第3話「後悔と贖罪」
翌日、レーアが僕のお見舞いに来てくれた。
「お姉さん、本当に僕のお見舞いに来てくれたんだね! とっても嬉しいよ!」
家族や使用人や医者以外の人間が、僕の部屋に尋ねて来たのは初めてで、僕ははしゃいでいた。
レーアは僕の前で、ずっとほほ笑みをたたえていたけど……その笑顔は切なげだった。
「エタンセルマン公爵家の長女レーアと申します。
歳は殿下の二つ上の十歳です」
レーアは優雅にカーテシーをした。
「僕の名前はアンジェロ!
よろしくね、お姉さん」
僕の挨拶は礼儀も何もなっていかったと思う。
両親は病弱な僕を甘やかすだけで何も教えなかったから。
レーアは礼すらまともに出来ない僕を笑わなかった。
「アンジェロ殿下、私のことは『レーア』と呼び捨てにしてください」
「わかったよ! レーア!」
「レーアと仲良くなれて良かったわね、アンジェロ」
「はい母上」
母は僕とレーアを見て目を細めた。
「母上、レーアはどれくらいの頻度で僕の御見舞いに来てくれるのですか?」
「毎日です。
彼女はこれから毎日あなたの御見舞いにこの部屋を訪れます」
「本当ですか母上?」
「ええ、本当です」
「僕お友達がいなかったからずっと寂しかったんだ!
これからいっぱい遊ぼうね、レーア!」
僕がレーアの手を握ると、彼女はビクリと肩を震わせ、困惑の表情を浮かべた。
それはほんの一瞬で、彼女は何事もなかったように穏やかな笑みを浮かべた。
僕はレーアが笑っているから、レーアも僕と遊べるのが嬉しいんだと思っていた。
彼女が穏やかに笑っていたのは淑女教育の賜物で、このときの彼女が泣き出したいほど悲しい思いをしていることを……僕は知らなかった。
僕はただ初めて友達ができたのが嬉しかった。
第二王子である僕の部屋に入れる女性は限られている。
家族か、医者か、使用人か、婚約者か……。
レーアが僕に毎日会いに来ることが何を意味するのか……幼い僕は知らなかった。
僕の知らないところで、レーアは僕の婚約者になっていた。
レーアと婚約するのは、兄のはずだった。
兄とレーアは初恋同士で、レーアが隣国に留学するときに兄にアメジストのブローチを渡した。
彼女が帰国したとき、兄に異国の珍しい鳥を贈った。
兄の十歳の誕生日に、兄とレーアの婚約が華々しく発表される予定だった。
僕がレーアと出会ってしまったことで、二人の運命を狂わせてしまった。
僕がレーアに「綺麗」と言ったのを聞いていた母は、レーアは僕の婚約者にしようと画策した。
母は兄とレーアの婚約発表を直前で中止し、その日のうちにレーアの父親であるエタンセルマン公爵と話し合いを行い、彼女を僕の婚約者にした。
兄の婚約者は公爵の姪でレーアのいとこにあたる、ウィノラ・ラート伯爵令嬢に決まった。
公爵は、レーアを僕の婚約者にする交換条件として、姪のウィノラを兄の婚約者にすることを国王と王妃に承諾させた。
野心家の公爵は、実の娘を第二王子である僕の婚約者にし、姪を養女にし兄である王太子の婚約者にした。
そうすることで、どちらが王位を継いでも公爵は次の国王の義父になれる。
ウィノラはレーアや兄と同じ十歳。ウィノラはレーアのいとこなので、顔立ちは少しだけ彼女に似ていた。
彼女はお茶会に参加したとき、兄を見て一目惚れしたらしい。
ウィノラは自分より何でも上手にでき、自分より美しいレーアに嫉妬していた。
彼女はライバルのレーアを出し抜いて、兄の婚約者になれたことをとても喜んでいた。
だけど二人の顔合わせの日、ウィノラが兄から言われたのは「お前を愛していないし、これからも愛することはない」だった。
僕は兄やレーアだけでなく、ウィノラまで不幸にしてしまった。
なぜ未来の僕がウィノラについてこんなに詳しく知っているのかと言うと、彼女の口から直接聞いたからだ。
なぜウィノラと僕に接点があるのかというと、彼女は兄とは結婚せず、僕の二番目の妃になるからだ。
その時には、最初に僕の妃になったレーアは儚くなっていた。
レーアは僕の子を宿したあと、精神を病んで子供を産んですぐに死んでしまった。
レーアが精神を病んだのには理由がある。
僕が十五歳になったとき、父は病に冒され自分の余命があと僅かだと悟った。
