いとこの少年
「シャアアアッ!」
しかし、その野性の唸りを受けて、
――さすが!
心のなかでそう思い、ニヤリと笑ってみせる。
――こうでなくっちゃせっかく鍛えたこの武術、使う甲斐がないものね。
身長で三〇センチ以上、体重にいたっては二〇〇キロ以上の差があるだろう。それだけの体格差がありながらなお、
武器とするものは己の肉体。
そして、修行の果てに身につけた古武術・鬼式。
あとは――。
「勇気だけってね!」
相手が人間ならその一撃で足の骨を砕かれ、転倒し、痛みにのたうちまわる。それほどの一撃。しかし、相手は人間ではない。堅牢な毛皮、分厚い筋肉、野太い骨によって支えられた怪物。
その一撃を受けてもいささかも揺らぐことはなく、痛みすらも感じていない様子で、
火炎熊。
その遺伝子はネット上に公開されており、バイオ3Dプリンタさえあれば、誰でもその遺伝子をダウンロードして作り出すことができる。そのために、たわむれに生みだしては森に捨てるいたずらものが後を絶たない。
その力と凶暴さをもって、政府から駆除対象として指定されている合成生物――魔獣のの一種である。
火炎熊が丸太のような腕を振るった。
暴風を立てて猛々しい爪牙が
そこへ、火炎熊が突進する。
目には怒りの炎をたぎらせて、牙にはヌラヌラと光る唾液をつけて。
すべてをお膳立てされたアクション俳優でさえこうはいかない。
そう思えるほどの動き。
首筋にまたがり、その太い両腕を両足でしっかりはさむ。
火炎熊は
上を向いた。
吠えた。
大きく口を開いた。
それが命取りとなった。
――鬼式闘技・熊落とし。
その名の通り、素手で熊と戦い、倒すために編み出された技である。
――ごああああっ!
巨大なクマが断末魔の叫びをあげた。
口から大量の血を噴き出した。そのまま――。
後ろに倒れ込んだ。
重々しい音を立ててクマの巨体が森の上に倒れ込む。もちろん、そのときにはすでに
「ふう」
と、
手にした心臓をそっとクマの身の上に置いた。いくら魔獣と呼ばれる駆除対象であっても森の生き物。それも、人間の勝手な都合で生み出され、勝手に野に放たれた存在。雑に扱うわけにはいかなかった。
――殺す相手だからこそ常に敬意をもち、鬼手仏心をもって行うべし。
それが、古武術・鬼式の教え。
両腕を胸の高さにあげ、左手の平に右拳を合わせて黙祷する。敬意を込めて短い祈りの言葉を唱える。
「お疲れさまです、マスター」
サポートロボットのダイダが声をかけた。
ウエットタオルを差し出した。
「ありがとう」
「それにしても、マスターの戦い方は理解に苦しみます。なぜ、武器を使わないのです?」
ダイダはそう尋ねた。
サポート用のロボットとは言っても、いわゆるAIとはちがう。マスターの命令に従い、マスターのサポートは行うが、あくまでもそのために特化したプログラム。人と同じ姿をしてはいるが、人の心をもっているわけではない。人に似せる必要もないので、昔のSF映画に出てくるような金属むき出しの体である。
「銃は弾切れすることがある。刃物は刃こぼれすることがある。自分自身の身が一番、信用できるのよ」
「マスターの身は食いちぎられることがあります」
「そうさせないためのサポートロボットでしょ」
「私にマスターのかわりに餌食になれと? 無慈悲なお方だ」
「……あんた、本当にただのプログラム? ときどき、実は人間と同じ心をもってるんじゃないかって感じるときがあるんだけど?」
「そのようにプログラムされているだけです。人の心など、私には存在しません」
「そう? それならそれで、もっと素直に、機械的に作ればよかったと思うんだけど」
「人間は、あまりにも機械的な相手には却って不愉快になるという調査結果が出ております」
「そうなの? まあ、いいわ。だったら、文句言わずにサポートロボットの仕事をして。まずは、このクマの体を庭園まで運んで」
「承知いたしました。マスター」
