第44話 神様は俺達を救わない ……②

「奥様ですが、前期破水といって切迫流産を起こしているところです。幸い高位破水といい羊水が残っているので妊娠は継続できますが、危険な状況なのは変わりません。子宮内感染を防ぐ為に、抗生剤と子宮伸縮を抑制する薬を投与します」


 絶望が脳裏を支配する。

 昨日まではあんなに幸せだったのに、何で? どうしてこんな話を聞かされているんだ?


「奥様には入院して頂き、少しでも長くお腹に留めてもらいます。ただ、無事に出産できたとしても合併症や脳性麻痺など様々な障害を引き起こす可能性があります」

「——障……害」

「奥様と、よく話し合って下さい」


 ベッドの上で点滴を受けている胡桃ちゃんは、シーツを覆被って蹲っていた。泣き声を押し殺しているが堪えきれていない。

 それもそうだ。あんなに愛しく思っていた赤ちゃんに危機が迫っているのだから。


 俺は何をしているんだろう。

 今、一番苦しいのは胡桃ちゃんとお腹の赤ちゃんだというのに……。


「——胡桃ちゃん。さっき先生に聞いてきたけど一先ず大丈夫そうでよかったよ。具合はどう?」

「廉く……っ! よくなんかないよ……、私のせいでこの子は!」


 医者でも気付かなかったのだ、胡桃ちゃんは悪くない。どんなに安静にしていても、なるものはなってしまうと先生も話していた。それに妊娠は奇跡なんだ。こうしてお腹に宿ってくれただけでも幸せなことなのだ。


 今の医学は発達していて1000gを超えていれば生存率は上がるが、障害が残る可能性は否めないと言われた。少しでも長く妊娠を継続してほしいけれど、破水して羊水が減った今、状況はかなり厳しいだろう。


「大丈夫、きっと大丈夫。俺が二人を守るから」

「廉くん……っ、ごめん、ごめんなさい!」


 俺はしきりに謝る胡桃ちゃんの手を取り、黙ったまま握りしめた。こんな彼女を一人にしておくことはできず、その日から仕事を休んで可能の限り寄り添うことにした。

 ベッドから降りることもできず、安静第一に我が子を守る姿を目の当たりにして、涙など堪えることができなかった。


「ねぇ、廉くん。もし私に何かあっても……この子を優先してくれるって約束してくれる?」

「——え?」

「お願い。もしもの時だけど……廉くんにしか頼めないから」


 正常な妊娠でない今、胡桃ちゃんの願いもやむ得ないかもしれない。


 だが、障害を抱えて生まれてくるかもしれない子供と最愛の妻を天秤に掛けた時、どうしても素直に頷くことができなかった。そもそも無事に産まれるかどうかも怪しいのに……。


 彼女には申し訳ないが、子供はまた次に頑張れる。でも胡桃ちゃんは、胡桃ちゃんしかいないのだ。


「その選択を俺に委ねるのは残酷だよ、胡桃ちゃん……」

「——ごめんね、廉くん。でも私、どうしてもこの子を産んであげたい」

「気持ちはわかるよ。でも俺は、お腹の子供と同じくらいに胡桃ちゃんのことが大事なんだ。胡桃ちゃんがいない世界なんて、もう考えられないよ」


 泣いて彼女に訴えた。そう、彼女の意思はもう変わらなかった。彼女の顔は優しいだけでなく強さを秘めた母の顔になっていた。


 そう願いを託されて数時間後、胡桃ちゃんの身体に異変が起きた。

 胎児の心拍が落ちている——……胎盤剥離が起きていると診断された。


「すぐに手術が必要です! 帝王切開になりますが、よろしいですか⁉︎」

「帝王切開……? あぁ、何でもいいから彼女を! 彼女と赤ちゃんを助けて下さい‼︎」


 胡桃ちゃんが運ばれた部屋の扉が遮断するように閉じた。こんな時、父親は本当に無力だと痛感する。

 苦しんでいる彼女のために何もできない。代わってあげられたらどんなにいいだろう。

 もしも赤ちゃんの代わりに自分の命を捧げられるのなら、喜んで差し出すのに。


「神様、お願いです……どうか、胡桃ちゃんと赤ちゃんを救ってあげて下さい!」


 現金なものだ。この前までは神様に幻滅していたというのに、今度は姿は縋るように祈りを捧げた。だが、こんな願いで彼女たちが助かるのなら、いくらでも頭を下げる。だからお願いです——、神様……彼女達を助けて下さい……!



