第17話 アヤトの迷い

 あれから数日間が経ち、学校の昼休み。

 俺は屋上で一人、呆然と空を見上げていた。

 もう同じ事を考えすぎていて、堂々巡りを超えてきている。

 自分の中に答えはある。でも、その答えを持つだけの決意が、覚悟が無い。


 俺の答え。それはただ一つ。


『ミクと姉さんが幸せであってほしい』という願い。


 ただ、それだけ。

 これがアヤトの本心だ。これが変わる事は決してない。

 ふぅ、と一つ溜息を吐く。


 選択自体は決まった。後は覚悟。彼女達の未来を背負うという覚悟だ。

 それがイマイチ、踏ん切りが付かない。


「ん? おぉ、アヤトじゃん」

「あ、お前は……」


 そんな事を考えていると、クラスメイトの一人が屋上に姿を見せる。

 こいつとは仲良くしていて、時折、悩み相談などもしている間柄だ。

 彼は俺の隣に腰を下ろしてから、口を開く。


「今日はずっと上の空みたいだったが、どうした? 話、聞こか?」

「お前、一発狙う悪い奴みたいな聞き方するなよ」

「アハハハ、わりぃ、わりぃ」


 多分、俺が悩んでいるのを知って、和ませる為に言ってくれたんだろう。

 しかし、俺の抱える問題は他者に話してどうにかなる問題、というわけでも無い。

 いくら仲の良い友人だったとしても、姉と幼馴染の両方を幸せにしたいんだけど、何てバカ正直に話せば、引かれる事は間違いない。


「今日、ずっと悩んでるみたいだったからさ。お前、悩み出すとずっと悩んでるだろ?」

「まぁな……今回ばっかしはな……」


 俺はそう言いながら、背筋を伸ばし、後頭部に手を回す。

 すると、彼は菓子パンを取り出し、封を開けて、食べ始める。


「…………」

「…………」


 しばしの間、彼の咀嚼音だけが響き渡る。

 その間、ずっと俺は考える。覚悟を決めようとする。

 でも、今一歩、その覚悟を決める事が出来ない。


「なぁ」

「どうした?」

「お前の姉って、彼氏とかいんの?」

「いきなりどうした?」


 俺は彼の突然の問いかけにドキン、と心臓が高鳴るのを感じた。

 こいつって、姉さんに興味あったっけ?

 もしかして、もしかすると、こいつ、姉さんを横取りするつもりか?