ダイダはそう答えると、クマの肉が劣化しないよう、速やかに冷凍処置を施した。それから、ロボットらしい怪力を発揮して火炎熊の巨体を軽々と持ちあげる。
「今夜はみんなでクマパーティーね」
クマは全身、余すことなく利用される。肉や内臓を食べるのはもちろん、毛皮は防寒具や敷物になるし、血は小腸につめて、茹でて、ソーセージにする。脳みそも食べる。マスの白子のようで、好きなものは生のまま、塩をつけて食べる。
「おばあちゃんは、クマの脳みそ寿司が好きだもんね」
と、
火炎熊も合成生物とは言え、クマはクマ。全身が同じように利用できる。政府に認められた駆除対象と言うことで捕殺すれば賞金が出るし、実戦の訓練ともなる。
「とは言え、屋敷の住人に被害が出るような結果になったら、そんなことは言っていられないけどね」
庭園付きの屋敷を経営し、屋敷に住まう人々の世話をするオーナーメイド。そのオーナーメイドである
すべてはオーナーメイドとして周辺の危険生物を排除し、住民の安全を守るためである。
「マスターの場合、オーナーメイドととしての役割より、探索者としての業務の方がメインになっています」
ダイダがさりげなくツッコむ。
「それは仕方ないでしょ。うちの庭園には武術の道場もあるし、屋敷の住人だって、昔っからアスリートや格闘家ばっかりなんだから。血の気の多い連中に囲まれて育てば、こうもなるわよ」
「その意見は論理的ではないと判断できます」
「ああ、もういいから! とにかく、さっさと運んで!」
忠実なサポートロボットであるダイダは、言われたとおり、火炎熊の巨体を運びつづける。やがて、庭園のまわりを取り囲む緩衝林に入った。
野生生物と共存するコツは棲みわけにある。共存だのなんだの言ってみたところで、人間が野性動物に襲われる結果になればそんなことは言っていられない。そんなことにならないようお互いの縄張りを守り、徹底的に棲みわける。
それが、人間が野性動物と共存していく唯一の方法。
そのために、庭園のまわりには緩衝林が設けられ、そこには防護服を着た忠実なイヌの警備員たちが巡回している。その警備犬たちに囲まれて、まだ一一~一二歳と見える少年がいた。
「こら、よしこちゃん。あんたは、まだひとりで外に出ちゃダメでしょ」
「よしこちゃんって呼ぶな! おれの名前は
「はいはい。まったく、おばさんたちも罪な名前をつけたものよね。『よしこ』なんて女の子みたいな名前にするなんてね。おかげで、小さい頃から、からかわれて大変だったでしょ、よしこちゃん」
「そうやって、一番からかってるのはお前だろ!」
「ああ、そうだっけ? 忘れちゃったなあ」
と、
「デカくて、怪力で、物覚えも悪いって、マジでゴリラ女だな。嫁のもらい手ねえぞ」
「そういうこと言うのは、この口か⁉」
「いだい、いだい」
と、
そんなふたりのやりとりを見て、ダイダが冷ややかに告げた。
「マスター。そのやり取りは今回で二〇九八回目です」
「いちいち、数えなくていい!」
「それで? よしこちゃん。あんた、なにしにここまで出てきたの?」
「な、なにしにって……お前が駆除対象の獣を狩りに出かけたって聞いたから、手伝ってやろうと思って……」
「それなら、もう終わったわよ」
と、
「ってゆうか、そんな理由なら、なおさら出てきちゃダメでしょ。あんたはまだ非力な子どもなんだから」
「子ども扱いするなっ! おれだって立派な鬼式の使い手なんだ。獣なんかに負けるもんかっ!」
その途端――。
一切の予備動作もなく、音すら立てることなく、
「グハッ!」
人体の急所をしたたかに蹴られ、
「いまの蹴りも防げないようじゃあ、『鬼式の使い手』とは言えないわね。背伸びしたい年頃なのはわかるけど、実力もないくせにイキがると早死にするわよ」
「く、くそっ……」
「マスター。いまの仕打ちは感じやすい年頃の少年には少々、キツかったのでは?」
ダイダの言葉に
「死ぬより、マシでしょ」
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