ぷれぜんと

弐月一録

ぷれぜんと





明日やればいい、来年予定に立てよう。未来の話を当たり前にするのは、その時自分が当たり前に生きているという自信があるから。


私にもそんな自信がありました。


高校2年生の時、まだ40歳だった父を亡くしてから、父の分まで長生きしようと心に誓っていました。恐らくその自信はそこからきていたのでしょう。それに、母を独り残すわけにはいきませんからね。


しかし最悪な日は突然訪れました。父の葬儀を終えて日の浅いうちに、私は交通事故に遭ってしまったのです。歩道を歩いている時に、ハンドル操作をミスした自動車が突っ込んできた、というのが原因でした。


私は死の淵に立って、何日も意識を失っていたそうです。いつ死んでもおかしくない状態でした。


丸く小さな頭の中だけが私の世界でした。ただ、死にたくない、生きたい気持ちが強くあったからこそどうにか命を繋いでいたのです。


その時不思議な体験をしました。


白い空間の中、亡くなった父の胡座の上に頭を乗せて横になっているという、奇妙な夢を見ていました。そうですね、ちょうどうつらうつらと眠たいのを我慢して必死で目を開けている、そんな感覚で横になっていました。夢を夢だとわかるのは、明晰夢と呼ぶらしいです。


父との会話も鮮明に覚えています。


「みむ子、ごめんな。お父さん、早くに死んじゃって」


また会えた。


優しい父の声に思わず涙が溢れました。ついこないだには聞いていた声なのに、遠く懐かしく感じました。


「あれだけ健康診断は受けろってお母さんに言われていたくせに。病気で死ぬなんて許さないんだから」


事故に遭った私が言うのもなんですが、父との再会を喜ぶ前につい不満を漏らしてしまいました。だって、急な別れで気持ちが追いついていなかったから。


「こうなっちゃ仕方ない、仕方ないことなんだよ」


仕方ないと何度も繰り返し呟く父は、生前には聞いたことがない程弱々しく、寂しそうでした。


そうしてしばらく父の胡座の上で、思い出話をお互いに語り合いました。私が高校受験に合格した最近の話から、父と母が出会った時の知らない話まで、幅広い思い出を延々と披露してくれました。


父は、眠たい私を寝かしつけるより、反対に寝かさないように多弁となっているかのようでした。期待に応えて私はどんどん覚醒していきました。話があまりにも面白かったおかげです。


やがて父は静かにこう言いました。


「これからお前は大人になって世の中を知っていくんだ。友達とたくさん楽しいことをしたり・・・もしかしたら誰かを好きになったり、人の親になったりな。こんな所でもたもたしている場合じゃない」


「でもお父さん、私、事故に遭ったからこのまま死んじゃうかもしれないよ」


「大丈夫、実はな、お父さん次の人生は100歳まで生きられるらしいんだ。だから人生を80年あげる。そしたらお前、97歳まで生きられるぞ!」


最初は言っている意味がわかりませんでしたが、ようするに父の来世の生きる時間を80年分削って、瀕死である私にくれるということだと理解しました。


「待ってよ、そしたらお父さんがまた若いまま死んじゃうってことじゃん」


人生100年、そこから80年引けば父は来世で20歳に死んでしまうことになる。


「覚えてるか? お前が小さい時、お父さんが仕事から帰る度に折り紙で作った鶴を1羽ずつプレゼントしてくれたこと。あれ、給料をもらうより嬉しかった。はい、ぷれぜんとって、可愛いかったよ」


もちろん覚えてる。作り過ぎて千羽鶴になった話だ。父は私の頭を撫でる。


「いいんだよ、お前にはおしゃれな服も人気なゲームも満足に買ってやれなかったんだから。代わりにお父さんの時間をやるから、無駄にしないで大切に生きるんだぞ」


「いらない! 次の人生で長生きするために使ってよお父さん!」


頭を撫でる大きな手を振り払い



起き上がって父の顔を見ようとした時には



大好きな父の姿はどこにもなくて



真っ白い空間がどこまでも広がっているだけでした。



その後、私は意識を取り戻して事故に遭う前と同じ生活を送ることができました。


あの夢が本当なら、今頃父はどこか知らない場所で知らない誰かに生まれ、20年という儚い時間の中を懸命に生きているのでしょうか。


私は思うのです。あれがただの夢であればいいなと。私が助かったのは父のおかげではなくて、ただ奇跡的なことであったなら。


そしたら父は次の人生を20年、40年、いいえもっとそれ以上に長く生きられるでしょう。



生まれ変わった父が、幸せな人生を送っていることを、今はただただ願うばかりです。

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