第8話 ユウくん、今……幸せ?
寒さが肌に突き刺さる。歩く度に白い息が目の前に広がり、消えていく。
そんなユウの前を歩くイコさんは、行き先を告げないままどんどんと歩みを進めていった。
「イコさん、どこまで行くの?」
「え、何?」
振り返った表情は幼い頃の面影を残していて、懐かしい気持ちに襲われる。
小さい頃のユウはいつもイコの背中を追いかけていた。だがいつからか、その背中は見えなくなって気付いたら彼女は他の男性の隣に立っていた。
決して実ることのなかった初恋の甘酸っぱさが、今になって心に沁み渡る。
「あー、そうだよね。あまり時間をとってもユウくんにも予定があるもんね。ごめんね、気が利かなくて」
「いや、僕は構わないんだけど。ほら、この辺りって車に乗らないと店もないし、闇雲に歩いても疲れるだけかなと思って」
ユウの言葉に「確かにねー」って納得して、くるっと身体を反転させた。とても年上には見えない動作に目を奪われる。
シウが生まれてからは、とにかく一生懸命馬車馬のように働いてきたイコさん。あの時の彼女は幸せとはかけ離れた顔をしていたが、今は満たされた幸福感が滲み出ている。
「……イコさんは幸せになったんだね」
「え、何? どうしたの?」
近付いてきた彼女は下から覗き込むように首を傾げて、微笑んできた。
きっと自分ではできなかった穏やかなイコさんを見て、何だろう……。少し泣きそうになった。
胸の奥が騒ぎ、目頭が熱くなる。
「ユウくんもさ、身長伸びたよね。あの頃はこーんなに小さかったのに」
そう言って肩のあたりをヒョイヒョイっと手を地に平行にさせて、一体いつの頃を思い出しているんだろう? 今は180センチはないが、少なくてもイコさんよりは大きい。高校生になった頃には彼女の身長も追い越していたはずなのに。
———きっと彼女の記憶のユウは、小学生で止まっているのだろう。
眼中にもなかったということだろうな……。
初恋の人に突きつけられる現実は、思っていたよりも堪えて泣きそうになる。
「それで何の用事? 何かあった?」
「あー……えっとさ、ユウくんが住んでるところってどこかなーって思って」
そんなことを聞くためにわざわざ外に出たのか?
歯切れの悪いイコさんに「K市の香折町だよ」と伝えると納得したように何度の頷いていた。
「へぇー、意外と近いところに住んでいたんだね。ねぇ、ユウくん。これからもたまにお茶とかしようよ? 久しぶりにあったら懐かしくなったから」
スマホを取り出して互いの連絡先を交換した。なんだろう、この背徳感。さっきからシウとミチさんの顔が脳裏をよぎって罪悪感をチクチクと突き刺していく。
そんなユウの心情なんてお構いなしに、イコさんは質問を続けた。
「ねぇ、ユウくんはさ……今、幸せ?」
「———え?」
「って、幸せに決まってるかー! 彼女ができて今が一番楽しい時だもんね! 何かさ、相談したいことがあったらいつでも連絡してよ? これでも一応人妻だからアドバイスできると思うし」
なんだろう? 無理して笑っているような、そんな印象がイコさんから伝わってくる。そんなわけがないのに。今の彼女はとても幸せそうに見えるんだから。
『あんな頼りになって優しい旦那と可愛い娘に囲まれて幸せじゃないはずがない。僕が持っていないものを手に入れているイコさん……』
ユウはスマホを直すついでに
「イコさん、帰ろう。寒くなってきたし、シウ達も心配するといけないし」
「———うん」
イコさんも冷たくなった手を擦らせて、しばらくしてからコートに入れて歩き出した。半歩下がった距離を保ちながら歩くイコさんと肩を並べる為に少し歩調を緩めて、ユウは再び歩き出した。
「こうして隣同士で歩くのって、初めてだね」
「え、そう?」
「そうだよ。だってイコさんは小さい僕をうざがっていたからね。もう少し歳が近かったら、少しは遊び相手になったのかな?」
懐かしい思いで話を振ったつもりだったのに、イコさんは複雑な表情で苦笑いを浮かべた。
「はは、昔の私ってバカだねー」
「バカだなんて思わないけどさ。きっと僕の逆の立場なら同じような行動をとるだろうし」
一応フォローのつもりだったが、彼女はピクッと口角を引き攣らせて「嘘吐き……」と小さく呟いた。
「ユウくんは歳の離れたシウをあんなに可愛がったじゃん? きっと逆の立場でも邪険になんてしなかったと思うよ?」
少しムキになっているのが声色からも伝わってきた。だが二人の関係性は変わらないし、そんなもしも話ほど無意味なものはない。
変なイコさんだなと思いながら流しながら二人は家へと歩いて行った。
・・・・・・・・・★
「隣を歩くのが懐かしくて、良い思い出ばかり蘇る。悪いことには目を瞑りながら」
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