第7話 勇者
勇者の紋章が描かれた首飾りの光がゆっくりと消えていく。急に光出したことへの驚きよりも、もっと信じられない出来事に俺は直面していた。
俺が触れた勇者の頬は冷たくなかった。むしろ人のぬくもりのようなあたたかさがあった。それどころかしっとりと弾力のある肌は吸い付くようで、数百年も眠っていた人間のものには思えない肌触りだ。しかし俺が驚いたのはそんなことではない。
「嘘だろ……」
今まで閉じていた勇者の瞼が震え、ゆっくり持ち上がる。長い睫毛に縁取られた青空を思わせる大きな碧眼が周囲を探るように動き、俺を捉えた。こんなこと、有り得るのだろうか。
伝説の、おとぎ話の勇者と目が合っている。
「あ、あの、俺……!」
「……ってた」
「え?」
勇者の桃色の薄い唇から小さな声が漏れる。少年特有の柔らかな声は何かを伝えようと懸命に震えていた。俺は目の前で起こる奇跡のような光景を呆然と見ているしかなかった。
勇者はゆっくり体を起こすと頬に添えられた俺の手に自分の手を重ねて、その大きな青水晶のような瞳から透明な涙を流した。そしてまるで慈しむような甘やかな表情でもう一度口を開いた。
「待ってたよ、サーブ」
ドキリとした。勇者が呼んだのは俺の名前ではなかったが、それでも彼から目を離せなかった。嬉しそうに泣きながら笑うこの人が、あまりにも綺麗だったからかもしれない。
魔王を封印した勇者という言葉から、俺はもっと屈強な人間をイメージしていた。だけど目の前にいる少年は華奢で色白で綺麗な手をしている。滑らかな肌もサラサラな髪も中性的な顔も、とても魔族と戦い魔王を封印した人間には見えなかった。
「あ、あの……良かったら、これ」
俺はバックパックの背中側にあるポケットからタオルを取り出して、勇者に差し出した。勇者は頷いてタオルを受け取ると、涙を拭いて笑顔を見せた。
「サーブ、ありがとう。もう大丈夫だよ」
「落ち着かれましたか?」
「うん。久しぶりに会えたから嬉しくて」
勇者は俺の手を借りて棺から出ると、思いっきり伸びをした。横に並ぶと俺より少し背が高い気がする。
日が傾いてきたのか、ビオトープの中は夕日色に染まり始めていた。今日は塔の調査をするつもりでここまで来たのだが、正直調査どころではなくなってしまった。
目の前で俺が最も知りたかったこと、研究したかった人物が息をして動いている。この方が神の御使いなら、教えて欲しいことは山ほどある。
「あの、勇者様」
この世界の神の御使いに俺ごときが質問を投げかけていいのかどうか迷ったが、禁忌よりも研究者としての性が勝ってしまった。勇者は先程「待ってた」と言っていたが、それは俺も同じ気持ちなのだ。この日をずっと待っていた。神の試練で病を授かった家族を見送ってから、ずっと。
「教えていただきたいことがございます。お許しいただけるのなら、いくつかよろしいでしょうか」
勇者が俺の方を振り向く。そして彼は、ゆっくりとその喉を震わせたのだった。
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