一念、天に通ず



僕は夜中に抜け出しては人の眼球を盗み続けた。


病的で、発作的だった。自分が異常であることは自覚している。


嗜好物のコレクション集めをするように、やめられなくなってしまった。アルコールやたばこに依存するのと同じだった。


我慢をして猫や蛙や魚なんかの目を抉るが、耐えられるはずはない。こんなんじゃ足りない。金塊を石ころに代替できるわけがない。


しかし、ある不思議なことに気づいた。


夜中に猫の眼球を片方抉った時のことだ。目を取られた猫は痛みが麻痺しているのか大して痛がる様子もなくぽかんとしていた。


僕は片手に懐中電灯を持って猫の眼球を手のひらで転がし観察してから、やはりいらないなと思って草むらに放り投げた。


光に反応して縦長になる瞳が、僕を睨んでいるようで嫌だったからだ。


すると猫は奇妙な動きをし始めたのだ。


何もない空間を狙い始め、飛びかかる。案の定何も捕まえられらずキョロキョロと残された片目を動かしている。


一体何をしているのだろうと観察をしていると、草むらに投げた目の前で虫が一匹跳ねていた。猫と虫の動きを交互に見比べると、どうも一致しているようだ。


僕はもう一度眼球を拾い上げて、猫から離れて実験をしてみた。


眼球の前で木の枝を揺らすと、離れている猫がこちらの動きに合わせて何もない空間にじゃれるような仕草をしている。


この眼球は、もしかしたら神経が繋がっていなくてもまだ使えるんじゃないだろうか。


実験は続いた。眼球を突っつくと、猫はないはずの片目を前足で擦り、眼球を転がすとめまいがするのか千鳥足になった。


間違いなく、シンクロしている。


とんでもなく面白い世紀の大発見に興奮した。


僕は、人にはない不思議な力を持っているのだ。


蝶の羽をちぎり真っ二つにしてみた。蝶の羽は身体だけ残して左と右それぞれが飛んで行った。


花も同様に、茎から摘み取った花を花瓶にさしたら一年以上咲き誇っていた。


しかし効果は永遠にあるわけじゃなさそうだ。


猫本体が死ねば目は腐り果ててしまい、根が腐れば花は枯れた。


離れているが見えない糸で繋がっている。だから神経が途切れていても大丈夫なんだ。


難しいけれど、僕の力は凄いってことには変わりない。


蛙の心臓で実験をしてみた。心臓は取り出せたものの大量出血ですぐに死んでしまった。


内臓を取り出しての検証は適切な処置を施さないと失敗するようだ。身体の一部といっても生命維持に関わるものは慎重にいじくらないと駄目だ。難しい。


それならばと僕は医学を猛勉強した。生物学、麻酔学、手術について。


もしかしたらこの力でいつか誰かを救うことができるかもしれない。


ただ、欠点がある。


これまで集めた人の眼球が木箱の中にしまわれている。相変わらず腐りもしないし異臭もしない。この綺麗な物達も本体と繋がっていて、瞳に映る世界を伝えているのだろう。


そうすると、厄介だ。


僕が盗ったことが被害者達にばれてしまう。


もしかしたら、顔を見られているかも。


いや、夜中で暗い場所で盗ったのだ。わからないに決まっている。いつも夜にこっそり眺めていてよかった。昼間は人がいて眺められなかったから極力明るいところに出さないようにしていた。


