第14話 選択

 お風呂場に残された私はミクちゃんを見た。

 ミクちゃんはさっきの一件で興奮してしまったのが恥ずかしくなったのか、顔の下半分を湯船につけて、ブクブクと息を吐いている。

 頬はほんのり紅くて、可愛らしい。


「ちょっと興奮しちゃった?」

「……ユウカさん、酷いです。私がどれだけアヤトの事好きか知ってる癖に」


 それは良く知っている。

 話をしてくれたのはいつだったか。

 確か、あれは小学生くらいの頃だったか。

 ちょうど、身体も精神も大きく成長していく時にミクちゃんが私に相談したい事があるって持ちかけたのが最初。


 その時に言われたのだ。


『わ、私、アヤトが好きって気づいちゃった……ゆ、ユウカさん、ど、どうすればいいかな?』


 あの時は頭の中が真っ白になったのを思い出す。

 だって、私だってアヤトの事は小さい頃から好きだったから。


 何で、貴女がアヤトを好きになるの? って。


 ここの何処かで恨みそうになった事もあったけれど。

 心のどこかで貴女ならって思っていた自分も居た。

 小さい頃からずっとアヤトの側に居て、アヤトも貴女の事を好意的に見ていたから。

 二人は何だかんだ言ってお似合いだなって思っていたから。

 いつもアヤトを振り回しながらも、アヤトの事を大事に思っているミク。

 そんなミクにやれやれ、と思いながらも、決して目を離さないアヤト。


 どちらも互いが互いを大切に思い合っている、素晴らしい関係。


 私はミクちゃんの頭の上に手を置き、優しく撫でる。


「ごめんなさいね。小学生の頃からずっとそうだものね」

「そうですよ……ずっとずっとしてる片思いなんですから」

「それは私も同じよ」


 私がそう言うと、ミクちゃんは顔を出し、口を開いた。


「……ユウカさん。聞いてもいいですか?」

「何かしら?」

「ユウカさんってその、血が繋がってないって話を聞いた時、どう思ったんですか?」

「なるほどね。やっぱり、気になるわね」


 私の言葉にミクちゃんは小さく頷く。

 私は今、思っている事をそのまま口にする。


「そうね。正直に言うと、凄く嬉しかったわ。小さい頃からずっと思っていたから。貴女の気持ちを知っているのと同じで、貴女だって私の気持ちは知っていたでしょう?」

「はい……」


 これも私自身、一度ミクちゃんに相談した事があった。

 自分が実の弟であるアヤトが好きである事を。

 それを話したとき、最初は気持ち悪がられるとまで思った。

 当たり前だ。姉が弟を男として見ているなんて傍から見れば、兄弟に欲情しているヤバイ奴だと認識されてもおかしくない。


 けれど、私はその気持ちを自分の中で押し留める事が出来なくて、ミクちゃんに吐露した事があった。

 それからだ。私とミクちゃんが『同盟』のような関係性になったのは。


「だから、嬉しい反面、貴女にはほんの少しだけ申し訳ない、とも思ったわ」

「ほんの少しだけなんですか?」

「ええ、ほんの少しよ」

「まぁ、その方がユウカさんらしいですけど」


 私がちょっと自慢げに言うと、ミクちゃんはクスっと笑う。


「そっか。まぁ、その話を聞いた時から、ユウカさんは私とした約束は破っちゃったんだろうなって思いましたけど。でも、良かったです。ユウカさんが諦める事が無くて」

「……そう?」

「はい。私もユウカさんがどれだけアヤトの事、大好きか知ってるから」

「じゃあ、お互い様ね」

「はい、お互い様です」


 同じ人を好きになったからこそ、きっと私とミクちゃんの間では通じ合うものがあるのかもしれない。しかし、私はずっと気になっている事があった。

 それはミクちゃんがこの家に来てから。

 アヤトは何となくで気付いているのかもしれないけれど、私は違う。


 ミクちゃんは何か悩んでいる。


