第15話 研究者としての知識欲

 ラウンジには穏やかな曲が流れていた。その曲がなんて曲かは知らないが、俺の心境からすると場違いで、BGMとしてはこれ以上ないぐらい相応しくないものだと思った。

「異端者、ですか……?」

 スピカさんは目を伏せ頷いた。空気が急に重くなったように感じる。ティーソーダでカラカラに渇いた喉を潤してみても、先程感じたような爽快感は得られなかった。

「サーブさんは、どうしてテン様を起こされたのですか?」

「テンのことを様付けで呼ぶのですね」

「そういうサーブさんはどうして呼び捨てを? テン様にそう言われたのだとしても、今ここでテン様を呼び捨てる必要はありませんわ」

 空気がピリつくのを感じた。ここにいる彼女には、テンとの再会を喜んだスピカさんの面影は全くない。冷静に冷酷に、俺をその青い瞳で見定めようとしているように見えた。

 嘘や偽りはこの人には通用しない。そんな風に思えて、俺は正直に今までの経緯を説明することにした。

「俺が勇者の塔に行ったのは研究のためです」

「研究?」

「はい。申し遅れました。俺は暗黒期と勇者についての研究をしているキールと申します」

 俺が軽く頭を下げるとスピカさんは酷く驚いたような表情を作った。やっぱりこの研究題材は禁忌なのかと思ったが、そうではないらしい。

「貴方はサーブ様の一族の方ではないのですか? でも、テン様はたしかに貴方をサーブと……」

「ああ、サーブと呼びたいとテン……様が、願われましたので」

「では、貴方は勇者の関係者一族とは、なんの接点もないのですね」

 スピカさんはそう言って愕然とした表情で項垂れてしまった。勇者の関係者一族、という単語が引っかかる。それ以外にもスピカさんの発言はどれもなにかが引っかかるものばかりだった。テンを「起こした」という言葉や、「テン様呼び」など、言葉の端々からなにかを知っているのは明確だった。俺が知らない勇者に関する情報をスピカさんが握っているのなら、俺はなんとしてもスピカさんから聞き出さなくてはならない。

 スピカさんの態度からはテンを特別に敬っているのが伝わってくる。そしてテンと知り合いのようであるから、普通に考えれば彼女は教会関係者ということになるだろう。だが、教会関係者が「異端者となる覚悟はあるか」と聞いてくるのは不自然だ。彼女が治療を行う施設から出できたこともおかしい。それに彼女は俺がサーブという名前、もしくはサーブの関係者だと勘違いした。それはテンが俺をサーブと呼んでいたからだが、サーブには話せて俺には話せないことがあり、それが「異端者」となる内容であるとしたら。

 ゴクリと喉が音を立てた。知りたいと強く思う。研究者としての血が騒ぐ。わからないことを解明したい。どんな要因が現状を作ったのか、理解できるまで知り尽くしたい。

 俺の疑問の鍵を握る人物は目の前にいる状況だ。もし焦ってしまえば彼女は二度と俺に口を開かないだろう。遺跡の調査より慎重な手順が必要だ。間違いは許されない。

 深呼吸をして一度頭を冷やす。虎穴に入らずんば虎子を得ず。だから俺は口を開く。

「俺は罰せられますか?」

「……なぜですか?」

「勇者の塔に侵入し、勇者を起こしてしまいました」

 スピカさんはとても苦々しい顔で、首を横に振った。

「私には貴方を罰する権限などありません。おそらく教会上層部にも勇者の塔の存在を信じている者はいないでしょう」

「塔の存在を信じていない?」

「ええ。ですから貴方は罪を犯してなどいません。よって罰せられることはないでしょう」

 教会上層部が勇者の塔の存在を信じていない。つまり、神の御使いであるテンの存在を教会は把握していないことになる。そんな馬鹿なことがあるだろうか。

 たしかに俺の研究の始まりはただのおとぎ話だ。そのおとぎ話も時代と共に二転三転しており、最近の話では「果ての地」という文言が消え去っている。それを知った時、まるで勇者の居場所を隠しているみたいだと思ったことは覚えている。

 勇者はずっと隠されてきた? なんの目的で? 教会上層部さえ存在を知らない神の御使い。まるで幻のような、物語の架空の登場人物のような扱いは、どうして起きている?

 実際に俺は勇者の塔に登り、テンに出会った。おとぎ話はただのおとぎ話ではないことを知ってしまっている。

「勇者とは、なんなのですか?」

 スピカさんは黙っている。

「テンは、何者なんですか?」

 神に一番近い教会が知らない神の御使い。その答えを、俺は心から知りたいと思っていた。


 真実はいつだって残酷でなにも救わないことを、俺はわかっていなかったのだ。

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