 それから間もなくして産声が上がった。

 低酸素だった為、今すぐ検査が必要と簡単に説明されてNICUへ緊急に運ばれたのを見届けることしかできなかった。

 事態はあまり良くはなかったが、それでも無事に生まれてきてくれた。あんなに不安だったのに、気付けば多くの涙が頬を伝っていた。


「良かった、赤ちゃんは生まれたんだ」


 俺達の子供は頑張って生まれてきてくれたよ。あとは胡桃ちゃんだ。

 きっとすぐに先生が出てきて「母子ともに無事です」って、ドラマのように出てくるはずだと待っていたが、いつまで立っても出てくる気配がない。むしろ慌ただい状況が続いている気がするのだが?


 手に汗が滲む。焦燥が全身を支配する。

 目の前がグラグラする——……。


 待ってよ、何で? 赤ちゃんは無事に生まれたのに、何で先生達は出て来ないんだ?


「廉兄ちゃん! お姉ちゃんは? お姉ちゃんは大丈夫なの⁉︎」


 その声に、俺はハッと目を覚ました。

 病院に駆け付けてくれた妹の寿々ちゃんが心配そうに声を掛けてくれた。赤ちゃんは無事だけど、胡桃ちゃんはまだ……。


「寿々ちゃん、どうしよう……。もし胡桃ちゃんに何かあったら」

「大丈夫だよ……お姉ちゃん、赤ちゃんを抱くことをすごく楽しみにしてたんだから。今だってきっと」


 すると手術室の扉が開き、中から執刀医の先生が姿を見せてきた。俺達に気付いた先生は頭を下げて、先程まで起きていた状況を説明してくれた。


「結果から報告しますと、奥様は無事です。ただ出血が止まらなくて……やむ得ず子宮を摘出致しました」

「子宮を——……?」


 愕然と崩れ落ちた寿々ちゃんだが、それよりも胡桃の安否を確認できた俺は、先生に深く感謝した。

 良かった、胡桃ちゃんが無事で本当に良かった……!


「お子さんも1162gと思ったよりも大きく生まれてきてくれたので、一先ずご安心ください。あとはお子さんを信じましょう」


 幸い人間としての臓器も出来上がっている週数だったのが救いだったが、それでもまだ残る壁はいくつもある。


 だけど、今は——二人に感謝を伝えたかった。


 それからしばらくして、俺は意識を取り戻し動けるようになった胡桃ちゃんを車椅子に乗せて子供のところへと向かった。

 そこには自分たちの赤ちゃん以外にも多くの子供がいて、しきりに機械音と赤ん坊の泣き声が響いていた。

 その中で、センサーに繋がれた我が子が大きな声をあげている姿を見て、思わず涙が溢れた。胸が苦しくて、止まらない。


「可愛い……ずっと、ずっと会いたかったよ」

「子宮は残念でしたが、母子ともに無事で本当によかったです」


 そう言われて渡された赤ん坊を胡桃ちゃんは大事そうに抱えて、頬擦りをした。会いたくて会いたくて堪らなかった赤ちゃん。


「生まれてきてくれてありがとう……! 私達の子供になってくれてありがとう」


 他には……もう何もいらない。

 俺は一生掛けてこの二人を守ろうと固く誓い、愛する我が子に指を向けた。

 小さな手がしっかりと掴む。この強さを感じながら、俺は胡桃ちゃんと笑い合った。


 ・・・・・・・・★


 子供の名前は「 すい 」俺達の大事な、大事な宝物だ。



 ifで絶対に書きたかったのは、ユウのご両親への結婚報告。そして水城と胡桃の子供の出産でした。

 本編では子宮摘出で子供が産めない胡桃でしたが、ifでは命を掛けて産む形に持っていきました。


 きっと母親なら自分の命よりも子供優先になっちゃうと思うんですよね……。ましてや自分の子宮なんていいから子供を優先してくれってなります。


 人によっては辛すぎる描写が多かったかと思います。けれど正常な妊娠出産は当たり前ではなく、母子共に命懸けです。

 きっと大きな壁を乗り越えた水城夫妻は、誰よりも深い愛情を捧げると思います。


 決してハッピーエンドとは言い難いですが、命懸けで生まれた子供と胡桃に頑張ったねと声を掛けてくれれば幸いです><

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