プールにて
その道場は庭園の一角に建てられている。
戦国時代からつづく古武術・鬼式を伝える道場。
鬼式は戦国の世に生まれた。その創始者は伝説の忍び、風魔の小太郎だという。忍びが生みだしただけに単なる武術などではない。身を守り、野山で暮らし、人の世での過ごし方までも含めた生きるための総合技術。
それが、鬼式。
その技を伝える一族は完全女系であり代々、女性当主によって伝えられてきた。
完全女系である理由はただひとつ。
――男は
すぐに死ぬ男たちに大事なことは任せて置けない、と言うわけだ。
このあたりの認識が、戦国の世に生まれた技術のリアルというものだった。
その鬼式道場に稽古の声が響いていた。
まだ夜が明けて間もない早朝のことである。
祖母が営むこの道場において、
一切の容赦のない本気の蹴りだ。
『子ども相手だから……』などと言う手加減は一切ない。
古来より、邪を祓い、魔を退け、人々の
本気の蹴りを叩き込むことで、痛手を受けることなく攻撃を受けとめるにはどうすれば良いかを体で覚え込ませる、そのために。
「もっと、防御に注意を払いなさい。攻撃だけでは死にに行くようなものよ、よしこちゃん」
「うるさいっ! よしこちゃんって言うな!」
――普通なら、あたしの本気の蹴りを食らったら、大の男だって倒れて動けなくなるものね。それなのに何発、食らっても向かってくるんだから
それだけに、攻撃一辺倒で守りがおろそかなのが惜しいのだが。
――血の濃さで言えば、まちがいなくあたしより上。攻撃一辺倒ではなく守りにもちゃんと気を配れば、確実にあたしより強くなるんだけど。
「いい、
稽古が一段落し、休憩に入ったとき、
普通なら――頑健さには定評のあるレスラーであっても――一瞬、息が詰まり、動けなくなる。しかし、
さすがに、目を丸くして驚く
「わかった? 筋肉だけで衝撃を受けて、内臓に伝えなければなんてことはない。板の間に落ちてもだいじょうぶと言うことは、殴られてもだいじょうぶだと言うこと。この独特の守りこそが鬼式の秘伝。あんたに足りないのは、この呼吸なの。これさえ身につければ、あんたはたしかに強くなれるのよ」
「……お前よりもか?」
「もちろん。鬼式の一族は完全女系。でも、体質そのものは男の方が強い。あんたの才能はまちがいなく、あたし以上。きちんと術式を学べば確実にあたしより強くなるわ」
「だったら、守りでもなんでも身につけてやる。絶対、お前より強くなってやるからな!」
「その意気よ」
と、
稽古のあとは全員そろって道場で朝食。そのあとは
「ふん。お子ちゃまなんかに、本物の女の魅力がわかるわけないでしょ」
と、負け惜しみ染みたことを口にしながら髪をかきあげ、仕事に向かう。
庭園はその名の通り、屋敷の住人たちにとっての庭であり、食糧の生産地であり、動物たちとふれあう場所でもある。
そこにはウシがいて、ヒツジがいて、ウサギがいて、ニワトリがいて、カモがいる。動物たちからは毛と毛皮がとれるし、肉や乳、卵ももたらしてくれる。果樹が立ち並び、野菜たちが育っている。米もあれば、小麦もある。太陽電池がかけられていて電気も作れる。敷地内のプールでは繁殖力旺盛な浮き草が育てられ、バイオガスの原料となる。石油生成菌もいて、石油を搾ることも出来る。
生きるために必要なものはすべて、この庭園だけでそろえられる。
そういう場所。
それだけに、その庭園を管理するオーナーメイドの責任は重い。オーナーメイドの仕事ぶりは屋敷の住人たちの健康に直結するのだ。怠け者のオーナーメイドが管理者では、屋敷の住人たちの生活は保たれない。
だから、仕事に手を抜くことはない。
忠実なサポートロボットのダイダと共に、職場に向かっていざ出陣。
朝のうちに動物たちの世話をする。食事を運び、ニワトリやカモの卵を回収し、ウシのとヒツジの乳を搾り、体をブラッシングする。その際にあれこそ話しかけ、体調を気遣羽ことも忘れない。
搾った乳からはチーズやバターを作る。それから、作物の様子を見てまわる。
病気は出ていないか、虫食いはないか、熟れすぎたまま残っている実はないか……。
一つひとつ丹念に見てまわる。
――作物の一番の肥料は人の足跡。
その言い伝えに忠実に、庭園中に足跡を残しながら丹念に見てまわる。
数百キロもあるウシを抱えたり、米俵を運んだり……。
力仕事が多いだけにサポートロボットのダイダの存在はやはり、ありがたい。
それが終わるとすでに昼。
昼食をすませ、午後の仕事。その頃にはオンライン授業を終えて
「またかよ。ゴリラ女にメイド服なんて似合わねえぞ」
「あんたみたいなお子ちゃまに、女の魅力はわからないのよ」
「マスター。そのやりとりは今日で一二二一回目です」
サポートロボットのダイダが――人間なら――あきれ口調で言うやりとりを繰り返し、ふたりは庭園の仕事に励む。太陽電池の屋根を掃除し、バイオガスの原料となる浮き草を収穫してプラントに運び、畝を修復し、雑草を抜き取り、畝と畝の間の土を掘り返して肥料がわりに畝に駆け……まさに、力仕事の連続。終わる頃にはふたりとも、汗だく。唯一、ロボットであるダイダだけは汗をかかない。そのかわり、強い日差しを浴びて金属の体はどんどん熱をもっていく。
「炎の男、ダイダ。私の体表では目玉焼きが焼けます」
と言うのは、ダイダお気に入りのジョーク。AIでもない、単なるプログラムにジョークを解する心があれば、の話だが。
力仕事に励んで体をイジメ、汗だくになったところでとっておきの楽しみがまっている。
「ヒャッホー!」
「ぷはあっ! 最高!」
一回、完全に潜って全身に水を浴びてから水面に顔を出して、そう叫ぶ。ノリはほとんど仕事あがりのビールを楽しむオヤジである。
「仕事で汗だくになったあとにすぐプール! このときほど、この仕事をしていてよかったあって思うことはないわ」
言いながらプールのなかをガンガン泳ぐ。金属の体であるロボットのダイダが入れないのは当然として、
「なにしてんのよ、よしこちゃん。あんたも早く来なさいよ」
「い、いや、おれはいいよ……」
と、
「なに言ってんの。あんただって、その下は水着なんでしょ。早く、来なさいって」
「だ、だから、いいって……」
「わあっ! なにすんだよ!」
「なにすんだじゃないでしょ。いいから、あんたもさっさと来なさい」
「やめろ、脱がすなっ! 水着姿でくっつくなあっ!」
しょせん、子どもの身。力では身長一七〇センチ以上、鬼式の師範代を務める
「なあによ。まだむくれてんの?」
「う、うるさい……!」
「マスター。
「ばっ……! なに言ってんだ、ダイダ⁉」
「照れてる? なんで? 一緒にプールに入るなんて昔からなんだから、いまさら照れる柄でもないでしょうに」
「う、うるさい……! おれはもう行くからな!」
「どうしたの?
「マスター。あれは思春期というものです」
サポートロボットのダイダがそう説明した。
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