 アヤトには言えないような何かを。それを聞いてあげるのもまた、私の役目。


「ねぇ、ミクちゃん」

「は、はい!?」

「何か相談事でもあるの?」


 私の問いに目をパチクリとするミクちゃん。

 言い当てられたのが意外だったのか、それとも、それを待っていたのかは分からないけれど。

 ミクちゃんはあはは、と笑ってから、恥ずかしそうに後頭部を掻く。


「も、もしかして、分かってました?」

「分かってたというよりも、今、貴女がここに来るはずがないから。ライブも近くてかなり忙しいはずよ? なのに、勉強が追いついていないからなんて理由で来るはずが無い」

「……アヤトよりも私の事、分かってます?」

「貴女たちのお姉さんだからね」


 私自身、アヤトは弟としてもミクちゃんだって大事な妹分だと思っている。

 ミクちゃんは降参と言わんばかりに両手を上げる。


「分かりました。全部、お話します。聞いてくれますか?」

「勿論」

「……私、アイドルを辞めようかなって思ってるんです」


 ミクちゃんの言葉に私は何となくだけど、納得してしまった。

 それはやっぱり、アヤトには言えない事よね。


「その……す、すぐに辞めたい訳じゃないですよ? ただ、その……良く分からなくなっちゃったんです」

「良く分からない?」

「はい。さっきも少し話したんですけど、私はアイドルになって、幸せな事にファンも沢山居て、沢山の人に使ってもらって、今じゃトップアイドルなんて呼ばれてますけど……何も、無いんです」


 ミクちゃんはじっと湯船のお湯が揺れているのを眺めながら言葉を続ける。


「アイドルを目指していた時、アイドルになって、上を目指していた時。全部、私には大きな目標があった。こうなりたい、ああなりたいって……。でも、今は……アイドルとして目指したいものが何も無いんです。本当に……何も……」


 目標の喪失。

 これはよくある話だ。

 一つの目標を達成してしまい、その先に行くべき指針を見失ってしまう事。

 ミクちゃんの場合は、それがあまりにも急だった。

 アイドルになるという目標を打ちたて、アイドルになった。

 じゃあ、アイドルになったのなら、次はアイドルとして上を目指し、頂点に向けて頑張っていく。

 でも、ミクちゃんはすぐにトップアイドルになった。


 他のアイドルたちを皆、蹴落として、トップアイドルというアイドル界の頂点に、あっという間に立った……否、立ってしまった。


 それ故に次なる目標を失い、何の為にアイドルをやっているのかミクちゃんの中で分からなくなっているというのが現状、何だと思うが……。

 私はそれだけじゃない、と思っている。


 ミクちゃんはぎゅっと膝を抱え、言葉を続ける。


「何も無いトップアイドルと私の心の中にあるアヤトを大好きって、誰よりも大事って思ってる私自身が居て……でも、アイドルは恋愛をしたらダメだし」

「事務所はどうだったかしら?」

「……許してません。だから、アヤトを取るなら私はアイドルを辞めなくちゃいけない」


 アイドルはミクちゃんの大きな夢だった。

 小さな頃から、歌って踊れるアイドルに憧れて私達はいつだってそれを見てきた。

 アイドルらしい衣装に身を包んで、玩具のマイクを片手に歌い上げるミクちゃんの姿は今でも頭の中に残り続けている。

 そして、それを楽しげに見つめていたアヤトの眼差しも。

 

「……それが全然、分からなくなっちゃって。でも、今は私……アヤトと一緒に居たい。アヤトに好きって伝えたらもっともっと気持ちが大きくなって……」

「難しい問題ね。アイドルであればアヤトへの気持ちを諦めなくちゃいけない。それはきっと貴女にとって最高の幸福を斬り捨てる事になる。そして、アヤトを選ぶ事になれば、貴女はずっと追いかけてきた夢を捨てる事になる。……ミクちゃんが思い悩むのも良く分かるわ」


