第8話 情報過多

 夕日色が満ちるビオトープの中で、俺は勇者の言葉を待っていた。許されるのなら知りたいことが山ほどある。神の御使いにただの研究者が直接あれこれ尋ねるのは大罪に当たる気もするが、それよりも研究者としての探究心が勝っていた。心臓がドキドキと脈を速めていく。期待と少しの不安で緊張していた。勇者が口を開くその瞬間まで、俺はただただ待ち侘びていた。

「サーブ…………勇者様、ってなに?」

 しばらくの間があり、勇者は首を傾げると不思議そうにそう言った。俺は一瞬なにを言われたのかわからず、ポカンとしたまま固まってしまった。

「……へ?」

 思っていたのと違う展開に頭が混乱していた。この方が本当に勇者という確証がなくなってしまう? いや、この場所で眠っていて勇者の紋章を首から下げた人が勇者以外とかありえないだろ。とにかく、勇者は「勇者様」という敬称をご存知ではなかったらしい。自分がなんて呼ばれているのか知らないとか有り得るのだろうか。眠りにつかれたあとについた名称で、ご自身は勇者という称号で呼ばれたことはなかった。そういうことに、なるのか……?

 視線を上げ勇者の顔を見ると、なぜか勇者の方が困り果てた顔をしていた。あ、俺……考え込んでいた間、勇者を放置していたな。この場面を教会の偉い人が見てたら、不敬罪で俺の首は飛んでいたかもしれない。良かった二人きりで。

「サーブ、僕なにか変なこと言った?」

「いえいえ、すみません。ちょっと驚いてしまいまして」

 俺は一度深呼吸をしてから先に勇者の質問に答えることにした。

「先程は失礼致しました。『勇者様』というのは、あなた様の呼び名、敬称でございます」

「えぇ? 僕のことだったの?」

 なんか大層な名前がついてるんだなぁ、なんて穏やかに話されるものだから、調子が狂う。魔王を倒した勇者だというのに、随分と朗らかな人だと思った。

「これからも勇者様とお呼びしても?」

「え! なんか慣れないし、いつもみたいに『テン』て呼んでよ。ところで、なんでサーブはさっきから僕に敬語なの? 前に敬語ヤダって言ったじゃん!」

「情報量が多い」

 思わず思ったことが口からそのまま出てしまったが、勇者様改めテン様は不満気に唇を尖らせた。やっぱり俺のことを知り合いの誰かと間違えているらしい。そして勇者様のお名前がテン様とわかったが、可能ならスペルも教えていただきたい。

 どこからお話したものかと悩んだが、空を仰いだ時にさほど時間がないことに気付いた。さっきよりもずっと空が藍色に傾いていた。

 食料になりそうなものはビオトープの中にあったが、ここはいわば聖域だ。俺が触れていいものではないだろう。携帯用の食料は少しあるが、水の残りが心もとない。可能なら今日は一度塔の下まで降りて、色々補給したいところだ。

「サーブ?」

「テン様、申し訳ありません。俺はそろそろこの塔を降りなければなりません。なので、大変恐縮ですがご質問いただいたことについてはまた明日……」

「そうなの? じゃあ降りよう」

「はい、テン様……って、え、一緒に来るの!? あ、いや、来られるのですか?」

「うん。僕お腹空いちゃったし。ここにあるものは食べちゃダメってスピカが言ってたから」

 テン様の口から新しい名前が飛び出した。またなかなかに情報量が多いが、とにかくテン様は俺と一緒にこの塔を出られるおつもりらしい。

 俺は今日ここまで登ってきた階段の数を思い出していた。ずっと眠っていた人間にあの数の階段を歩かせるのはどうなんだろうか。下りとはいえ、一時間は確実にかかる階段だった。

「テン様、本当に降りれますか? すごい階段ですよ?」

「階段は使わないよ?」

「え」

「行こ!」

 テン様ははるか昔からさっきまで眠り続けていたとは思えぬ足取りでスタスタとビオトープの出口に向かっていく。俺は慌ててテン様を追いかけて、階段の手前の小部屋に戻ってきていた。

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