第10話

 弥月の家は想像通りといったところで、とても古臭い二階建てのアパートだった。塗装が剥がれ、壁の色が変色していた。見るからにボロボロで地震が来たら倒壊する恐れがあった。弥月の部屋は二階の端にある。鉄の階段は錆びていて、ギーギーと甲高い悲鳴を上げる。

 弥月の家のインターホンは故障しているらしく、うんともすんとも言わなかった。ボクは「弥月」と呼びながら扉をノックする。しばらくすると制服姿の弥月が出迎える。弥月は「遅かったわね」という。ボクは事故について話した。弥月はボクの頭のてっぺんからつま先を一通り見た。

「怪我は……無事そうね」

「心配してくれるのか? 大丈夫、怪我はないよ」

「まだ、支度が終わっていないから、入る?」

「いいのかい?」

「ただし、何もしないこと。この部屋のモノには指一本触れないでね」

「うん。わかったよ」保障はしないけど。

「それにしても、春らしくないわね。春なら、そのまま入ってくるかと思ってたわ」

「さすがにそこまで非常識じゃないさ。まあでも、鍵は開いていたようだね」

「それはそうよ。普段から鍵はかけないんだから」

「え? 危なくない? 泥棒とか恐くないの?」

「襲われようが、盗られようが、私にとってどうでもいいこと。しょせん。鍵なんて、心に安らぎという幻想を与えるためのもの。心の拠り所を必要としない私には無くて当然なもの。それに……私が恐いのはこのまま生きる事だけよ」

「相変わらずのご思想なこった」

 ボクは苦笑を漏らした。

「まあ、適当なところで立ってて」

「座らせてくれよ」

 ボクは弥月の部屋にお邪魔する。弥月の部屋はどんなものか。心が弾んだ。

 中を見てボクは反応に困る。想像通りか否かは知らないが、弥月の部屋は意外にも綺麗で……というか質素なものだった。部屋は八畳ぐらいで、キッチンはわかれておらず同じ部屋にあった。床はフローリング。家具はクローゼットと本棚と机とソファー、家電製品ぐらい。生活に必要なものは一式ある。

 期待通りか期待外れか、迷う。弥月ならこういう質素な部屋だろうが、案外ぬいぐるみとかそういった可愛らしいものがたくさん置かれているメルヘンチックな部屋だったかもしれない。だが、まあ、部屋も狭いし、こんなものが妥当か。

「お邪魔します」

 ボクは靴を脱いで家に上がった。奥まで進む。部屋の中心部に立ち、改めて部屋を観察する。ソファーはボロボロで、中のワタが飛び出していた。床も所々へこんでいるし、赤いしみのようなものが残っていた。

「弥月は、ソファーで寝ているのかい?」

「ええ。そうよ」

 だから何? といった顔だった。自分の中ではそれが当たり前なのだろう。

「ここで自殺とか……したわけ? ここに血痕らしき跡が残っているのだが」

「そうよ」弥月はあっさりとしていた。後ろ髪を持ち上げて、首筋にあった傷跡を見せる。「ここでこの首を……切った。まあ、残念ながら生き延びてしまったけど」

「どうして? 普通は死ぬと思うが?」

「まあ、私はこのアパートでも有名なのよ。色々とね。不穏な物音を立てると隣人がすぐに駆けつけてくるのよ。迷惑すぎて困っちゃうわ。はあ。そのせいで大体助かっちゃうのよ。怨めしいわね」

「ふーん」

「とにかく。もうお話はおしまいにしましょう? もう聞くのもここまで。もう私に問わないでね。私も貴方に対して何も問わないから。いちいち答えるのが面倒くさいしね」

「ボクについて聞けばいいのに。聞きたいことはないのかい? たとえば……なんだろう」

「思いつかないなら言わないでちょうだいよ」

 弥月はぶつぶつと文句を垂れながらソファーにかけてあったタオルを首にかける。テレビ台へ移動し、そこに置かれていた写真立てを伏せる。弥月が倒すまでその存在に気付けなかった。写真立ては三つあり、どれも木製のどこにでもありそうなモノだった。ボクは、それはなにかと尋ねる。

「さっき言った事は覚えている?」

「うん。だけど、いいじゃん」

「……家族……写真、よ」

 答えてくれると思ってた。

「今気が付いたけど弥月って一人暮らしなの? キミ以外住んでいるような雰囲気はしないし」

「ええ。そうよ。だから好きなようにやっているのよ」

「確かに、好きなようにはやっているよね」ボクは微苦笑する「その写真立ては見ていいかい? 弥月のご両親をぜひ拝見したい」

「断るわ。もう。いいから。静かにそこで突っ立ってなさい」

 弥月はボクの動向を探りながらキッチンへ向かう。冷蔵庫から飲み物を取り出し、それとタオルをスクールバックに詰める。

「よし」と言ってからバックを手に提げる。「行くわよ」弥月は支度が済んだようだ。

 弥月が先に玄関へ向かった。ボクはその後を追う。

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