第11話 トラウマとサキュバス

 ヴァイス達が向かう、ケープマウンテンは徒歩で半日の所にある。

 しかし御者役のサーラが年老いた馬を気遣い、昼食とおやつの時間に休憩を取ったことで、もう少し時間がかかりそうである。


 そして彼女の隣に座るヴァイスはというと、弓と魔法の練習をしていた。

 今回、行き先がダンジョンに変更となってしまい、出番が無いと思われる弓で草原や林を徘徊している魔物を射ている。


 結論から言えば、10射して命中したのは1射だけである。

 なお、命中した相手は林の中から飛び出してくる前に、メリエベーラがテレパシーを使い教えてくたゴブリンで。

 1射目は外しまい、仕方なく魔法を唱えて敵の顔を焼き、動きを止めたところで2射目を命中させたのである。

 しかも矢が当たったのは彼が狙った腹部では無く右肩であっため、そのまま逃げられてしまっていた。


 「はぁ~、やっぱり弓の才能が無いのかな……」

 「そんな事はありませんよ。初めてなのに真っ直ぐ飛ばせて”凄い”と思います」

 「まぁそうですわね。移動中の馬車から狙ったのですから難易度が上がるのは当然のこと。でも、ワタクシとしては魔法をおすすめしますわよ❤」


 自分の不甲斐なさに溜息を吐き、ぼやいたヴァイスは、二人の美女に褒められて満更でもなかった。

 因みに魔法に関しては、以前、興味本位で尋ねたヴァイスに、サキュバスであるメリエベーラがノリノリで教えてくれたのだ。


 この世界で魔法を行使するには、魔法陣を描く方式と、呪文を唱える方式の2種類が存在する。

 メリエベーラいわく、魔法陣を言語化したのが呪文であり、2つは同じモノらしいのだが、人間であるヴァイスにとっては全くの別物であった。

 そして彼は登山の愛好家らしく、なるべく手を空けておきたいという理由から、呪文を詠唱する方式を選んだ。

 なお、ヴァイスが面白いと思ったのは、同じ呪文を唱えても声の大きさによって効果範囲が代わり、声の力強さによって効き目が変わるという事だった。


 と言っても体内に保有する魔力量には限りがあるので、大きな声を出せばいいというものでもない。

 またメリエベーラが好んで使う魔法陣方式は、その大きさ、サイズが効果範囲となるらしい。


 そんな感じで遠距離攻撃について試行錯誤しているうちに、森の中をはしる道を通り抜け。

 ケープマウンテンのふもとまでやって来た。


 ベテラン受付嬢のベレットから聞いた通り、洞窟の入口から離れた所に馬車の待機所がある。

 鬱蒼うっそうとした雑木林を四角く切り開き、簡易的な魔除けが取り付けられた柵で囲まれている。


 「あっ、あの馬車に乗って来たのかもしれないな」


 ヴァイスが目ざとく見つけたのは、一台の幌馬車であった。

 一行が乗って来た車輪が2つしかないリヤカーのような荷馬車と違い。

 大きな荷台を4つの車輪が支え、雨露をしのぐことが出来るホロまでが付いている。


 手綱を掴んでいるサーラが馬を器用に操作し、その横に馬車を停車する。


 急ぎ飛び降りがヴァイスが、ホロの中を覗いてみたが誰も居ない。

 あるのはバラけた松明やロープのみである。


 「どうやら、まだ中に…………居るみたいだな……」

 「ええ、そのよう……?ヴァイスさん、大丈夫ですか?顔が青いですよ……」


 手綱を柵に縛り終え、戻ってきたサーラがヴァイスの異変に気がついた。

 何時もは堂々としている彼が、体を小刻みに震わせ立ちすくんでいる。


 不思議に思い、サーラが彼の視線を追うと、柵の向こう側にある林の中から、ちょうど大きな蟻が現れたところだった。

 体の色は黒に近い灰色で、頭の高さは人間の腰ぐらで、ちょうど2個の樽を横にして繋げたぐらいの大きさである。


 なおこの世界では、北海道で鹿に遭遇するぐらいの頻度で、郊外に行けばこのワーカーアント(働きアリ)を見かける事が出来る。

 性格はとても大人しく、近づかなければ攻撃をして来ることはない。


 「…………」

 「やはり他の人に任せて、無理をしない方がいいのではないでしょうか?」


 話しかけても反応しないヴァイスを見て、心配になったサーラは彼の震える手を握った。

 汗をかいているのに冷たい。


 「ごめん、サーラさん……。でも、俺が……行かないと」

 「ヴァイスさん……」


 明らかに戦える状況では無いのに、捜索を強行しようとするにヴァイスに、彼女は掛ける言葉が見つからなかった。


