第2話 文月家にて

 

 「ねぇ、文月くん。私ね、君を…」


 いつもの帰り道、冬霧が頬を赤く染めながら本心を打ち明ける。映る背景はボヤけていて、霧がかかっている様に思えた。


 暫しの沈黙の後、意を決した様子の冬霧が口を開こうとした次の瞬間、目に映ったのは見慣れた天井だった。


 「………夢かよ」


 夢ってどうして良いところで終わるのだろう?人間を作ったのは神様だというが、多くの人間が信仰している神様とやらが作るものに欠陥があるのはいかがなものか。


 やはり俺は神様を信じない。だって神様が本物の神様ならさっきみたいな生殺しの寸止めなんてしないはずだもん。


 寝ぼけた頭で死ぬほど低俗なことを考えながら、枕元に置いてあるスマートフォンで時刻を確認する。


 時刻は6時48分、アラームが鳴る2分前。毎日同じ時間に起きているため、この時間帯になると自然と目が覚めるようになった。


 暖房のついていないこの部屋は当然寒く、暖かい布団から出る気にはなれなかった。それに今もう一度眠れば先ほどの夢の続きを見れるかもしれない。未だそんな低俗な期待があったせいで、尚更布団から出ようなんて思えなかった。


 そうこうしているうちにスマートフォンのアラームが鳴り始めて時間は6時50分に。どうやら彼岸の二度寝は叶わないようだ。


 やむを得ず布団をどかして、裸足で冷たい床に触れる。大きな欠伸と背伸びをして、俺は朝の身支度に取り掛かった。


 *


 リビングの真ん中に置いてある机の上には、四枚の皿が用意されていた。今日の朝食は目玉焼きとウインナーらしい。炊飯器の蓋を開けて、左手に持ったお茶碗に、右手でもったしゃもじで白米を盛り付ける。白い湯気が立つご飯を持って机に向かう。


 そこには既に父親が座っており、コーヒーを啜りながら優雅に朝の報道番組を観ていた。


 「おはよう、文宏」


 「おはよう」


 椅子を引きながらそう言って、俺は父親の対面に座る。


 「いただきます」


 机の上に置いてある醤油を目玉焼きに垂らして、箸を使って黄身を割った。


 それと同時にドアの方から歩いて来たのは絶賛反抗期中の妹、文月優華ふみづきゆうかだった。


 「「おはよう」」


 俺と親父が同時に優華に言う。


 「…おはよ」


 それを聞いた優華はこっちに目もくれず、素っ気なく返した。


 反抗期とは言ったが、以前に比べれば大分穏やかになったものだ。おはようも言ってくれるし、こっちからただいまを言えばおかえりも返してくれる。


 ただ、変わらないところもある。母が俺や親父の服と妹の服を一緒に洗ったらブチギレたり、俺や親父が浸かった後の風呂には絶対に入らない。


 まぁ、こんなところだな。他所様の反抗期と比べたらうちのは可愛いもんだろうが、それでも日常会話ができないと言うのは気まずい。


 早く以前のように普通に接してほしいと切に願いながら、俺は目玉焼きを口に運んだ。


 *


 諸々の身支度を終えて時間になるまでリビングでスマホを見ながらくつろいでいると、ピンポーンとインターホンが鳴る。


 急な来客に戸惑いつつも、近くにいた母がすぐに呼び鈴に出た。


 誰かが配達時間の指定でも間違えたのだろうか?ドジっ子だな、俺だったら荷物を受け取る時間は家に誰も居ない時間に指定する。もしその日が平日であれば、頭が痛いとか吐き気がするとか適当に言って学校を休む。


 別にやましいものを買っているわけじゃない。俺が誰も居ない時に荷物を受け取るのは、ただ一般的なプライバシーに配慮しているだけだ。いや、本当に。

 

 「はい、どちら様ですか?」


 母がインターホンを細目で覗く様子から察するに、何かの配達とかではないようだ。


 であればあれか?宗教勧誘的なやつか。自らが信仰する神様を広めようとする信者の熱狂的な布教活動ってわけね。朝っぱらから大変だな。そんな早起きして色んな家回るとか、やっぱ俺は神様なんて信じないね。


 しかし母がそういった類の呼び鈴に応じるのは珍しい。というか俺が知る母は知らない人の来訪には応じないはずだ。


 もしかして呼び鈴の主に心当たりでもあるのか…?でもさっきどちら様って…


 「あ、えっと冬霧ですけど…」


 ………は?冬霧?


