第2話

 神谷弥月はたまにしか学校に来ない。仮に来たとしても、保健室で惰眠をむさぼる。弥月が学校に来たというだけで、学校がざわつく。噂はたちまち広がり、保健室を利用する者は現れなくなる。保健室という一部の生徒にとっての楽園が地獄に変わるからだ。

 彼女はここまで嫌われているのに、よく平気でいられる。ボクは彼女の強靭な精神力に脱帽せざるを得ない。

「やあ。昨日ぶりだね。ボクの事は覚えているかい?」

 ボクは閉められたカーテンを勝手に開けた。

 昼休みが半分終わったころにボクは彼女に会いに保健室へ向かった。保健室の先生はいなかった。保健室に目を配ると、カーテンでしきられていた箇所があった。きっとそこに弥月が眠っている。ボクはそう推測し、無断で開けた。

 彼女は眠っているわけではなく本を読んでいた。仰向けに寝転がり、腕をあげて、読書に熱中していた。彼女がボクの存在に気づくと、しおりを本にはさみ、それを閉じた。一つためいきをこぼし、上体を起き上らせる。

「憶えているわ。展望台であったあなたね。だけど勝手に開けるなんて非常識にも程があるわよ」

 淡々と言った。相変わらず素人臭さを感じる喋り方だった。死人の口から出ている言葉なのではないかと勘ぐってしまうほどだ。

「キミにそれは言われたくないな」

「だからといってあなたがとった非常識な行動が無くなることにはならないわ。それに、私はあなたに、関わらないように、と忠告したはずよ? あなたの学校の立場がどうなっても知らないわよ」

 彼女は窓の外を眺めた。校庭にはサッカーなどをして和気藹々と遊ぶ学生たちの姿があった。楽しそうな声は校庭に響いていた。

「それは知っている。だけど、ボクはこうしてキミと二人っきりで話がしてみたくてね」

 ボクはベッドの上に座った。彼女は陰気な影がさしこむ小さな瞳をボクに向ける。両のまなこは冷たいほど美しさをそれぞれにたたえている。

「私は何もないわ。出ていってくれるかしら?」

 抑揚がなく、個性というのを感じさせない声で言った。

「話ぐらいだけでもいいだろう? 一つ聞きたかったんだ。何故、自殺をするんだい?」

「それを知ってあなたはどうするの?」

「興味本位だよ。ボクさ、キミを知りたくなってしまったんだ。キミを見た時から。ずっと胸が高まり続けているんだ。鼓動が鳴りやまないんだ。こんな気持ちは初めてだ。だから、キミを知れば、これの正体も分かるし。なによりも、自分の事を知るきっかけになるかもしれないんだ」

 彼女はボクを蔑視した。ボクは彼女のその目を見てボクがおかしなことをいっていたことに気がついた。

「自分を見つけたいのなら貴方一人で旅に出るといいわ。何かは見つかるはずよ。だから、私を使わないで」

「そういわずに」


「死ぬわよ」


 ぴしゃりといった。ボクは冗談を言っているのかと思った。だが、彼女の黒く濁った目でねめつけられたボクはその考えを改めた。

「恐いね。だけど、それでも構わないかもしれない」彼女は神妙な顔つきになった。ボクは続けた。「生きているのがつまらないんだ。生きたいと強く思える何かがボクには欠けてしまっているんだ。多分、このまま心が満たされずに生きていくんだろう? そう思うと、死にたくなる」

「なら死ねばいいわ。いくらでもそのチャンスはあるわ。もしかして、恐いのかしら? 死ぬことが。貴方が言うそれは、死ぬ気がないから出てくる言葉よ。漠然とした生に執着している。さらに言っておくと、貴方はただ甘えているだけでは? 与えられているモノにただ文句を言い続けて、逃げているだけのように思えるわ」

「そうかもしれないね。でも、自分の死を自らで下す方が、ボクにとって逃げだと思うね。与えられているモノに文句を言って放棄する。そっちの方が、よっぽど卑怯だよ」

「別に文句などは言ってはいないし、卑怯でもなんでもないわ。自然の理に背いている事ではあるけど。これも自分なりに考えた結果よ。死は恐怖よ。人は恐怖に怯え、後ろを向き、業火の炎に背中を焼かれ続ける。でも、私は違うわ。どうせ焼かれるなら、前を向いて胸を堂々と張って、焼かれたい。前を見据えて、恐れに立ち向かう。そう。私の……。死は、自殺は、未来へ繋ぐための希望なのよ」

「矛盾していないかい? 自殺をしたら未来も何もないよ? まさか、死後の世界を信じ、輪廻の輪を廻りつづけようとしているというのではないよね? ありもしない来世の自分へ思いを託そうとしているのかい?」

「馬鹿馬鹿しいわ。人は死んだ時点で先がなくなってしまうのよ。円の軌跡を描く車輪は壊されているのよ。言うなれば、私たちはその破片の中で生きているのよ」

「キミという存在が靄の中だ。キミのシルエットは微かに見えるが掴むのは空気ばかりだ」

「ええ。それで結構なのよ。私を掴まえる事は誰にも出来ないの。貴方はただ時間を喪失するだけで得られるものはなにもない。だから、私と関わることはやめなさい。それが互いにとっての得なのよ」

「そうかな? ボクはキミと会いキミを知れば、全てが分かるような気がする」

「それは気の所為よ」

「いいや。違うな。根拠はないけど」

「それぐらいハッキリと示してほしいわね。ま、分かることは時間の無駄だという事だわ。さあ。私はもう眠いの。寝かせて。貴方も、次の授業があるでしょ? 遅刻する前に行きなさい」

 彼女は横になり、布団を頭までかぶった。

「なんか、優しいね」ボクは冗談半分で言った。彼女は何も答えなかった。ボクは立ち上がった。「そうだね。ひとまず退散するとしよう。キミと話す機会はまたあるからね」

「ないわよ。そんなの」布団の中から声が漏れた。

 それからのボクたちに会話はなかった。沈黙が続いていた。ボクはその沈黙を打ち破り、「また会いたいね」という。無言が返ってくるだけだった。

 ボクがその言葉を残して退室しようとした時だった。彼女が言葉を発した。

「私は、貴方のことをどこかでみたことがあるような気がしたけど、思い出したわ」

 ボクは「どこで?」と聞く。だが、返答はなかった。それ以降彼女がしゃべることなどなかった。ボクはもやもやした気持ちを抱きながら、退室した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る