 サーラが世にも恐ろしいアークデーモンに、生贄として差し出された時もそうであったが。

 ヴァイスは困っている人を見捨てることが出来ない。

 たとえ自分が傷つき……。


 「仕方がないですわね。ワタクシが魔法で恐怖心を払って差し上げましょう」

 「本当か……?メリエラ……」


 とそこへ、メリエベーラの艶のある声がかかった。

 未だに震えが収まらないヴァイスが、縋り付くような声を出して、魔法使いの格好をしているサキュバスを見ている。


 サーラは嫌な予感がしたが、自分では解決策を見いだせなかったため、見守る事しか出来ない。


 「ええ、その代わりに♪一晩、ねやを共にしていただきますわ❤」

 「…………そ、添い寝だけなら」


 嬉々とした表情のサキュバスが出した交換条件に、しばしの沈黙のあとヴァイスが頷いた。

 彼はチラッとサーラの様子を伺おうとしていたが、直ぐに思い直してメリエベーラのルビーの色をした瞳を真っ直ぐに見つめている。


 「ええぇ、それで構いませんわよ~~♪ワタクシからは指一本触れませんから~~~」


 勝ち誇った笑みを浮かべたサキュバスが、綺麗に揃えた指で血の色をした唇を隠し、サーラへと視線を送る。


 「本当に害はないのですよね?」

 「何のことかしら~?聖女様♪」


 しかし戯言たわごとに惑わされることなく、サーラは真剣な眼差しでメリエベーラに問いかけている。

 それなのに敢えて意味が分からないと問い返すサキュバス。


 「そ、それは……夜の……ベッドの中のことではなくって……。メリエベーラさんがかける魔法が危険では無いかという事です!」

 「安心なさい。ワタクシを誰だと思ってるのかしら?」


 (それが一番、心配なんです!)


 恥ずかしさを堪え、誤解のないよう明確に問いただしたサーラに、サキュバスはなおも嫣然えんぜんとした笑みを投げかけている。

 いや、自分の真っ赤な唇を紫色の舌で舐め、聖女を挑発している。


 「もういいですよ、サーラさん。俺は大丈夫ですから。メリエラ、早くかけてくれ」


 ヴァイスは珍しくムキになったサーラの肩に手を置くと、三角帽をかぶったままのメリエベーラに向き直った。


 「あぁぁぁ~、凛々しいそのお顔も素敵ですわ~~❤❤❤」


 彼が向けたその顔をしなやかな両手で挟むと、何を思ったのかメリエベーラがいきなりキスをしはじめた。


 「……ッ。(バカ、止めろ!サーラさんの前だぞ!!!)」

 (あっぁぁん❤ご安心くださいませ♪今すぐ魔法をかけて差し上げますから~~。ああっん、主様の唾液❤本当に美味しいですわ~~❤❤❤)


 メリエベーラは彼の口に潜り込ませた長い舌を使い、彼の舌を絡め取ったまま、両目を光らせて魔法を発動させた。

 二人の唇が密着している箇所を中心に、暗い魔力を纏った魔法陣が描かれていく。


 それは円や直線で描かれた模様であり、普通の人間では読むことも叶わない古代文字の数々である。


 人間の姿をしているサキュバスのメリハリの効いた女体に魔力が満ちるにつれ、魔法陣の回転が早くなっていく。

 そして男を惑わず大きな胸がプルンっと大きく震え、メリエベーラが絶頂に到達したところで、ピンク色に輝く魔法陣が強い光を放って弾けた。


 直後にヴァイスの体内に流れ込んで来た、とても熱くてドロリとした大量の魔力が全身をくまなく駆け巡る。


 「はぁっ、はぁ、はぁ。これでもう大丈夫なんだよな?」

 「ええ、あんな虫けら、今の主様の敵ではありませんわよ❤それともワタクシが焼き払って差し上げましょうか?」


 恋人の前だと言うのに、サキュバスはなおもヴァイアスの逞しい体に女体を密着させたまま。

 彼の肩に頭を乗せ、革鎧に包まれている厚い胸を指先でなぞっている。


 「ならいい、俺が殺す」

 「…………ヴァイス……さん」


 強引に黒いローブを纏ったメリエベーラを引き剥がしたヴァイスが、躊躇ためらいもなく腰に下げていた剣を抜く。

 大きな蟻を真っ直ぐ見つめる横顔は、サーラの知るヴァイスのものではなかった。


・=・=・=・=・=・=・=・=・


 聖女の独り言。


 「こんにちはサーラです」


 「なんだか、ヴァイスさんが大変な事になってしまいました。本当に大丈夫なのでしょうか?」

 「それもこれも、私に力が無いばかりに……」

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