第15話 ミクの覚悟

「それで? どうやって寝るんだ?」


 俺は自室の中に居る姉さんとミクに尋ねる。

 お風呂から出て、それなりの時間が過ぎてから。

 パジャマ姿の姉さんとミクに尋ねる。姉さんはふむ、と頷いてから口を開いた。


「そうね……ミクちゃんはどうしたい?

「え? わ、私ですか!? 私は……あ、アヤトと一緒が良い!!」

「そう。なら、そうしなさい。私は自分の部屋で寝るわ」

「え?」


 姉さんの言葉に俺は目を丸くする。

 あれ? 俺はてっきり姉さんが一緒に寝るとごねるかと思ったのに。

 昨日だって姉さんは一緒に寝るで押し切っていたはず。

 俺が首を傾げると、姉さんは何も言わずに髪をなびかせ、自分の部屋へと戻ってしまった。


「……姉さん、何かあったのか?」

「アヤト、一緒に寝よう?」

「え? ベッドは別々だよね?」

「ううん、い、一緒が良い!!」


 これは姉さんの時と同じか。

 俺は覚悟を決める。どうせ、言っても聞かないんだし。


「分かった。じゃあ、先に入ってるから。後で入っておいで」

「わ、分かった」


 何処か緊張で顔を強張らせながら言うミク。

 割と緊張はしてるんだな、姉さんと一緒で小さい頃は割りと一緒に寝ていたのに。

 俺は掛け布団を剥がし、中へと身体を滑り込ませる。

 それから出来るだけ壁側へと詰めていき、ミクが一人眠れるスペースを作る。

 

 俺がベッドの上で横になると、ミクは一つ、よし、と呟いてから掛け布団を広げた。


「そ、それじゃあ、は、入るね」

「お~う」


 俺は仰向けの状態のまま返事をする。

 すると、ミクは俺の隣に寝転がり、そのまま俺の顔を見つめる。


「ち、近いね……」

「そりゃな。姉さんの方に行くか?」

「う、ううん!! こ、ここが良い」

「そうか……」


 俺は近くにあったリモコンで部屋の電気を消し、一つ欠伸を噛み殺す。

 今日は何だかんだ、色々あって疲れたな。

 ミクが来て、猫カフェに行って、そのまま勉強を見てあげて。

 身体はそんなに疲れていないと思っていたが、思った以上に疲労はあったらしい。

 俺がゆっくりと目を閉じようとすると、ミクが口を開いた。


「ねぇ、アヤト」

「ん? どうした?」

「アヤトはさ、私がアイドル辞めたいって言ったら……どうする?」


 いきなりな質問で、俺は戸惑いを隠せなかった。


「え? どうした、急に」

「……ちょっとアヤトの答えが気になって」

「そうだな……」


 俺は考える。

 もしも、ミクがアイドルを辞めたいと言ったのなら、俺はそれにどう答えるのか。

 いざ考えてみると、パっと答えが浮かんだ。


「ミクがそうしたいなら、そうすればいいって思うかな」

「……やっぱり、そうだよね」

「うん、アイドルになったのはミクでその先の人生を歩んでいくのもまたミクだ。その答えを他人に委ねてしまう事は間違ってると思う。相談くらいなら、全然良いと思うけどな」

「ユウカさんと同じ事を言うんだね」

「当たり前だろ? 姉さんがそうやって俺を教育したんだから」


 こうした考えは大体、姉さんからの受け売りだ。

 姉さんはいつも言うから。しっかり考えてから選択しろ、と。

 俺は天井を見上げたまま、思った事を口にする。


「ミクは悩んでるのか? アイドルの事」

「……うん。悩んでる」

「そっか……」


 なるほど、姉さんはそれを知ってたのか。

 だから、ミクが話しやすいように二人きりにしてくれたんだな。

 流石は姉さん。気が利く女性というのは伊達ではない。

 俺がそんな事を考えていると、ぽつぽつとミクが喋り始める。


「私……私ね、トップアイドルになったでしょ?」

「トップアイドル。確かにそうだな。気付けばもう頂上だな。曲も売れてるし、テレビにだって出てる。知らない人は居ないってくらい、超スーパーアイドルだと思うね」

「……うん。でもね、私……そうなってからね、ずっと、アイドルが全然楽しくないの」

「楽しくない?」


 俺がミクに尋ねると、ミクは小さく頷く。


「うん。今まではずっと無我夢中でトップアイドルになる為に頑張って来たでしょ? でも、いざその立場になったら、私は……何でアイドルをやってるんだろうって。それに……気付いちゃったんだ。アイドルをやってたら、私自身の幸せを犠牲にしちゃうんだって」

