第68話 相棒との再会
「もしかしてこれは!コーヒー?!」
今、出来る最高の速度で立ち上がったヴァイスの灰色の目は、ヴィルが持つカップに釘付けになっている。
彼が立ち上がった隙に、クラリッサがロッキングチェアに腰を掛けているが、見向きもしていない。
あまりにも急いで座ったものだから、真っ直ぐな白くて細い足が大きく上に持ち上がり、ひっくり返りそうになっているが放置だ。
「なんだ、コーヒーを知ってたのか。つまんね~なぁ」
どうやら悪友のウィルは、何も知らずにブラックコーヒーを飲んだヴァイスを見て、バカにするつもりであったようだ。
実はこの世界に来てから一度も、ヴァイスはコーヒーに出会えずにいた。
この世界でお茶といえば紅茶が一般的で、試しにベレットに聞いたところ。
遠くの国で一度だけ、大麦コーヒーなる物を飲んだことがあると言っていた。
しかしそれは美味しい飲み物ではなかったようで、ヴァイスは諦め掛けていたのだが、まさかの再会であった。
不満げに渡されたカップを受け取り、ヴァイスはうっとりとした表情で。
黒い水面から立ち上る湯気を、鼻から思いっきり吸い込んだ。
(ああ、これだ……)
独特の苦味と酸味を連想させる、香り高い湯気が、ヴァイスの脳内でカフェインの効果までを再現してくれる。
そして冷え切った指先を温めてくれる温もりは、愛する人を思い出させる。
今頃、何処で何をしているのだろうかと……。
ヴァイスにとってコーヒーとは、1人登山に欠かす事が出来ない大切な相棒であった。
出かける前の日には、例え疲れていようが、夜が遅かろうがコーヒー豆を丁寧に焙煎し。
もしも当日、挽き終えたコーヒー豆を忘れようものなら。
例え新幹線に乗っていても、引き返そうか悩むほどに重要なアイテムなのである。
またヴァイスは、孤独を好み1人登山をしていたわけではない。
ただ誰にも邪魔をされずに大自然を感じていたいだけなのである。
だから1人で山頂に立つと、達成感と同時に寂しさも覚えていた。
そんな時に、彼の心を癒やし、温めてくれるのが、コーヒーなのである。
そしてこの世界に迷い込み、ソロ冒険者となった彼にとっては。
まさにサーラこそが癒やしだったのである。
しかし彼が異型のゴブリンに胸を貫かれ、寝込んでからというもの。
愛する女性と過ごす時間は減るばかりであった。
「ヴァイスさん、ソレ、飲まないの?」
手に持ったカップをまじまじと見つめ。
なかなか飲もうとしない彼の顔を、クラリッサが不思議そうな表情で覗き込んだ。
物思いに耽っていたヴァイスは、滲み出した涙が気づかれないように、さり気なく瞬きをすると。
首を傾げている美少女にカップを差し出した。
「飲んでみるか?」
「うん!」
「えっ、おま、ちょっと!」
クラリッサは興味津津だったようで、疑いもせずに受け取ったカップを、ぐいっと煽ってしまった。
慌ててウィルが止めに入ったが、この美少女は見た目以上に素早い。
「オゲェ~~なにゴレ……。ゲフォ、ゲフォ、ドロ水を沸かしたの……?」
「す、すまない。ヴァイスを驚かそうと思って……。すぐ布巾を持ってくるから待ってろよ!」
そして美少女は口から黒い液体を吐き出すのも早かった。
せっかくの整った容姿とセクシーな服装が台無しである。
しかしやらかしたウィルはそれどころではなく、大慌てで部屋から出ていった。
(やれやれ、どうなることやら)
コーヒー好きなヴァイスは気がついていたが。
これは北欧を中心に、山仕事をする男達が淹れていたと言われる、フィールド・コーヒーである。
通常はコーヒーフィルタを使い、じっくりと時間を掛けてドリップするものだが。
なんとフィールド・コーヒーは、まるでインスタントコーヒーのように。
コーヒーの粉を直に沸騰したお湯に入れてしまうのだ。
使用する器具が少ないため、キャンパーの中にも愛用している人が居るらしいが。
ヴァイスは一度だけ試してからは、ドリッパーとフィルターを持参するようにしている。
しかも臭いから判断するに、ウィルは粉を入れた後も煮詰めたようなのだ。
苦いに決まっている。
「水を飲むといい」
ヴァイスは冒険用に持ってきた水袋を美少女に渡すと、代わりにずっしりと重いカップを受け取った。
そしてもう一度、豊かな香りをゆっくりと楽しんでから、ちっとだけ口の中へ含み、悪くないと微笑むのだった。
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