第3話「対決!アリジゴ君」
「時間や社会にとらわれず」
──むちゃ
「幸福に空腹を満たすとき」
──むちゃむちゃ
「つかの間──」
「社会はともかく時間にはとらわれてるんですよねぇ……」
「……」
──むちゃ……
引き続き燦々と太陽の照り付ける砂漠からお送りしています。ジャーキーをつまみながらぶつくさ呟いていた博士に後方から愚痴をこぼしたのは助手。二人の周囲は未だ見渡す限りの砂ばかりで、地平線はどこまでもなだらかに続いていました。
「今日で……三日?」
「すねぇ」
「街どころかオアシス一つ見付からんとはのぉ……」
「水ももう底を突きます。食料もそれで──」
「あ゛~言わんでくれ!断腸の思いでその最後の補給をしとるのに」
──むちゃむちゃ
「その割にはさっきからむちゃむちゃ食べてるじゃあないですか……喉乾きますよ」
「なんじゃやらんぞ。先に食べ切っちゃたのはキミじゃろう」
「欲しがってませんよ。それに博士の食べ掛けなんか干からびても御免です……干し肉だけに」
「……」
──むちゃ、むちゃ、むちゃ
「…………。ごめんなさい何か言ってください居た堪れないです」
「……食べ掛けで済めばいいがのう」
「え?」
「水ももう無いんじゃろ?」
「はい……」
「最悪の場合、」
「……最悪の場合?」
「尿をろ過して──」
「いやぁあああぁぁぁぁ!!!」
「…………」
「…………」
そんなやり取りをしている内にも時間は進み、砂漠の過酷な環境は二人の体力を着実に奪っていきます。昼夜の寒暖差を乗り越えれば遮蔽物の無い日光の直撃。それに加え足元に纏わりつく砂。砂。砂。最初はその感触にはしゃいだりもしたものですが、硬くも柔らかくもないそれは時間が経つに連れ踏み心地の悪さを顕著にしました。ちびちびと消費してきた食料と水も終わりが近く、二人は気力もまぁまぁ限界でした。
「こっちで合ってるんじゃよなぁ」
「たぶん間違いないです。ほら見てください」
助手がおもむろに懐から取り出した地図を広げると、博士は歩を緩めて段々と自分の横に追い付かせます。地図を覗き込んでみると最初は中心に押されていた『博士』と『助手』の印影が街とおぼしき四角群の方角、つまり左上を頭にして移動しているのが分かります。ごく微細な動きですが、徐々に進行しているのも伺えました。
「この地図方角が分からないから最初はどうしようかと思ったんですが、この仕組みに気付けて良かったです」
「魔法の類いなんかのぉ?異世界っぽさとぽくなさを反復横跳びしとる……」
「とにかくこの調子なら今日明日には街に付きそうです。それまでの辛抱ですよ!」
「うむ。それにしても終わりが見えていることがこうもありがたいとは。神に……いや、“紙”に感謝じゃな!!」
「…………」
「おい」
「……なんですか?」
「いやこれはさ……おあいこじゃろ?」
「まぁ…………うん、はい……」
「……」
「……」
「それにしたって、暑いのう……」
「ほんとですね……」
熱砂に立ち昇る陽炎の中二人はもう既に汗を掻いておらず、身体にこもる熱が発散されないことからも自分たちが危うい状況にあるのは少なからず理解しています。そんな中でも小言と冗談を交えた会話を欠かさないのはひとえに互いの気力を保つ為。実際にああしようこうしようと相談し合ったわけでは無いですが、このささやかなコミュニケーションが今は二人を支える第三の脚でした。
「太陽の眩しさ、その日射しの暑さ。踏みしめる砂の感触と音、焼け付くような芳ばしい匂い」
「どうしたんです急に」
「いやなに、TIGER 9は良い質感でこの世界を創ってくれた。現実のそれと大差無い。自分で設計しといてなんだが、五感の全てがハイヴィジョン。家電量販店で流れているその手の映像に直接飛び込んだ気分じゃ」
「ちょっと何言ってるか分かんないすね」
「なんで分かんないんじゃ!」
「でもこれだけリアルだと本当にもしもの時どうなるんでしょう?」
「もしもの時?」
