第98話 黄昏の娘たちの宿

 ”黄昏の娘たちヘスペリデスの宿”


 それが助けた娘が住み込みで働いている娼館の名であった。


 礼がしたいから、ここで待っていてくれと言い、奥に下がった娘を。

 二人は店の入り口を入って直ぐにあるホールで待っている。


 「やったな、ヴァイス。ここいらで2番目に大きな宿だぜ。しかもここのNo1は本物マジもんの女神らしいぜ」


 完全に伸びきった鼻の下を隠すでもなく。

 ホールを行き交う淫らの服装の女性達をガン見しているウィルが、嬉しそうな声を上げている。


 今にもヨダレを垂らしそうで、ヴァイスは傍にいるのが恥ずかしくなっていた。


 「なぁ~、ウィルは好きにしていいけど。俺は帰ってもいいかな……」

 「バカッ!こんなチャンス、二度とこねーぞ!?ここ、いくらすると思ってんだよっ。一番安い女で銀貨50枚もすんだぜ?!」


 (銀貨50枚……、そんなにするのか……)


 ヴァイスは右手から下げている、ロープで縛られた2本の剣をチラリと見た。


 さすがに隊長格が所持していた剣を銀貨50枚で買うのは無理だろうが。

 最初に気絶させられた下っ端が使う、粗悪品の剣ならば十分に買える金額である。


 しかも頻繁に客の男が出入しているところを見るに、一晩ではなく、1時間かそこらのサービス料金なのだろう。


 「はぁ~、これやるから、ゆっくり遊ぶんだな」


 ヴァイスは重い溜息を吐くと、戦利品?の剣を悪友に渡した。

 どちらも紋章入りなので売れるかは不明だが、鍛冶屋のウィルならば紋章を潰すぐらいは簡単であろう。


 「おっ、いいのかよ?わり~な……」


 友の粋な計らいに、見た目よりも若い鍛冶師が頭をかいて礼を言っていると。

 例の下働きの娘が、色鮮やかな薄手の衣を羽織った女性の手を掴んで戻って来た。


 その色っぽい大人の女性は一仕事を終えたばかりなのか、下着を身に着けていない。

 つまり見えてしまっている。


 「姉さんが二人とも、相手してくれるって」

 「おっ、それってタダでいいってことか?」


 下働きの娘の言葉に、ウィルが諸手もろてを挙げて喜び。

 良かったなと、立ち去りかけたヴァイスの肩に腕を回してきた。


 (いやいや、二人でって……。そんな趣味ないから)


 ヴァイスは娘の言葉と、悪友の態度に面食らった。

 お茶や食事を御馳走になるのとは訳が違う。


 勿論、ウィルが初めから下心全開で、助けた娘について来たのは知っている。

 だが、ヴァイスが人助けをするのは趣味のようなもので、見返りを望んだ事は一度もない。


 しかもそのお礼が性行為など……。


 なお、この世界でも、強姦レイプは犯罪である。

 しかしここに来るまでのウィルの口振りから察するに、スリや万引き程度の認識でしかなかった。

 つまり珍しい事ではなく、日常的に起きている犯罪なのだろう。


 しかも今回の加害者は下っ端役人とあり、城壁の外に住む、住民票を持たぬ女性が被害を訴えたところで無駄であった。

 またそれが分かっているだけに、厄介事を避けるため、周りに居た男達も見て見ぬ振りをするのだ。


 それでも被害者である女性にとっては、一生心に傷が残る事件である事は、世界が違えど共通である。


 そんな、初めて風俗に来た学生のような反応を見せる二人を見て、姉さんと呼ばれた女性が怪しく微笑む。


 「ふふふっ、二人とも良い体してるじゃない。来週にはジュリも店に出るんだし。助けてもらったお礼に、初めてのお相手をしてもらったら?」

 「えっ、この人達にですか……」


 暴漢から助けてもらったお礼が出来ると、無邪気に笑っていた痩せた娘の顔が、ベテラン娼婦の無茶ブリに曇った。

 それでも覚悟を済ませていたのか、勇気を出して上げたソバカスのある顔が、ヴァイスの方をチラッと見て頬を染める。


 「いや、俺はここで……、すみません。大切な女性ひとが待っていますから」

 「あら、そうなの?さすが色男は違うわね。でも、我慢できなくなったら遠慮なく来なさい。安くシテあげるわよ?チュ」


 ヴァイスは胸に複雑な想いがよぎったが、自分の想いを正直に伝えると、頭を下げて女性の申し出を辞退した。

 その真摯な対応に思うところがあったのか、優しく微笑んだ女性が立ち去ろうするヴァイスに歩み寄り。

 背伸びをして頬にキスをする。


 鼻先を掠めたラベンダーの薫りに気が付き、向けられた灰色の目と妖艶な女性の視線が合う。


 よく見ればベテランと言っても、彼女はまだ二十歳に届いてもいない、若い女性であった。

 もしかしたら、サーラと同じ歳なのかもしれない。


 しかしその全身から漂う、色気と風格は本物である。


 「まったく……、こいつ童貞なんっすよ。俺が2人分働きますんで。じゃーな、ヴァイス。後悔すんなよ?」


 そんなやり取りを見ていたウィルが場の空気を変えようと、唐突に大きな声を上げた。

 友に向かって、さっさと帰れと薄情な態度を取り、二人の女性の肩に手を回して店の奥へとイソイソと消えていく。


 「ああ、またな。ウィル」


 しかしヴァイスには、友が彼に気を使ってくれている事が、なんとなく分かっていた。

 口と態度は悪いが、根はいい奴なのである。


 それにもしかしたら、サーラの存在に気が付いていたのかもしれない。


 ヤレヤレと溜息を吐き、店を出ようとしたヴァイスの背に、彼を呼び止める清らかな女性の声が届くのであった。

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