼球を抉る様子は見ていない。一概に眼球盗難事件の犯人とは決め付けられない。


「母の言った顔の男、被害者達が見た男、最悪両方が忌々しい力を持った能力者かもしれない。だから僕は賭けに出ました。自らの目を取り出して、写真にそっくりなあの人に触れさせたんです。もし犯人なら触れば目は機能して、被害者達のようにまた見えるようになるはずだから。でも、再び見えることはなくこのありさまです。絶望はしました。でも、これではっきりしたんです。犯人は被害者達が見ていた方の男なんだって。あとはあの人との関係性を暴くだけ。もうすぐ母の目を奪い返せる」


薄笑いを浮かべながら、さも現実的のように話す。SF漫画の見すぎかと疑うほど感覚が麻痺している。こうして会話をするごとにこっちの脳みそが溶けていくみたいだった。頭痛や耳鳴りもしてくる。


「君は、取り返しのつかない馬鹿なことをしたと思う。だが誰も、味方がいないから独りで戦っていたんだね。…あの人っていうのは、誰なんだ?」


雨ケ谷は床頭台の引き出しからスマートフォンを取り出してある動画を再生させた。


「白藤さんとあの人が一緒にいる動画です」


例の、白藤が発狂したという動画だ。運転席にはひどく落ち着いた様子の男が座っている。


「この人です。霧生一閃、学校の国語教師です。僕はずっと、あの人が母の目を持っていったものだと思っていました」


その名を聞いて、出雲翔一の口が動いた話を思い出す。


ひゆう、ひゆう。


霧生。


もしかしたら彼は、自分の両目と口を奪った人物の顔を見ていて、誰かに伝えようとしていたのかもしれない。


「教師ということは、出雲翔一さんとももちろん面識はあるだろうね?」


当たり前のことを訊かれ、雨ケ谷は首を傾げた。


病み上がりの相手に、出雲の身に起きたことを伝えるのは気が引けたが、どうしても黙っていることはできなかった。


詳細と自分の考えを雨ケ谷に伝える。彼は、まるで勝ち誇ったように腹を抱えて笑った。その勢いで包帯の上に血が滲み出ていた。


「周りの人間を皆不幸にするつもりかもしれませんよ。身近に存在する糞みたいな力を利用して」


霧生一閃という男が、重なる厄災と無関係である証拠を見つける方が難しくなった。


天宮はこの哀れな青年と協力することを約束した。


雨ケ谷は歪みきった顔でこう言う。


「あいつは、やっぱり悪魔ですよ。あなたも気をつけた方がいい」





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