第4話 いつもと違った朝の時間

 生徒の話し声が響く賑やかな廊下。前を歩く女子グループの金切り声に悩まされる俺と冬霧は眉間にしわを寄せながら同じ歩調で歩いている。

 

 「…冬霧もあんな風に笑ったりするのか?」


 俺が小声で前の奴らに聞こえないように疑問を投げ掛けると冬霧は不服そうな顔で俺を睨みつける。


 「失礼なこと言わないでよ。私はあんな下品な笑い方しないよ」


 「下品って…まぁ、品があるかないかで言えばないけどさ。語気強くない?」


 「そうさせたのは文月くんだよ。自分の愚かな発言を猛省して」


 どうやら俺の失言で冬霧の機嫌を損ねてしまったらしい。


 もう少し考えて発言しないとな。デリカシーのない男はモテないって言うし、今後は悔い改めよう。


 「うっす」


 しかしこの調子では「冬霧を正しい道へ戻す」だなんて夢のまた夢だな。大見得切ったはいいものの、具体的な策が思い付かない。


 俺の目標の第一歩として、まずは冬霧に俺以外の友達を作ることから始めようとしているのだが、如何せん俺に冬霧以外の友達が出来た試しがないため状況はまさに八方塞がり。


 唯一の希望はクラスメイトが冬霧に興味を持っていること。俺とは違って話しかけられてはいるのだから、上手いことやれば友達なんてすぐにできるだろう。


 では何故冬霧は友達がいないのか。


 理由は簡単、冬霧がクラスメイトに興味を持っていないからだ。『クラスメイトに』というよりは『他人に』と言ったほうが正しいのかもしれないが。


 どうしてかは分からないが、冬霧は俺や俺の家族以外には最初から突き放すような態度を見せる。


 なら、冬霧の友達候補は必然的に俺の知り合いの中から選ばれる。そうしたら冬霧も違った反応を見せるかもしれない。


 しかし、知っての通り俺に知り合いなんていない。悲しいことに本当に、居ないのだ。


 つまり、冬霧に友達を作らせるには俺がまず友達を作らなければならない。


 …先が思いやられるな。


 頭を悩ませながら廊下を歩いていると、気づけば自分の教室の前に着いていた。


 至る所に傷がついている木製の引き戸を開けて教室に入る。ガラガラという音にドア周辺に居た奴の何人かはこっちを見るが、俺だと分かるとすぐに視線を元に戻そうとする。


 しかし、続いて入ってくる冬霧を見ると、彼らは驚いた顔をしながらもう一度俺の方を見てくる。驚く彼らの頭の上には疑問符が浮かんでいた。


 その中でも特に驚いている様子で俺を凝視してくるのは、冬霧の隣の席の酒井………酒井だ。


 下の名前が出てこないのは申し訳ないが、酒井も俺の名前なんて覚えていないだろうし、ここはお互い様ということで。


 見られることに対する羞恥心が見えないように、平静を装って自分の席に着く。


 背中から鞄を下ろして机の横に掛け、椅子を引いて席に座る。机と椅子の冷ややかな温度を感じながら、俺は流れるようにうつ伏せになって狸寝入りを開始する。中学一年の頃から続けている朝のマイルーティン。一連の動作には一切の無駄がなく、しなやかさは素人のそれでは無い。俺が約5年ほどかけて習得した無駄な技術だ。言わずもがな、それは望んで手に入れたものではない。


 いつもの調子でこのままチャイムが鳴るまでやり過ごそうとするも、肩を軽く叩かれて無理やり起こされる。


 顔を上げた先に居たのは冬霧。


 「寝不足?」


 言葉だけ見れば俺を心配しているように思えるが、イタズラな表情で俺の前に座る冬霧を見ればそれがただ揶揄からかっているだけなのがすぐに分かる。


 「…昨日はキッチリ八時間睡眠だよ」


 寝たふりをしている人間を、それを知っていながら起こすという行為はこの世で最も許されざる行為の一つだ。


 「充分寝てるじゃん」


 「止むに止まれぬ事情があんだよ」


 「可哀想だね」


 同情するなら友達をくれ。…いや、そういえばこの子友達だったな。

 

 「お前も似たようなもんだろ」


 「私は寝たふりなんてしたことないよ」


 誇らしげに断言する冬霧。自信や余裕に満ち溢れる表情は、どうも胡散臭かった。


 「…嘘はいけないよ冬霧さん」

 

 「本当だよ。私は文月くんと違って、休み時間には読書をしていたからね。それはそれはとても有意義な時間だったよ。お陰で知性や感性は豊かになり、私はまた一つ大人の階段を登ったんだ」


 「へぇ、凄いな。因みにどんな内容の本なんだ?俺も参考にしたいから教えてくれよ」


 長々と自慢げに語る冬霧に適当に相槌を打ちながら、冬霧の言う『有意義な時間』とやらを形成していたのは一体どんな物なのか尋ねてみると、案の定すぐにボロを出した。


 「あんまり覚えてない」


 「知性のかけらもない発言だな」


 思わずツッコんでしまった。


 確か冬霧は以前に「私、活字苦手なんだよね。字ばっかりだし」とか言っていたはず。そんなことを言う奴が読書なんて出来るわけがない。


 「でも読書をしていたのは本当だよ」


 「本当かよ」


 「ちょっと待ってね………んー、ええっと確か…表紙は可愛い女の子の絵で、主人公が文月くんみたいな人だった気がする」


 冬霧は顎に指を置いて唸りながら、俺の知らない過去の記憶を遡っていく。


 俺みたい…?………あぁ、友達がいない奴ってことか。冬霧はラノベを読んでたのか。


 「その本面白かったか?」


 「んー…私にはよく分かんなかった」


 「…そうか」


 その本をきっかけに冬霧とラノベについて語り合えたらなと思っていたのだが。ラノベを読んで「よく分からない」という感想が出てくる人間には、根本的にライトノベルという物自体と相性が悪い。


 まぁ、それ以前に冬霧は絶望的に書物との相性が悪いのだか。


 などと、適当に冬霧と駄弁っているとチャイムが鳴り担任が教室に入ってくる。時計を見れば時間はもう8時35分。


 「あっ、私戻るねー」


 駆け足で自分の席に戻っていく冬霧の背中を見送って前を向く。その時、遠くにいた酒井と一瞬目があった気がした。


 「じゃ朝のホームルーム始まるぞー。まず、今日の時間割だが………」


 朝寝たふりをしなかったのはいつ振りだろうか。態とらしい欠伸も、目を擦る仕草もする必要がない。身体を起こしたまま担任の諸連絡を聞く感覚に新鮮さを感じながら、いつものように担任の妙に張りのある声を聞き流した。

 

 


 

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