 本当に難しい問題でどっちが正解とかは無い話だ。

 だから、これから先、アヤトが思い悩んだように、ミクちゃん自身も思い悩んでいつの日か答えを出さなくちゃいけない事なんだと思う。


 恋か、夢か。


 私は思い出す。私もその選択を迫られた事があった。


 二つに一つ。どっちかの選択を必ず選ばなくちゃいけない。


 アヤトへの恋心か。アヤトへの親愛か。


 私はそれで親愛を選んだ。アヤトが私の事で傷つくのも嫌だったし、アヤトがそれで思い悩んでしまうのも嫌だったから。

 もしも、そこで私が己の欲望に塗れてしまったら、アヤトが後ろ指差される存在になっていたかもしれないから。

 私は、本当に選びたかった選択肢を選ぶ事が出来なかった。


 私は思い悩んで小さくなったミクちゃんの頭の上に手を置く。


「じゃあ、一つ。そんな選択を経験した私から解決する方法を伝授するわ」

「ほ、本当ですか?」

「ええ。とっても簡単な話。ミクちゃん、貴女はどうしたい?」

「え……」


 人はすぐに本質を見失う。

 その人に置かれた環境が心の変化、多種多様な状況によって、人の考えや行動は大きく変わっていく。

 その時、その時で最良だという選択をしたとしても、それが正解なのか、不正解なのかなんて全く分からない。

 後悔をする事もあるだろう。はたまた、後悔をしない事もあるだろう。

 その選択で失わないかもしれない。はたまた、失う事もあるだろう。


 そんなの神にでもならなくちゃ何も分からないのだ。


 あの時、あの日。私がアヤトを諦めたあの日だって。もしも、私がアヤトを諦めていなかったら、もっと別の未来があった。

 今より悲惨かもしれないし、幸福なのかもしれない。

 でも、そんなの言ったってしょうがないし、意味が無い。


 だったら、どうするのか。


 簡単だ。


 その行動を起こした時の『原点』に立ち戻ればいい。


「貴女はどうしてアイドルになったの? 貴女はどうしてアヤトを好きになったの? それを一度しっかりと考えてみなさい。そうすると、答えが浮かび上がってくるはずよ」

「どうしてアイドルになったか、アヤトを好きになったか……でも、それじゃ……沢山の人に迷惑とか……」

「迷惑なんて掛ければいいのよ。じゃあ、貴女は周りが言うから何かを変えるの?」

「それは……」

「違うでしょう? 人生の選択をするのはその人自身よ。それを周りに止める権利なんて誰にも無い。それで迷惑を掛けてしまうのだとしても、掛ければいいのよ。

 だって、それが貴女のした選択なんだから。だったら、せめて、その選択を後悔しない為に、貴女の一番最初――『原点』を大事にしなさい。それだけはどれだけ周りが変わろうとも、誰が何を言おうとも、絶対に変わらないもののはずだから」

「私の原点……ゆ、ユウカさんは、ユウカさんの原点は……何ですか?」


 ミクちゃんは意を決した表情で尋ねて来る。

 それに私は笑顔で堂々と答えた。


「私の原点はアヤトを始めてみて、手を握ってくれたあの日よ。私はあの日からただアヤトの幸せだけを願ってる。私の気持ちも、全部、アヤトが幸せであって欲しいと思う気持ちよ。

 それだけ。むしろ、それしかないわ。今の状況だって私にもアヤトを幸せに出来る権利が回ってきただけなんだから」

「原点……原点……」


 ミクちゃんはそう呟いてから、考え込む。

 私はザバっと浴槽から上がり、口を開いた。


「後はミクちゃんが考える事よ」

「あ……」

「しっかりと後悔しない選択をしなさい。私はその選択を全力で応援するわ」


 私はそう言い残し、浴室を後にする。

 これで良い。

 私の気持ちは何一つとして変わらないから。私はバスタオルで身体を拭き、それを身体に巻いてリビングへと向かう。

 そこではアヤトがテレビを見ていた。


「あ、おかえり~……って、何でタオル姿!?」

「え? だって、アヤトに見せてあげようかなって」

「いや、良いから!! 風邪引くから!!」

「そう? 見たくない?」

「もう、見たから!!」


 そんな事を言いながら、私の背中を押し、私を部屋の中へと押し込もうとする。


「早く着替えてきて」

「分かったわよ」


 私は部屋の中に押し込まれ、扉が無理矢理閉められた。

 それから一つ息を吐き、机の上に置かれた1枚の写真を見る。

 その写真には私とミクちゃんとアヤトが映っている。


 私はただ、ずっとこの三人で過ごす事が出来ればそれで良いんだから――。 

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