きっと、大丈夫だ。僕の顔はばれていない。だけどこれからは扱う時顔を隠しておかなくちゃいけない。


僕は慌てて木箱を棚の上の奥へ隠そうとした。きっと埃まみれだろうけどごめんと心の中で謝る。


僕は最初に拾った綺麗な物だけはいつも身につけていた。これだけはお守り代わりに持っていないと駄目だ。


「何をしているの!」


いきなり部屋の電気がつけられた。僕は驚きのあまり、椅子に乗り木箱を棚の上に置いた状態で硬直した。


母さんに、見られた。


「その木箱は何?」


物音が聞こえてやって来たのだろう、母さんは僕から木箱を奪い取り、中身を凝視して甲高い悲鳴をあげた。


それから父さんも血相を変えてやって来た。


「どうしたんだ!」


腰を抜かしている母さんを見て、ただ事ではないとわかったようだ。


「目! 目! ひ、人の、目だわ!」


見られてしまったショックよりも、なぜこんなに美しい宝石を不気味がるのかが理解出来ず失望した。だから母さんの目は汚れているんだ。


「も、もう我慢できない。二十年も育ててやって馬鹿を見たわ!」


母さんは僕の首に掴みかかりベッドに押し倒して力強く締め付けてきた。


本気で僕を殺すつもりだ。


父さんは止める素振りもなく、ぶつぶつと綺麗な物達の処分方法や自分の跡継ぎについて悩んでいた。


息ができない。頸動脈が圧迫されて、頭がぼんやりしてくる。


ぶつりと、頭の中で切れる音がした。


意識を失う直前、ずっと堪えていた憤怒が込み上げてきて、渾身の力で母さんの身体を蹴飛ばした。突っ立っていた父さんとぶつかって二人は床に転んだ。


僕は咳き込みながら部屋を出た。


痺れた手足を動かしてひたすら長い廊下を走った。


そのうち視界が滲み出す。


苦しかったせいで涙が込み上げてきたのだ。


死にたくない。


死を直前にしたからか、こんなに生へ固執したのは初めてだ。僕はまだ生きていたい。見たことのない世界を見に行きたいんだ。


「殺してやる! 化け物!」


夜の屋敷内で母さんのがなり声が響く。捕まったら必ず殺される。


それなら、やられる前にやり返すしかない。


貧相な体つきではあるが、二十歳の僕は昔と違って力がついている。母さんよりも強くなっている。父さんとは、同等だろうか。


キッチンから包丁を持ち出し、ぎゅっと握る。


どうか、負けませんように。


僕はついに二人への逆襲を決意した。


✱✱✱✱✱


出雲、雨ケ谷の二件で学校関係者は騒然の嵐だった。


夏休みを迎えたばかりの全校生徒にどう伝えていくべきか、保護者にはどう説明すべきか。


出雲に関しては、過去に盗撮被害にあった人物の犯行ではないのかと誰かが呟いた。


彼は犯人の顔を見ているはずだ。しかし両目も口もなく、まだ治療段階の彼とコミュニケーションを取るのは困難だ。ショックが大きいせいで記憶も曖昧らしい。


雨ケ谷は、自身で自身の眼球を掴み出したことで精神病を疑われ、病院で拘束されながら治療を受けている。


教師が全員学校に集められ、以上のことを校長から説明された。


「霧生君、雨ケ谷君とはなぜ一緒にいたんだ?」


校長からの問いをかけられ、霧生へ一気に視線が集まった。


「雨ケ谷君に、相談事があると呼ばれました。たぶん母親のことなんでしょう。あの子はだいぶまいっていましたから」


「雨ケ谷君が奇行に走る前兆もなかったか?」


「はい、悩みを聞いていたら、突然」


霧生と雨ケ谷がここ数日仲が良くて一緒にいる場面を見かける者は多かった。そのため相談を聞いていたという霧生の証言には信ぴょう性があった。


「もっと生徒の内面に寄り添うべきでした。監督不行届きで申し訳ありません」


霧生が深々と頭を下げると、校長は慌てふためいて否定する。


「いや、そんなことはないよ。君が傍にいたことで速やかに対処ができたんだから。雨ケ谷君の家庭のことに関しては、私からここにいる全員に説明する」


校長の口から雨ケ谷の家庭についての説明がされた。初めて聞く者は驚き、出雲から事前に聞かされていた者は納得した様子だった。


気が狂ったせいで、自分で母親と同じ状態を作り上げたのだと、誰もがそう思った。


霧生は反省した表面を見せてはいたが、裏面では活き活きしていた。頭を垂れたその顔には、人知れずうっすらと笑みも浮かんでいる。


職員室で皆が校長の話しを聞く中、霧生は俯いて気落ちしているふりをしながらこっそり小説を書いていた。


内容はもちろん、この怪事件のことだ。


こんな面白く怖い話を棒に振ってたまるものかとペンを走らせる。彼の教師生命を壊滅させる行動であり、かつ小説家生命を誕生させる行動であった。


この話をうまく文章にすれば、大賞も夢ではない。



霧生にとって日常が非日常になったことは好都合だった。新鮮な体験は心をリフレッシュさせる。それもこれも雨ケ谷が眼球盗難事件の話を持ち出し、怪現象を見せてくれて、最後に自分の眼球を抉り出してくれたおかげだ。


