第12話 ケープマウンテン

 魔法使いの姿をしたサキュバスに、濃厚なキスをしたまま魔法を掛けられたヴァイスは、まるで別人のようであった。


 目的地であるケープマウンテンの裾野にあるダンジョンとは別の方角から現れたワーカーアントに駆け寄ると、有無を言わせずに両手で握った剣をその丸くて大きな頭に叩きつけたのである。


 グチャっと嫌な音を響かせ、ダークグレーの外骨格が砕けて陥没し。

 体液を吹き出しながら大きな体を持つ蟻が崩れ落ちた。


 しかも絶命してもなお動いている6本の足を見て、彼は止めとばかりにその頭部と胴体を、大ぶりの一撃を放ち切り離したのだ。


 「よし、これなら行ける」


 先程まで、遠くから昆虫型の魔物を見かけただけで固まっていた人物とは思えない程、ヴァイスは落ち着き払っている。

 いや、体液が付いた剣をそのままにし、鞘に収めることなく洞窟の入り口へと続く道を早足に進み始めてしまう。


 「あっ、待ってください。松明を用意しないと、中は暗いですから……」


 慌てて引き留めようとするサーラの声に振り向きもしない。

 まるで仲間の存在を忘れているよう。


 「何をしたんですか!メリエベーラさん」


 普段は温厚で聖女と讃えられているサーラでも、これには声を荒らげずには居られなかった。


 この先は初心者向けのダンジョンとはいえ、大量の魔物が待ち構えている危険地帯に踏み入れるのである。

 冷静な判断が出来ないようでは危険だ。


 それにとてもではないが、昆虫に対する恐怖心を無くすだけの魔法の効果には見えなかった。


 「ふふふっ、さすが私の見込んだ殿方ですわ~~❤ああっん、ゾクゾクしますわ~❤❤❤ほら、早くしないと置いてかれてしまいますわよ?待ってくださいなぁ~~、主様~~~❤」


 そう言い、乙女の顔をした魔女が可愛らしく両肘を曲げ、大きな胸を弾ませて彼の後を追いかけて行く。

 その後姿は同性のサーラから見ても扇情的で、胸に熱い物を覚えるほど色っぽい。


 特に、自分でも痩せていると思っているサーラの腰と同じぐらいか、それよりも括れた腰から、なだらかなカーブを描いて張り出している丸いお尻が大きく左右に揺れている様は、まさに目の毒であった。


