余談

「こんにちは」

「あ、うん。こんにちは」

 金曜日の放課後。ボクは中学校の図書室で、何か面白い本がないか、と小説コーナーをウロウロ彷徨っていた。そうすると、久井に声をかけられた。ボクは彼女の明るい調子に合わせて、返事をした。彼女は陽気に笑う。普段と変わらない自然な笑顔だった。

「今日は一人なの?」その質問にボクは冗談をほのめかして答えた。すると彼女はアハハと昂揚と笑い、「何していたの?」と小首を傾げて質問を重ねた。

「ちょっと暇だから本でも読もうかなって」

「本なんか読むんだ、以外だねぇ」

 ボクは「そうでもないよ」と言ってから、本探しに熱中する。本の題名を目で追いかけていく。ボクは題名で選ぶのが主だ(大抵みんなそうかもしれないけど)。ピンと来るものがあったらそれを手に取り、あらすじがあればそれを読み、それから数ページ読む。そして文体が自分に合うなと感じたら借りる。いつもそうやっている。しかし、今日はピンと来るものがない。

「ところでさ、あんたの誕生日っていつ?」

 久井はボクが本を探している途中だというのに、関係のない話を持ってきた。ボクは探すのを一時中断し、その話に乗っかった。

「いきなりベタな質問に入ったな。四月二日だよ」

「そうだったの? もう十四歳なんだ。四月二日だと一番に成長しちゃうね」ニシシと白い歯を見せて笑う。本当、彼女は陽気に笑う。

「私は来週だよ」

「へえ。近いね」

「そうだなぁ、もう誕生日がきているんだったら、何かプレゼントあげなきゃ」

「いやいいって」

 手をぶんぶんと横に振って全力で拒否する。ボクがそうしているのにもかかわらず、彼女は自分のバックからボクへの誕生日プレゼントを模索している。

「そうだ」彼女は閃いたように赤色の携帯を取り出す。ストラップがぶら下がっていた。彼女はその携帯に取り付けられているストラップの一つを取り外す。それは銀色のビーズで統一されていた。ビーズの集合体は綺麗に『K』の文字を表現していた。

「これをあげる」

「なんでよりによってこの文字なの?」首を傾げる。

「私のイニシャルがK・Kだから。私だと思って大事にしなよ」

 しばらくうーんとうねってから、『K』のストラップを受け取った。ボクはどうもと一応礼を言う。

「お返し期待しているからね」と、たくらんだ顔で言った。それが目的かと苦笑を漏らす。

「久井が勝手にあげただけだからね。ボクは何もあげないよ」

「えー。ケチだね。ケーキぐらい買ってくれたっていいじゃん」

「さりげなく要求しているね。残念ながらボクは妹たちに毎日のようにたかられ、消費税も払えないんだ」

 ボクは肩をすくめて笑った。彼女もつられてくすりと笑う。

「あいつらは本当に困った奴らだよ。脳筋だから、体力だけは一人前にあって、敵わないんだよね」

「へえ。じゃあ、春とは対照的だね。春は運動が苦手だもんね」

「うん。だから、本を読むんだけどね。インドア派の特技さ」

「ふふ。暇をつぶせるもんね。私も読むから、分かるよ。じゃあ、そんな春におススメの本を教えてあげるよ」

 久井は目線を本棚に持っていく。「うーん」とうねって、本を選んでいた。

「あ、これかな? これなんかいいと思うよ。最近読んだけど、面白かった!」

 久井は一冊の本を手にとり、ボクに突きつけた。ボクはそれを受け取り、題名を見た。『日は沈む』というタイトルのようだ。聞いたことがない。著者も見知らぬ人物だ。

「久井が本を読むなんて意外だな」

「でしょ? まあ、嗜む程度だけどね。それで。これはね、一応続きがあるそうなのだけど、これでもちゃんとお話はまとまっているよ。……読ませてあげたいけど、まだここに置いていないみたい。続きの題名は『月が昇る』だったかな」

「へえ」

 ボクは相槌を打ちながら、それを受けとり、あらすじを読んだ。生きた人形を作りたいという人形師の父親の願望を叶える為に、ある女の子が謎の人物と契約して「人形」になる。父が喜ぶ「人形」となった少女はその生活に満足していた。しかし、ある男の子と出会ったことがきっかけで、少女は自分の生きる道を見つめなおし始める。といったものだった。

「とってもいいお話だった。心を打たれるとはまさにこのことね。最後は、良い感じに終わるの。親を喜ばせる為に生きようとしていた女の子だったけど、男の子に諭されて、自分の為に生きるべきだって気がつくの。誰かに縛られて送る人生は自分の人生じゃない。自由に自分がしたいことをするのが人生だって」