死期が迫った父は、兄にではなく僕に王位を継がせたくなった。
父は、僕を憎んでいる兄が王位を継いだら、僕を殺してレーアを自分の正妃に据えることを
父は僕には何も説明せずに、レーアとの婚姻の為の書類にサインさせた。
そして僕とレーアにおかしくなる薬を飲ませ、密室に閉じ込めたのだ。
次の日目を覚ました僕は、前日何をしたか記憶がなかった。
だからなぜレーアが僕と同じベッドで寝ているのか、なぜふたりとも服を着ていないのか、なぜレーアが泣いているのか、なぜレーアが僕の顔を見ると怯えるのか……全然わからなかった。
僕が幼い頃に抱いたレーアへの憧れは、彼女と同じ時間を過ごすことで、淡い恋心に変化していたと思う。
その思いをこんな形で終わらせたくはなかった。
だから父上と母上に「レーアとの間に子供が欲しいか」と尋ねられ、「欲しい」と無邪気に答えてしまったのだ。
兄もレーアも、父が亡くなるか、僕が死ねば、元通りの関係に戻れると信じていた。
僕がレーアと結婚し子供を作ってしまったことで、二人の希望を粉々に打ち砕いてしまった。
レーアが産んだ子が男だと知った父は、宰相であるエタンセルマン公爵を枕元に呼んだ。
その頃、父の容態は悪化の一途をたどり余命幾ばくもなく、面会できる人間も限られていた。
父は僕を次の国王に指名し、生まれたばかりの赤子を王太子とし、その後見を僕の義父である公爵に任せると遺言を残した。
そして父は、兄に僕の命を狙った冤罪をかけ、兄から王太子の地位を剥奪し、塔に幽閉した。
兄とウィノラはまだ結婚していなかったので、ウィノラは僕の二番目の妃となった。
レーアが亡くなって赤ん坊の面倒を見る人がいなくなったから、ウィノラは体よく息子の乳母兼、僕の世話係にされたのだ。
僕の看病をしながら、ウィノラは僕に色々なことを教えてくれた。
僕が今まで兄から何を奪ってきたのかを。
そのとき兄がどんな気持ちだったかを。
アメジストのブローチも、金の鳥も、レーアも、そんなつもりで兄から奪ったわけじゃない。
兄を傷つけたかったわけじゃない。
兄とレーアの仲を引き裂きたかったわけじゃない。
僕はただ「綺麗だ」と口にしただけだった。
それがこんな結果に繋がるなんて……思ってもみなかった。
「ウィノラ……お願いがあるんだ」
ウィノラと結婚してから一年。
僕は寝室で寝たきりの生活を送っていた。
兄の人生を狂わせてしまった罪悪感で、生きる気力を失ってしまったのだから
時おり義父が持ってきた書類にサインをし、王印を押すだけ。
僕が謀反を起こす気力もないと思ったのか、義父は王印を僕の寝室に置きっぱなしにしていた。
「この手紙を塔にいる兄上に届けてほしいんだ。
ウィノラの中に兄上を思う気持ちが少しでも残っているなら、お願いだ僕に協力してほしい。
兄上を助けられるのは君だけなんだ」
手紙には兄上の罪を不問に付し、兄上に王位を譲渡すると記した。
兄上への謝罪と、僕の命を差し出す代わりに息子の命だけは助けてほしいとの
「承知いたしました」
そう言って手紙を受け取ったウィノラの表情は、僕には見えなかった。
このあとウィノラが兄に手紙を届けたのか、僕にはわからない。
その時には、もう僕の寿命は残されていなかったから。
「兄上、レーアごめんなさい。
もしやり直せるなら……今度は『綺麗だ』とも『欲しい』とも言わないよ……」
もしも、兄がアメジストのブローチを着けて僕の部屋に来たあの日に戻れたら……。
兄のブローチを見ても「綺麗」とは言わないよ。
僕は王位継承権を捨てて、城を出るよ。
そうすれば、意図せずに兄上の物を奪わなくて済むから。
母も父も僕から子離れできると思うから。
神様……もしもがあるなら、決して悪用はいたしません。
だから、僕に
――終わり――
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僕はただ「綺麗」と言っただけだった・完結 まほりろ・新刊発売中・コミカライズ企画進 @tukumosawa
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