長い職員会議が終わり、ようやく一息をついた。他教師は霧生に労いの言葉をかけてから解散していく。それも面白おかしかった。


「霧生先生、大丈夫ですか?」


稲垣もまた、眉尻を下げて心配してきた。


「大丈夫ですよ、仲の良かった生徒が眼球を自ら取り出すなんて、とてもショックですけど」


「そうですよねぇ、そうなんだろうけど、その、私が言う大丈夫っていうのは」


稲垣はカールされた長いまつ毛を瞬かさせて、じっと霧生の顔を見つめた。


弱っているのをいいことに、懐に入ろうとしているのかと煩わしかったがそうではなかった。


「だって霧生先生、うきうきしているみたいなんですもの」


おかしい、顔に出ているのだろうか。


霧生は本心を見破られていることに焦りながら、稲垣に一喝した。


「生徒がこんなことになったのにうきうきなんてするわけないじゃないですか。もう少し言動に気をつけた方がいいですよ」


「でも…」


やりとりを聞いていた他の教師が仲裁に入る。もちろん傷心した霧生の味方についた。稲垣は不満げな表情をしながらも謝罪する。


一体、この女は何なのだろう。


稲垣に対する嫌悪感は更に増した。


しかし観察力が鋭い点今後ぼろを出さないよう注意しなければならない。



校舎を出てやっと一人になった瞬間、抑えていた笑いが込み上げてきた。


ほんの少し悲劇の男を演じただけで人は簡単に騙せるものなのだなとおかしくなった。


哀れみや同情を向けられることが、こんなに快感だなんて知らなかった。


家に帰って小説の続きを書こうと、上機嫌で自家用車に乗り込む時だった。


「こんにちはぁ」


背後からの声に一瞬、霧生の身体が飛び跳ねる。振り返るとそこには黒いスーツを着た、五十代半ばの男がいた。


いつの間に、どこから出てきたのだろう。


霧生は警戒しながら頭を下げる。


「どうも、ワタクシこういう者でして」


男は名刺を渡してきた。新聞社名と、名前が書いてある。


天宮昇吾あまみやしょうごと申します。記者をやってましてね」


霧生は眉をひそめた。敷地内に関係者以外の立ち入りは禁止しているというのもあったが、この男は先に校舎を出て行った教師ではなく、霧生を待ち伏せして真っ先に話しかけてきたような気がしたからだ。


「昨日の傷害事件の被害者がこの学校の先生だと聞きましてね、取材のためにこうしてやってまいりました」


「校長の許可がなければ内部のことを公にできません」


「いや、個人的な意見でいいんですよ。事件があって怖かったー! とかね」


「事件があって怖かったー! これでいいですか? 失礼します」


「ちょちょちょ!」


霧生は車のドアを開けて乗り込んだが、天宮が強引に足を挟んできたせいでドアを閉めることができなかった。


「まぁまぁ、話を聞いてくださいよ。実はね、ワタクシ被害者が入院する病院にさっき行ってきたんですよ。ほら、出雲翔一さん! 案の定本人には会わせてもらえなかったんですがね」


昨晩発覚した事件をすでに嗅ぎつけて調べている。そして三白眼の鋭い目。ハイエナのような人物だと霧生は気味悪がった。


「でもね、看護師から面白い話は聞けました」


「面白い話?」


霧生が食いつくのを確認すると、天宮はにこりと笑った。


「ええ、ええ。公園の女子トイレに捨てられていた両目と口、普通なら手術して元通りなんてできないですよ。それなのにね、両目も口も使い物になるんですって! 再建手術をしているところですが、喋れるようになるまで時間はかかるでしょうねぇ」


「…へぇ、医学も進歩したもんですね」


「と、思うでしょ」


天宮は急に真顔になった。今まで笑っていたのは作り笑いだったらしい。


「ワタクシね、看護師から話を聞いた時ふと首なし鶏マイクを思い出しましてね。ご存知です?」


首なし鶏マイク。首をはねられた後も身体は当たり前のように動き、十八ヶ月生存していたアメリカの雄鶏。


「出雲翔一さんの両目は見つかった時から瞳孔が閉じたり開いたり、口もパクパクしていたんですって。筋収縮かな? 何なのかなって医者も首を傾げまくりだそうです」


「鶏は頚動脈が血液で凝固したから失血死しなかったのと脳幹が残っていたからどうにか歩いて生きられたんでしょう。出雲先生は…細胞の中に残っている糖がエネルギーになって口が動いていたんでしょう。たぶん」


「なるほど! ワタクシ医学のことはちんぷんかんぷんです。先生はよく知っていますね! ああ、待ってください」


霧生は苛立ち、ドアを閉めようとした。しかし天宮は力強く手でドアを掴む。


「これ以上しつこいと警察呼びますよ」


「まぁまぁ、最後に補足を…」


天宮は無精髭を生やした顔を近づけて、こう囁いた。


「彼の切り離された唇はね、意思を持ったように動いたんですって。ひゆう、ひゆう。そんな動きをずっとしていたんです。犯人の名前でしょうかね。きりゅう先生? いたぁっ!」


霧生は天宮の足を蹴飛ばしてドアを閉め、車を発進させた。


後ろで天宮がけんけん足で片足を押さえながら叫んでいる。


「雨ケ谷君からも話は聞けましたからねぇ! またお会いしましょう!」


その口がきけなくなるように轢いてやりたくなったが、どうにかその衝動を抑えて自宅へ向かった。


なぜ、彼は自分の名前と顔を知っているのだろう。そればかりが頭の中でぐるぐる回った。


またお会いしましょう。次に会ったら自分の秘密を丸裸にされそうだ。


その前に、何とかしなくては。


バックミラーには、いつまでもこちらをじっと見つめる天宮の姿があった。







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