「……なるほどな」


 そういうことか。

 俺は心の中で納得する。

 アイドルという夢を与える仕事とミク自身の恋愛という考え方の相違。

 本当にありがたい事にミクは俺を好きで居てくれる。

 でも、その『好き』という感情は本来、抱いちゃいけないものだ。

 アイドルは人に夢を与える。男の影をチラつかせたら、人に夢を見せる事なんて出来ない。

 それはアイドルではない。


 でも、ミクだって一人の女の子。

 普通に恋をして、恋愛をしたいと思うのは当たり前。


 その狭間で揺れている、という事なんだろう。


「……難しい問題だな」

「うん。さっきね、これをユウカさんに相談したの。そしたら、原点を思い出せって」

「原点……姉さんらしいな。俺も言われた事あるよ」


 いつも選択を迫られ、悩んでいると姉さんはいつも言う。


『貴方はどうしてその選択を迫られるようになったの? その原因は何?』って。


 選択をするということは、その選択にいたる前に思った要因がある。

 それを何よりも大事にしろ、と。いわば、初志貫徹。

 そうすれば、おのずと自分のしたい事が見えてくる、と。

 姉さんの言葉を思い出し、口を開く。


「どんな物事にも必ず原点があって、それこそが自分の一番大事なもの。ミクはどうだ? それをちゃんと考えたんだろ?」

「うん、いっぱい、考えたよ」

「それでさっきまで、ずっと考え事してたんだな」


 さっきまでミクは話をしていながらも、何処か上の空で。

 何かを考えている様子だった。それはこの事だったのか。

 納得がいった。


「うん。それでね、やっと一つ。答えを見つけたんだ」

「何だ、その答えってのは」


 ミクはゆっくりと身体を起こし、俺に覆いかぶさるように四つんばいになる。

 ぷるん、と一瞬大きなマシュマロおっぱいに目がいったのは許して欲しい。

 

「私……アヤトが好き。本当に大好きなの」

「それは知ってる」

「ううん。きっと、アヤトが想像してるよりもずっとずっと……」


 ミクは顔を伏せ、言葉を続ける。


「小さい頃からずっと私の側に居てくれた。私がどんな事をしたって味方で居てくれて、私を誰よりも応援してくれて……辛い時も苦しい時もずっとずっと側に居てくれた。

 アイドルになったのだって、アイドルになると君が笑ってくれたから……」

「…………」


 ミクの言葉を聞いて、昔の事を思い出す。

 そういえば、そうだったな。

 昔から俺はミクの歌って踊る姿が大好きだった。

 満面の笑顔で当時はお世辞にも上手とは言えない歌とダンス。それでも、一生懸命で。こっちを楽しい気持ちにしてくれた。

 あんなミクの顔をいつまでも見ていたい。

 笑顔で楽しく歌って踊るミクの姿を。そう思っていたのが何だか懐かしく感じる。


「じゃあ、それがミクの原点なのか?」

「……うん。私が歌うとアヤトもユウカさんも幸せそうに、楽しそうに笑ってくれた。私はそんなふうに笑ってくれる、嬉しそうにしてくれる人が居たから、アイドルになりたいって思った」

「……じゃあ、それは俺達だけじゃなくなったんじゃないのか?」


 アイドルになれば応援してくれるファンも居る。

 ファンが居るから、アイドルは大きくなっていく。

 ファンとアイドルは決して切る事が出来ず、決して裏切ってはならない存在。


「うん、そうだよ。ファンの皆も、私を沢山応援してくれる。でも……私は……最初に……私の一番最初のファンになってくれた君が……一番大事なの……」

「……そうなんだ」

「だから、私……後悔しない為にもちゃんと言いたい。私はアヤトが好き、大好き、愛してる」

「ミク……」


 真っ直ぐ、俺の顔を見つめて言うミクに俺は言葉を失った。

 それはあの時、手紙を読んだ時に感じた浮ついた告白なんかじゃない。

 本当に真剣で、真っ直ぐすぎる思いの込められた告白。

 アイドルとしてじゃない、一人の女性としての覚悟を感じる告白。


 それに俺は歯噛みする。


 どう答えたらいいのか、分からなかった。

 ミクの持つ覚悟に応えられるほど、俺の覚悟は全然定まっていなかった。

 心のどこかで思っていたのかもしれない。


 まだ、答えを出さなくても良いのかもしれない、と。


 でも、違う。俺は確信を得る。


 これは早く答えを出すべきで。俺自身も覚悟を決めるべき事だと。


 姉さんやミクの人生の為に俺のすべき選択は――。

 と、悩んでいると、ミクが俺の唇に人差し指を置いた。


「でもね、すぐに答えが欲しい訳じゃないの。アヤトだってユウカさんの事、私の事、いっぱいいっぱい考えなくちゃいけない事があると思う。だから――」


 そう言ってから、ミクはパジャマの胸ポケットから二枚のチケットを取り出した。

 それは今度行われるライブのチケット。


「……このライブまでに答えが欲しい。私か、ユウカさんか。ユウカさんなら、私はすっぱり諦める。それで、もしも私を選んでくれるなら、これが……私のラストライブになるから」

「ミク……本当にそれで良いのか?」


 夢を捨てる選択。

 本当にそれがミクの後悔しない道なのか……。

 ミクは俺に向けて、満面の笑顔を浮かべる。


「うん、これで良いの。私はそれだけ君が大好き。私は……君だけのアイドルで居たい」

「ミク……んっ!?」


 あまりにも唐突なモノだった。

 ミクが一気に顔を寄せ、俺の唇にその柔らかい唇を押し当てた。

 一気に息がつまり、驚愕するが、すぐに理解する。

 ああ、キスされているんだ、と。

 

 ほんの数秒。


 ミクの唇と俺の唇が触れ合い、ミクはゆっくりと唇を離した。


「これが、私の気持ち。ふふ、これはユウカさんもまだだよね?」

「まぁ……そうだけど……」

「やった。へへ、アヤト。ごめんね。大変な選択をさせて」

「……別に良いよ。最初から覚悟の上だ」

「そっかそっか」


 そう言ってから、ミクは俺の隣に寝転がり、身を寄せる。

 俺のお腹辺りにほよん、と柔らかい感触があり、俺は一瞬身体を震わせる。

 む、胸がデカイ……。

 ミクはそれからそっと囁く。


「アヤト……大好き……」

「…………」


 それから、静かな寝息が聞こえてきた。

 どう応えるべきなんだろう。俺はその答えを出す事が出来ずにただ、天井を見上げていた――。

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