 そんなあさっての方向へと思考が飛躍している時、彼は笑顔を浮かべる。


「ただ、単純に気になって。お前の姉ちゃんってすげー美人だろ? ウチの学校でもすげー話題だったじゃん? だから、彼氏とかいるのかな~って」

「ああ、居ないと思うぞ」


 俺に好意を寄せている以上、姉さんに彼氏は居ない。

 それこそ、姉さんが億が一、二股をしていたらそれはまた話が変わってくるけれど。

 俺の答えに彼はそっかそっか、と頷いてから、パンを食べる。


「じゃあ、フリーって事だな。お前的に俺はどうよ。お前の姉さんの釣り合ってると思うか?」

「いや、釣り合ってないな。ていうか、姉さんは多分、お前が好みじゃない」

「んだよ、手厳しいな……あ、もしかして、お前、アレか? お姉ちゃん取られたくないから、そういうこと言ってんのか?」


 ニヤニヤ、といやらしい笑顔を浮かべてそんな事を言ってくる彼に俺は侮蔑の眼差しを向ける。


「んな訳ねぇだろ」

「そうだよな。お前にはミクちゃんが居るんだし」

「……ミクはそれどころじゃ無いだろ?」

「とか言いながら、いっつも面倒見てるじゃん。学校でも変な奴から守ろうとしたり……ホント、過保護ですよね~」


 彼の言葉に俺は息を吐く。

 それはそうだ。ミクにもしもの事があったら、ミクのブランドにだって傷が付くんだから。

 アイドルのボディーガードのような真似事だって時々はするさ。

 俺は少しばかりうんざりして溜息を吐く。


「お前は何しに来たんだ? ここに」

「お前を元気付けに」

「だとしたら、今は迷惑しかかけてねぇな」

「そうか? こうして話してるだけでもラクにならねぇ?」


 彼の言葉に俺は憮然とした表情になる。

 確かに、一人で悶々と考えているよりは多少なりとも、心はラクになったかもしれない。

 彼は笑い、俺の肩を軽く叩く。


「ま、悩み事ってのは案外簡単に解決したりするもんさ」

「……それは大した悩み事の無い人間が言う台詞だな?」

「お? お前、俺が全く悩みが無いとでも思ってんのか?」

「ああ、そう見えるね」


 俺の言葉に彼は俺を腕で抱き寄せ、無理矢理肩を組んでくる。


「んな訳ねぇだろうが。俺だって、テスト面倒くせー、とか、あー彼女つくりてーとか、悩んでるっつうの!!」

「お前のそれは願望じゃねぇか。ていうか、離れろ」

「ケッ!! あーあ、モテ男はいいですね~。ミクちゃんにあんなに愛されてさ」

「…………」


 羨望の眼差しで俺を見てくる彼。

 好意を寄せられているのは事実ではあるが、羨ましがられるような状況じゃない。

 それが俺の悩みの種だというのに。


「あれか、お前、ミクちゃんに告られたのか? トップアイドルに」

「何でそうなる?」

「いや、勘? ほら、ミクちゃんって色々あるじゃん? アイドルだから恋愛できないとか、そういう大人の事情って奴が。そういうのを考えると案外、お付き合いってのも難しくなると思うわけ」

「そりゃな……」


 彼の言葉に同調する。

 それに関してはもう既にミク自身が答えを出しているけれど。

 俺は彼の言葉に耳を傾ける。


「それで悩んでるのかなって。その問題の解決方法を俺は知ってる」

「へぇ、聞いても良いか?」

「それはズバリ!! 心のままに進む事、である!!」


 ビシっと俺を指差し彼は言う。


「恋なんてのはな、所詮、独りよがりの感情だろ? だったら、もうその気持ちをそのままに突き進んでいくしかないだろ? 周りの事とかよ、ファンの事とか正直、どうでもいいだろ?

 一番大事なのは、当人同士の気持ち!! それ以外にねぇよ」

「……なるほどな」


 当人同士の気持ち、周りは関係ない、か。

 その思い切りの良さがほんの少しでも俺にあったら、また話は変わってきたのかもしれない。

 どうしても、俺は色々な事を考えてしまう。

 本当にその選択で良いのか、その選択をする覚悟があるのか。


 それを選択して、周りの人は皆、幸せになるのか。


 苦悩ばかりが増えて、立ち往生をする。

 動く事が出来なくなって、ただただ、呆然と立ち尽くすだけ。


 答えは出ているのに、ウダウダと考えているだけ。


「なかなか参考になる意見だな」

「だろ? だから、お前はお前のやりたいように、したいようにすればいいんじゃないか? ミクちゃんもお前の選択ならすぐに受け入れてくれるさ」

「……一つ良いか?」

「何だ?」

「何で、俺がミクに告白された前提で話しが進んでんだよ」

「え? そうだろ?」

「ちげーよ」


 そう言ってから、俺はポケットの中にあるスマホを見る。

 もうすぐ昼休みが終わる。俺は立ち上がり、彼に声を掛ける。


「おい、そろそろ。昼休み終わるぞ」

「え? マジか。なら、行こうぜ」


 俺は彼と一緒に教室に戻り、午後の授業を受ける。

 その間もずっと考えは堂々巡りしていた。頭の中をグルグルと周り続け、坩堝に嵌る。

 それでも光明はあった。


 自分がどうしたいか。覚悟とか選択とかそういうのの前に自分はどうしたいのか。

 そこに重きを置いて考える。

 そんな事をずっと考えていると、午後の授業もあっという間に終わる。

 俺は帰る準備をしていると、姉さんからの連絡が来ていたことに気付く。


 ん? 姉さん?