「自由に、ね。でも、自由に自分がしたいことってなんだろうね。考えても、それが何なのか思い浮かばないや」

「難しいよね。ほら、不自由の自由って言うし。人は不自由に生きるのを望むから。でも、この場合の少女は、誰かに操られるだけの人形であってはならないと気づくのね。つまり、何事も自分の意思を大事に持ち、行動しなきゃってことだね。そうじゃない人生は楽だけど、退屈で、楽しくないよ」久井は頬をふくらました。

「操る人は楽しいかもだけど」

「アハハ。そうかも」

 久井は笑いながら糸で人形を操るような仕草をした。

「でも、この少女には迷惑じゃなかったのかな? 少女はその生活に満足していたわけだろう? まあ結果的にいい方向に動いたけど」

「要するに、有難迷惑、ってなったかもしれないということね。まあ、確かに良かれと思った事が必ずしもいい方向へ転ぶとは限らないしね。でも、まあ、結果オーライっていう感じで良いんじゃないの?」

「適当だな」

「うん。アハハ」

 久井は手を叩いて笑う。ボクは目線を上にあげた。

「この少女は、この先、どうやって生きていくのかね」

「それは、もう一冊の方で描かれているわ。まさに、日が沈んだ後のお話。日が沈めば、月が昇るでしょ?」

「それっていったいどういう意味だ? ああ、そういえば、『日は沈んでも生きている。月が陽の恩恵を持って生きているのだから』という言葉が序盤で書かれていたが、それと繋がるわけか?」

「ちゃんと読んで、知ってほしいな」

 意地悪そうに言った。ボクはヤレヤレと肩をすくめた。

 久井は人差し指をつきだした。

「フフ。春は、『人は二度生まれる』って言葉は知ってる?」

 ウインクをする。

「ん? ああ、ルソーの教育論の「エミール」だね。たしか『人は二回この世に生まれる。一回目は存在する為。二回目は生きるため』生まれた時から一人前になっていくための過程の教育論だよね。こういう小難しい話題がなにか関係するのかい?」

「そう。この本にあった話よ。これがこの本の重要なテーマで、さっきの質問に繋がる。私は、読んでいてすごく興味を惹かれた。なるほどって、自分の見識が広がった思いだった。そして、今の自分にとってとてもタイムリーな話だった。私たちの頃に、人がまた新たに生まれるのよ」

「青年期……だから……まあそうだね。でも、新たに生まれるっていうのはよくわからないね。ボクたちはこの世に生を受けているのだから、これ以上生まれるものはない気がする」

「でも、よく生まれ変わった気がした、って言葉があるでしょ? たとえば、趣味を見つけたりしてそれに没頭するようになってから、自分の生き方が……生活の仕方がそれで大きく変化する。つまり、その変化というのが、生まれ変わりというものかもしれないわ」

「うーん……そうだね。何かに没頭することか。じゃあ、これは別だけど、もしまた生まれるのだとしたら、無意識のうちに生まれるのかも。一回目に生まれた時のことなんか憶えてないから、実感がない。いつの間にか誕生している。それはつまり、ひょっとすると、ボクたちはもう既に生まれているのかもしれないね。少し、無理があるか」

「まあ、そう……かな? でもね、これだけははっきり言えるけど、私達はまだ生まれてないよ。誕生する実感はたしかにないかもしれないけど、まだ私たちは、過去にとらわれているままで、前に進めていないの」

 久井は首を横に振った。

「たとえるなら、ある大きな扉があって、それは大人の世界への入り口になっているの。私たちはまだ子供の頃の世界に閉じ込められているまま。扉はまだ開いていない。そうね。強いて言うならその扉を開けようと懸命に押しつづけているのが今の私たちであり、現状なのかもしれないね」

「なるほどね。ボクたちはその扉をいつ開けられるんだろうね」ボクは肩をすくめた。

「私たちには、まだ扉を開ける力が無いから。私たちがその扉を開けるようになるには、その力が付いたときによ」

 久井はこめかみを指先で押さえてマッサージをしていた。疲れたのだろう。それを見るとボクも疲れたような気がして、肩をもんだ。

「まだ続きがあるわ」

 久井は嘆息しながら手にしていた本をパラパラとめくり始めた。ボクは吐息をついた。本は慌ただしく、ページを行ったり来たりを繰り返していた。久井は本のどこかに自分の考えに該当する箇所があり、それを探しているのだろうか。

「あった」と久井は小さく喜んだ。開いたページをボクに見せた。「ここらへんのお話」と久井は指先でトントンと、そこを叩いた。ボクは文字を目で追っていく。

 そこに書いてあったことは、久井が言った通りの事が長々と書かれていた。その中にあったがボクの興味を惹きつけた。

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