 この展開昨日もやった気がする。


 インターホン越しに話す冬霧の声を聞いて驚いたのは俺だけじゃなかった。


 「え!?冬香ちゃん!?」


 母の驚く声を聞いた優華はスマホをバタンと机に置いて、バタバタと母の横に駆け寄る。


 「え!?お母さん本当に冬香ちゃん!?」


 まさかの冬霧の来訪にどよめく文月家だったが、唯一親父だけが落ち着いてコーヒーをすすっていた。


 「あ、その声は優華ちゃん?久しぶ…」


 「待ってごめんすぐ開ける!」


 そう言ってリビングから飛び出る優華の後を追って、母も玄関に走っていった。


 「賑やかだねぇ…」


 穏やかな笑顔で独り言を溢す親父は、コーヒーのカップを机に置いて、ゆっくりと立ち上がり玄関に歩いて行った。


 …いかんいかん!俺もいつまでも呆けている場合じゃない!


 スマホを制服のポケットにしまい、鞄を背負って、俺は慌てて玄関に向かう。


 玄関には興奮気味な母と妹と、依然として穏やかな親父と、少し困った様子の冬霧が居た。


 「ど、どうして冬香ちゃんが此処に…」


 「あ、久しぶりだね優華ちゃん。そのことなんだけど、色々あってこっちに戻って来たんだ」


 絶賛困惑中の妹に簡単な説明をする冬霧。


 「あら、そうなの…大変だったでしょう」


 それを横から聞いていた母が少し深刻そうな声で冬霧に語りかける。


 「あはは、そんなことないですよ」

 

 困り眉で笑顔を作る冬霧は、空元気にも見えた。


 「いつでもうちにいらっしゃいね」

 

 「…はい、ありがとうございます」


 何だか含みのあるやり取りに違和感を覚えながらも、それについて深く言及しようとは思えなかった。


 何故かシリアスな雰囲気の冬霧と母の隣で、未だ興奮が抑えられない優華が足をバタバタさせている様子は、まさに場違いという言葉がお似合いだった。


 兄としては、もう少し妹には落ち着きを持ってほしい。なんか色々心配です。


 「ねね、冬香ちゃん!今度何処か遊びに行こうよ!あ、あとこれ私のラインね!」


 「うん、いいよ。あ、ラインね、ちょっと待ってね」

 

 鞄からスマホを探して取り出す冬霧に、興奮気味で駆け寄る優華。優華が自分のスマホに表示されるQRコードを冬霧に見せて、冬霧がそれをスマホで読み込む。


 俺もまだ冬霧のライン持ってないのに……妹に先を越されてしまった。


 分かりきってはいたことだが、妹は俺よりもコミュニケーション能力とやらが優れているらしい。兄より優れた妹は普通に存在する。これ、常識な。


 「あ、そろそろ行かなきゃ…」


 「あ、私も!」

 

 冬霧と優華がスマホを見ながら言う。


 俺も釣られて時間を確認しようとポケットからスマホを取り出そうとしたが、それよりも先に理不尽な母の手に背中を叩かれた。


 「ほら、文宏!早く行きなさい!」


 …いや、あんたらが居るから俺が行けなかったんだが。


 声には決して出さないように心の中で母へ抗議する。うちの家族のカーストは母、妹、俺と親父がタイなので、もし口に出してしまったら何が起こるか分からないからな。きっと、とても恐ろしいことに違いない。それだけは分かる。


 「分かった分かった」


 適当に母をあしらって冬霧の元へ。


 「じゃあ行こっか、文月くん」

 

 玄関に並べられた靴を履いて、皆が居る方へ振り向く。左手を軽く上げて、俺は言った。


 「じゃ、いってきます」


 「「「いってらっしゃい」」」


 家族総出で見送られながら、俺は玄関のドアハンドルに手を置く。金属製のハンドルの冷たい感触と家族の暖かい声。妙な小っ恥ずかしさに背中が痒くなる中、俺は冬霧と一緒に外へ歩き出した。

 

 


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る