 一人残されてしまったサーラは愛する男性の後を追うのではなく、急ぎ馬車の荷台に上った。

 その際に膝丈の白いスカートが大きくめくれ、透き通る肌をした太ももが露わになっているのも気にせずに。

 急いで松明とロープをバックパックに詰め込めるだけ詰め込むと、ふらつきながらも荷台から飛び降り。

 小さくなってしまった彼の背中を追いかけて、その場を後にした。


 そんな聖女の後姿を見送った年老いた馬が、のんびりと草を食べ始める。


 ケープマウンテンは草木が生えていない禿山で。

 その裾野にある赤茶色の土で出来た坂を少し上った先に、ダンジョンと呼ばれているジャイアントアントの巣の入口がある。


 重い荷物を背負い、息を切らせて入り口までたどり着いたサーラが目にしたのは……。


 緑色の液体で出来た水溜りの上に散らばるワーカーアントの残骸であった。


 しかもそれは1体や2体ではなく、最低でも5体分は有りそうな惨状でる。


 あるモノは胴体が分断され、別のモノは外骨格が粉々に砕かれ。

 触覚が付いた頭部や、細長い棒上の手足などが至る所に散乱していてる。


 とてもではないが、正確な数を数える事は出来ない。


 「あっ、魔石を拾わないと」


 サーラとしては愛する男性の後を1秒でも早く追いかけたかったが。

 馬車の上で聞いたメリエベーラの話を思い出し、放置した魔石が新たな魔物になっては大変だと。

 手が汚れるのも気にせずに魔石を回収し始めた。


 その後、苦労して火を灯した松明を手に、サーラが恐る恐ると洞窟の中へと踏み入れると。

 曲がりくねった通路の先から剣と硬い物がぶつかる、激しい音が聞こえて来た。


 まるで獣のような男性のうめき声も聞こえる。


 それに前方には、むき出しの赤土で出来た壁を照らす、青白い光も微かに見えた。


 どうやらメリエベーラが魔法を使い、明かりを出してくれたようである。


 早くヴァイスのところへ行かないと、と思えば思うほど、サーラの足は重くなっていく。

 走っているつもりがいつの間にか早歩きとなり、気がつけばトボトボとした歩調に変わっていた。


 まるで夕暮れ時に、帰りが遅くなったことを親に叱られると、怯えている子供のよう。


 実は幼い頃から神聖魔法を使うことが出来たサーラも、サキュバスであるメリエベーラや、その契約者であるヴァイスとは別の意味で。

 対面した人間の気配から、その人となりを感じ取る事が出来る。


 そして初めて出会った時の、無謀にもアークデーモンに斬りかかったヴァイスから感じた気配は、

 まるで神の遣いである聖人のように澄んだ青空と真っ白な雪原のようであった。


 それは旅をともにすることになり、関係を結んでからも変わった事は一度もない。


 しかし突如、人間が変わることを、聖女と言う役目を長いこと務めてきたサーラはよく知っている。


 例えば、聖女の安全を守るためと、幼い彼女を屋敷に招いた村長は、誰にでも親切で、全ての村人から慕われ尊敬される立派な人物であった。

 しかし聖女に願いを叶えてもらおうと、連日のように供物を携えて訪れる村人を相手しているうちに欲に目がくらんみ。

 村人に高額な報酬を要求するようになってしまった。


 一度などは、サーラの実の両親が小さな弟が病気で死にそうだから治してくれと訪れたのに。

 あろうことか、村長は彼女の目の前で両親を追い返そうとしたのである。


 流石にそれには我慢が出来ず、村長の言葉を無視して弟の治療をしたのだが。

 その日以来、サーラは両親に会わせてもらえなくなってしまった。


 しかもそれからは、金銭の折り合いが付いた村人だけが、彼女に寝室として与えられた、奥まった所にある部屋に通されるようになった。


 他にもよその村や街から病人を連れて来て、金儲けをする村人までが現れたのだ。

 しかもその人物はサーラの一番の幼馴染で、幼いながらに結婚を約束した間柄でもあった。

 しかし幼馴染は、軟禁されている彼女の助けを聞いて聞かぬふりをしたのである。


 そしてあの日、生贄に決まったサーラに、幼馴染の男はあろうことか、自分は村を出て街で知り合った女と結婚して店を始めるんだと、嬉しそうに伝えて来たのである。


 幼馴染の欲望に曇った眼を、サーラは忘れる事が出来ない。


 それとあの時、両手をロープで縛られ、祭壇へと連れて行かれるサーラを見送る、村人たちの表情……。


 なお、神聖魔法を使う度にサーラは、気が遠くなるほどの疲労感を覚える。

 それは今も昔も変わらない。

 それでも、彼女は病や傷が癒え、苦しみから開放された村人が浮かべる満面の笑みを見ることで、彼女自身も苦しみに何とか堪える事が出来た。


 それは、両親や兄弟から引き離されてしまった寂しさにも同じである。


 それなのにあの時、生贄に選ばれた彼女を見送る村人達の目は、罪悪感を感じつつも他人事として胸の中で安堵し。

 憐れむふりをして優越感さえ感じている村人までが居た。


 その視線は、今も悪夢となって彼女を、サーラを苦しめ続けている。


 しかし今は、困っている人を見捨てることが出来ない、優しくて誠実なヴァイスさえ側に居てくれば……。


 一歩一歩進む度に大きくなる斬撃の音と、徐々に強くなる赤茶色の壁を照らす青白い光。


 そしてカーブを曲がり、サーラが目にしたものは……。


・=・=・=・=・=・=・=・=・


 聖女の独り言。


 「こんにちはサーラです」


 「ついに戦闘が始まってしまいました……」

 「ヴァイスさんの無事を祈っているのに……。何でしょう?このモヤモヤとした胸のざわめきは……」

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