「ゲームオーバーした時ですよ」
「そりゃキミ──」
途端。その行動は迅速でした。これまで何度も越えてきた小さな丘の一つ、そのてっぺんに差し掛かる直前で助手は急に地面に伏せました。
出来れば触りたくはない熱い砂にわざわざ密着するような不可解な動作。博士は一瞬混乱しましたが、すぐにそれに付随する形で自分の大きな身体を同じように下げます。
二人は丘の向こう側から身を隠すような形になりました。
「ど、どうしたんじゃ」
「……ます」
「え?」
「居ます。なんか、居ます!あれあれあれ!」
慌てた様子の助手は震える指でちょうどその向こう側を示しています。博士は訝しみながらも丘の切れ目から恐る恐る頭を出しました。辺りも砂丘に囲まれて窪地になっているそこに、“ソイツ”は居ました。
体長は2メートルほどでしょうか。存在感のある二足立ちのシルエットは一見人にも見えますが、ところどころ生えた鋭角的な部位がそうではないことを主張します。中でもひときわ目立つのが頭に付いた一対の大顎。ギザギザとしたそれは体躯に劣らず長大。全身を覆う堅牢そうな黒い甲殻は光を反射して艶やかに煌めき、胴体に比べると細くしなやかな四肢──いえ“六肢”がそれに付随する形です。一言に纏めるとするならば、それは正にクワガタの化け物と呼べる姿をしていました。
「なんじゃぁ……ありゃあ」
「一旦戻りましょう……?ちょっ、びっくりしちゃって、いや、びっくりしたぁ……」
「そうじゃな……。ゆっくり、ゆっくりな」
そうして二人は逆再生の亀のような動きで静か~に慎重に丘を下り、その麓まで後退しました。幸いその化け物はこちらに気付いていないようで、追ってくる気配はありません。
「いや、え~。なにあれ」
「魔物?モンスター?とにかく尋常の生き物じゃないですよね……」
「よし、彼奴の名を仮に『昆虫大帝アリジゴ君』としよう」
「仮称の定義が揺らぎますね」
「興奮してきたのう」
「しないですよバカ!」
「バカ?バカっつった??仮にも博士に助手が???馬鹿っつった????」
「うわ~どうしよう。ここ真っ直ぐ行けばもうすぐ街なのに……」
「…………。本当にどうしようかのう……」
「……」
「……」
暫し砂漠に一抹の静けさが訪れました。風が吹き、砂が波を打ちます。それはごく僅かな間でしたが、砂丘の影に呑まれた二人の人間にとっては、悠久とも思える時間でした。
「よし、行くか」
「え!」
「時間があればここで期を待つという手もあったが……生憎のところワシらには時間が無い。そうじゃろ?」
「それはそうですけど……」
「それに周りを見てみぃ」
博士の言う通り、周りは先ほど登って下りてきた丘よりも傾斜が激しく小高い地形ばかり。
「今の備蓄でなだらかな道を探して迂回するより、多少危険を侵してでも直進するほうが良ぇ」
「うーん……よしっ」
助手は両手をついて立ち上がると自身のその両頬をバシッと叩きました。
「ゲホッ!ゴホゴッホッッ!!」
砂が舞って咳き込みました。
「何やっとんじゃ……」
「いや、ゴッ!オレも、ゴホッ!覚悟を…!ブッ!決めま……ッした!」
「おぉ、そうか!では頼むぞい助手くん」
「……ん?」
「うん?」
砂漠にまた風が吹きました。
「じゃからワシに構わず先に行きたまえ。いやはやキミのその勇敢さには敬意を表する。立派な助手を持ってワシゃ幸せじゃあ」
「言い出しっぺの法則ってご存知です?博士こそ遠慮なさらずお先にどうぞ。年功序列ですよ」
「いやいや助手くんが」
「いやいや博士が」
また風が吹きました。よく吹きますね風。
「……ここは公平にジャンケンと行こうじゃないか?」
「いいですね。実に公平だ松下だ」
「よっしゃ行くぞォッ!!!」
「かかって上等ッ!出っさなきゃ負けよー最初は──」
「パー」
──ぐいぐいぐいぐい
「ゴメンゴメンゴメン!冗談!冗談じゃから!!髭は!髭はやめてっ!ちぎれるっ!ちぎれるから!!」
「全く……」
