第33話 大人になったと思っていたけれど、君はまだあどけない顔で

 その日も未知さんの意識が戻ったという報告はないまま夜がふけようとしていた。


 そしてユウは、二つ返事で了承してしまったものの冷静に考えると——なんだ、この状況はと焦り覚え始めた。

 お風呂に入ったシウはこの前買ってきたルームウェアを着て、濡れた髪をタイルで拭きながらリビングへ戻ってきた。


「ありがとう、お風呂気持ちよかったよ」


 すっぴんを見るのは初めてではないのだが、この前とは違う雰囲気に言葉を発せなかった。


 皆が大変な時に、なんて不謹慎な——!


「何でこんなタイミングで初めての部屋訪問。初めてのお泊まり……!」


 人生で一番上がるイベントをこのタイミングで迎えてしまったことを酷く後悔した。

 だが未知さん、イコさん……そして父親が危ない目に遭って心細い思いをしているシウを支えなければ!


「ねぇ、ユウ。ベッドって一つしかないんだよね? 一緒に寝てもいいのかな?」


 うっ、初っ端から返答に困る質問。

 こんな時に不謹慎なことは控えるべきなので別々に寝るのが好ましいと思うのだが、こんな時だからこそ心細くてそばにいて欲しいと思うかもしれない。


「いいけど、シングルだから狭くない?」

「ユウにくっついて寝るから大丈夫だよ」


 抱き枕状態——⁉︎

 想像しただけで気持ちよさそう……! だがそんなことをされたら間違いなく暴走キカン棒と化す。安眠できる気がしない。


「ねぇ、今日ももう疲れたから早くベッドに行きたいんだけど、ユウはまだお風呂に入らないの? ちょっと一緒に話したいんだけど」


 困った表情で首を傾げて、仕草がいちいち可愛過ぎる!

 何で? どうして? 病室にいた時にはあんなにシリアスな空気で、一ミリもやましい気持ちにならなかったのに、二人きりになった途端に理性が欲望に負けつつある。


「くっ、シウも無駄に可愛いのが罪深い! イコさんみたいな雰囲気でいてくれたら、僕ももっと接しやすいのに!」


 ふっと、未知さんに寄り添っていたイコさんを思い出して、胸が張り裂けそうになった。

 勝気な彼女が見せた、今にも泣きそうな背中。意地で振り向かなかったが、あの時のイコさんはどんな表情だったのだろうか?


 やっぱり、一人にするのは早まっただろうか?


 ユウは自分のとった行動を悔やみながら、湯船に浸かりながら考えていた。


 万が一のことがあったら、イコさんとシウはどうなるのだろうか?

 それに社長不在の会社もこのままにしておくわけないはいかないだろう。仮に意識が戻ったとしても、後遺症の問題など様々な不安が残る。


 幸い、鉄骨といっても大きなものではなくアパート建設現場での軽量鉄骨だった為、思った程の惨事ではなかったが、それでも楽観視はできなかった。


「何でよりによって未知さんなんだよ……」


 あんなに必要とされている人を奪おうとするなんて、神様っていうのは意地が悪い。


 ユウがお風呂から上がり、トレーナーと膝丈のハーフパンツを履いてリビングに戻ると、キッチンでミルクを温めているシウの姿が視界に入った。


「ごめんね、キッチン借りてる」

「いいよ、気を遣わなくて。シウの家だと思って自由に使ってよ」


 ユウの言葉にシウも安心したように微笑んで、二つのマグカップを持ちながらベッドの端に腰掛けた。


「……あのね、ユウ。少しだけ真面目な話をしていい?」


 むしろその方が助かる。変に色っぽい頼みをされるよりも、ずっとずっと有難い。


「未知さんの話?」

「——うん。お母さんや叔母さんとかと話していたんだけど……もし、お父さんに何かあった時の話をしていて」


 言葉を紡ぐたびに目に涙が溜まって潤んだ。瞬きと共に落ちる滴を指で拭い、静かに耳を傾けた。


「会社、叔母さんの旦那さんも同業の仕事をしているから譲るか……。それともお父さんの意識が戻ることを信じて、今の状態のまま

 ——不在のまま担うか」

「不在のままって、仮に意識が戻ったとしても、前のように働ける保証もないのに?」

「だよね……。普通に考えたらそうだと思う。だから叔父さんに譲渡するのがいいのかな?」


 大黒柱を失うってことは、今までの生活が一変することなのだと改めて痛感した。

 保険にも入っているだろうから金銭的なことは問題ないと思うけれど、ただ生命を維持するための医療費は相当掛かるだろう。


「何かさ、ちょっと嫌だったけど……お父さんの会社の方が業績良いらしくて、譲渡してくれたら入院の医療費は保証してくれるって。どうしようもない私達の足元を見てさ。悔しかった……お父さんが積み上げてきたものが、こんな一瞬の出来事で奪われるのかって思ったら許せなくて」


 その時の表情は親を慕う娘の顔そのもので、ユウの知らないシウの顔だった。


 だが会社経営は多くの人間の生活に直結する問題だ。個人の想いだけではどうしようもないのが現実で、歯痒さを覚える。


 悔しそうに涙を溜めるシウの背中に腕を回して、慰めるように強く抱き締めた。


 ・・・・・・・・・★


「力になれることなら何でもしてあげるのに……無力な自分が嫌になる」


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