『今日はちょっと友達の付き合いで夜ご飯作れそうにないから。自分で買ってくるように。姉さんは少し遅くなるから』


 絵文字などの一切無い無機質な連絡的文章。

 姉さんらしい。俺はスマホを操作し、返信する。


『分かった』


 となると、帰る前にコンビニでも寄ってから帰るとしよう。

 そう考え、俺はコンビニに寄り、そのまま夜ご飯を買っていく。

 その間もずっと頭の中でこれからの事を考えながら。


 そして、家へと帰る道の途中。

 遠く離れた所で俺は見た。


「ん? あれは……姉さん?」


 姉さんが居た。

 いつもと変わらない私服姿の姉さんが。

 ただ、遠目から分かるけれど、姉さんの態度があまり良くない。

 何処か苛立っている、というか、腹が立っているというか、いつもよりもつんけんしているような気がする。

 俺は近くにあった電信柱の影に隠れる。


 今日は友達と何かがあると先ほど連絡があって、それが一体何なのか。気になってしまったから。俺がそれを見守っていると、二人の女性が姿を見せる。


 あれは、そう。姉さんの友達。


 大学で出来た姉さんの友達だと言う話を聞いた事がある。

 俺は耳をすます。まだ、声がかろうじて聞こえるはずだ。


「ユウカ、ありがとね。今日は合コンに付き合ってもらって」

「……別に。ただの数合わせだから」


 え? 俺の頭の中が真っ白になる。

 ね、姉さんが合コン? 合コンというのは合同コンパで、男と女が出会いをする場……。

 ど、どうして、姉さんがそんな所に。

 俺は姉さんたちを観察する。姉さんたちはそのまま俺の居る場所とは反対方向へと歩いていく。

 俺はただ、呆然とそれを見送る。


 姉さんが、合コン……。

 姉さんが、合コン……。


 俺の頭の中でただただ、その言葉だけが反芻される。

 それはつまり、姉さんがもしかしたら、万が一、億が一、男に何かをされてしまう可能性がある、という事?

 否、そんな事があるはずが無い。

 姉さんが、昔から優しかった姉さんが他の男のものになるなんて――。


 そこで、俺は気付く。気付いてしまった。


 ああ――そうか。


 俺は姉さんを失いたくないんだ。ずっとずっと、姉さんには俺の側に居てほしいんだ。

 酷いわがままかもしれない、醜い独占欲かもしれないけれど、それでも、俺は。


 姉さんにずっとずっと側にいて欲しい。

 何処にも行って欲しくない。


 誰かの、俺とは違う男の人のものになんてなってほしくない。


 俺はぎゅっとコンビニで買った買い物袋を握り締める。

 やっと、やっと、理解した。俺の本心、俺の覚悟、俺のしたい事、全部、全部。


 俺はミクも姉さんも失いたくない。

 どっちにも幸せになってほしくて、俺の側を離れて欲しくない。

 とても強欲で、醜く、批難されて当たり前の感情。


 それでも、俺はそう思ってしまう。


「…………」


 ぎゅっと、更に強く俺は拳を握り締める。

 これが俺の答え。俺が得た、姉さんとミクに対する感情。

 

「……ちゃんと、話さないとな」


 正直話す事は物凄く怖い。

 どっちかを選ばないといけないのに、その両方を得るだなんて。

 でも、それが俺の中で芽生えた答え。

 であるなら、俺は――。


 俺は一つ息を吐く。


「帰ろう」


 この胸の中にある答えだけをしっかりと強く持って、俺は帰路についた――。

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