「では仕切り直して……」
「もうここで終わってもいい……」
「だから!」
「ありったけを!」
「「じゃーんけーん!!」」
「うぅ……うぅ……っ」
「がんばれぇーー応援しとるぞぉーーー」
「くそ~……高みの見物決めくさってからに…………」
丘の頂上に身を隠しながら声援を送る博士を怨めしく感じながらも助手はトボトボと歩を進め、窪地の底までたどり着いていました。10メートルほど挟んだ先、その間化け物──改めアリジゴ君は微動だにせず向こう側を向いたままで、それが逆に不気味さと緊張感を掻き立てるのでした。
助手は直前の博士とのやり取りを思い出します。
「大丈夫じゃって!ワンチャンああいうタイプの亜人さんかもしれん。ワシらホモサピエンス、二足歩行はだいたい友達」
「それで括るにはだいぶ無理があるよぉ……」
「そういえばさっきの話の続きじゃが……」
「?」
「ゲームオーバーの話」
「あ……」
「死んだらの、多分死ぬ」
「!」
「蘇生技術が確立している可能性も無いではないが、どのみち現環境では期待は持てんじゃろう。ワシは死に戻りも好きじゃが、緊張感も大切にしたい。タイガーの反映設定からして多分少なくとも自然復活的なやつは無い」
「なんで今その話蒸し返したんですか!!」
「いや、答えれる内に答えとこうと思って」
(やっぱこの髭むしっときゃよかったな……)
万が一本当に対話が成立したとき警戒されると厄介──というか多分そもそも刃が立たない為、短剣を含めた荷物類は博士に預け、助手はほぼ丸腰の状態でした。
(素通りしても見付かるのは確実……だったら!)
足を広げて腰を引き、両手も広げて顎は出す。助手はいよいよ臨戦態勢に入りました。そして大声で──
「げ、元気ですかァーーー!!!」
──これです。
(人間、追い詰められるとみんなイノキしか出ないんじゃなぁ)
博士は一つ知見を得ました。
一方アリジゴ君の方はというと、流石に大きな声に気が付いたのか気配を感じ取ったのかは不明ですが、助手の方に振り向くように体勢を動かし始めました。
助手の顔面は今にも泣き出しそうなほどにぐちゃぐちゃでしたが悲しいことに水分不足の影響か涙は出ません。
大顎の付け根にある触覚の先、くりんとした双眸がその情けない表情を捉えました。
(ひいいぃぃぃ~~~)
助手は震えながらも目を反らすわけにもいかず、引きつった蒼白の顔を大人しく映させる他ありません。僅かに動いた目蓋もその視界を完全に封じてはくれませんでした。
(あっ、でもちっちゃい頃飼ってたミヤマにちょっと似てるかも……)
──ばびゅん
──しゅぱあぁん!!!!
何が起きたのか理解するよりも速く、助手の背後で砂丘が吹き飛びました。
「え?」
驚いたのは博士です。丘の頂上でしゃがんで隠れていたはずが急に足場が消えて空中に投げ出されたのですから、受け身も取れずその高さから落下する他ありません。
「あーーーーーーれーーーーーーー────」
──ズササササササササ
「──砂上の楼閣ッ!」
大量の砂に引き摺られる形で博士は頭から地面に突っ込み、更にその上から残った砂が追い討ちを掛けました。
それら一部始終が終わる頃。助手は頬を伝わる一筋の感触に気付き、あれ今さら汗が出てきたのかな?と拭ってその指を見てみると赤い痕が付いていて、直後にピリッとした若干の痛みと生暖かさもじんわり伝わってきて、そこまでしてやっとそれが汗でないことを認識しました。
「…………」
視線をアリジゴ君に戻すと、その顎の奥の隙間から何か煙っぽいものが昇っているのが見えます。閉じ切っていた汗腺から、今度は本物の冷や汗がぶわっと吹き出しました。みるみる内に顔の表面温度が下がっていくのが分かります。
「キシャアアアアアアァァッッ!!!!!!」
「いやぁああああああぁぁぁぁ!!!!!!」
~つづく~
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます