第10話 二倍

 ある程度、話がまとまった時。

 俺の隣に居るミクに声を掛ける。


「ミク、そういや、今日は何しに来たんだ?」

「んへへへ……」


 俺の腕に抱きついたまま、とてもトップアイドルとは思えないだらしない顔を浮かべているミク。

 何というか、そこまで好きでいてくれているというのは非常にありがたい話ではあるが、今は違う。

 俺はミクの抱き締めている腕を軽く動かす。


「ミク、ほら、しっかりしろ」

「んへぇ……はっ!? な、何か言った?」

「今日は何しに来たんだ?」


 今、ミクは忙しいはずだ。

 いくら休日とは言え、今はライブが近付いている事もあり、トレーニングがあったはずだ。

 ミクは一旦、俺の腕から離れてから、近くに置いていたカバンの中から勉強道具を取り出す。


「えっと、最近、私学校に行けてないでしょ? だから、アヤトに教えてもらおうかなって。今日はトレーニングもお休みだし。お願い」

「そのくらいなら全然良いぞ」」

「やったぁ!!」


 そう笑顔を浮かべて喜ぶミク。

 すぐに机の上に教科書とノートを広げる。

 すると、姉さんがゆっくりと立ち上がった。


「それじゃあ、私はお昼ご飯でも作るわ。アヤト、ちゃんと見てあげなさいよ」

「分かった」


 そう言ってから、姉さんはキッチンへと移動していく。

 俺はミクの広げる教科書とノートを見た。それはとても綺麗で、勉強した形跡は一切無い。

 それもそうだ。

 そんな時間がある訳がないから、それを手伝うのもまた、俺の役目だ。


「前、何処までやったっけ?」

「ここら辺じゃなかった?」

「オッケー。じゃあ、前々回の授業くらいからだな。俺のノートを持ってくるか」


 俺は自室からノートを取ってくる。 

 それをミクの近くに広げ、口を開いた。


「とりあえず、ノートを見ながら勉強していこうか」

「うん!!」


 元気いっぱいに返事をしたミク。

 俺はそれからミクに勉強を教えていくのだが――。


「だから、ここは」

「うん」

「それで――だから」

「うんうん」


 何で、教科書じゃなくて俺の顔をずっと見てるの?

 俺はミクに視線を動かすと、ミクがニコっと笑う。


「どうしたの? アヤト」

「いや、話聞いてる?」

「聞いてるよ?」

「……見てるのは教科書だよね?」

「ううん、アヤトを見てるよ」


 俺は一つ溜息を吐く。

 俺の顔なんて見ても何も面白くないだろうに。

 俺はトントン、と机を叩く。


「ちゃんとやれ。教科書を見ろ」

「ぶーぶー、けちー」

「ケチじゃない。やらないと姉さんに代わるぞ」

「や、やだ!! ユウカさん、厳しいもん」

「だったら、ちゃんとやれ」

「うー……」


 可愛らしい唸り声を上げてから、ミクは教科書を眺め、ノートに記していく。

 最初からそうしていればいいのに。集中力はある方なんだから。

 すると、キッチンから姉さんの声が聞こえてきた。


「アヤト、少し良いかしら?」

「ん? 何?」


 俺はゆっくりと立ち上がり、キッチンへと向かう。

 すると、姉さんが昼食であるチャーハンを作っていて、その一部をスプーンで掬う。


「ちょっと味を見てくれないかしら?」

「あ、良いよ」


 湯気の立つチャーハンに姉さんは息を吹きかける。


「ふー……ふー……はい、あーん」

「あー……」

「ちょっと待ったぁ!!」


 俺が当たり前のようにあーん、をしようとした瞬間、ドタドタと騒がしい足音を響かせながらミクが俺の背後に立つ。

 ミクはそのまま俺を羽交い絞めにし、思い切り姉さんと距離を取らせた。


「それは抜け駆けだよ!! あーんは私もした事ないもん!!」

「あら? でも、味見役は必要でしょう?」

「それは私がやるから!!」

「……そう?」


 ぐるるるる、と威嚇体勢を取るミクと飄々とした態度を全く崩さない姉さん。

 姉さんはチャーパンを掬ったスプーンをミクの前に差し出すと、ミクはそれを頬張る。


「……ちょっと塩気が足りない気がする」

「そう? じゃあ、少し足してみようかしら?」


 ミクの言葉を聞き、姉さんはチャーハンに塩を振り掛ける。

 それからまたしても、チャーハンを掬い、ミクに食べさせた。


「どう?」

「んっ、美味しい!! 良いと思います」

「そう。それは良かったわ」


 姉さんはそう言ってから、優しくミクの頭を撫でている。


「えへへへ……」


 何だかんだ言って、昔から仲は良い。


「勉強してらっしゃい。遅れたら遅れただけ苦労するのは貴女よ」

「はーい」


 そう言ってから、ミクは机の方へと戻っていく。

 俺もまた机に戻り、ミクに声を掛ける。


「仲が良いんだから、今も仲良くすればいいのに」

「それとこれとは別なの」

「そういうもんかね……」

「そういうものなの!!」


 何だか釈然としない気持ちを抱きながらも勉強を進めて行き、正午頃。

 ミクは一つ息を吐いた。


「ふぅ……流石に休憩……」

「じゃあ、お昼ご飯を食べようかしら。アヤト、手伝って」


 近くで本を読んでいた姉さんが立ち上がり、俺に声を掛けてくる。

 まぁ、手伝いくらいならばいつでもやる。

 俺は皿の用意をすると、そこにチャーハンをよそっていく。


「ほら、持って行って」

「あいよ」


 姉さんの言われた通り、両手に皿を持ち、リビングにある机の上に置く。

 遅れて、姉さんも一つの皿と蓮華を持ち、机の近くに座った。


「はい、これ、ミクの分な」

「ありがとー」

「さて、いただきます」


 俺が手を合わせてチャーハンを食べようとした時だった。


「待って!!」

「待ちなさい」

「……え?」


 二人が同時に声を掛けてきた。物凄く嫌な予感がするのは気のせいだろうか。

 ミクと姉さんは俺の隣に腰掛け、口を開く。


「アヤトの分は私が食べさせてあげる」

「いいえ、姉さんが食べさせてあげるわ」

「え、えっと……自分で食べるって選択肢は……」

「無い!!」

「無いわ」

「ええ……」


 どうやら、姉さんとミクの中ではとっくに決まっていた事だったらしい。

 これは断る事は出来ないだろう。

 俺は降参の意を込めて、両手を上げる。


「分かった、分かった」

「はい、あーん」

「あーん」


 ミクと姉さんがほぼ同時に蓮華を差し出してくる。

 えっと……これは困った。

 俺が困惑していると、先ほどまで感じていた和やかな雰囲気が消え去る。


「ユウカさん、さっきやろうとしてましたよね?」

「あら? 何の話かしら? 覚えてないわ」

「ムッ……アヤトは私のを食べるもんね」

「何言っているの? 私のに決まってるじゃない。そうでしょう? アヤト」


 え、え~っと……。

 俺はとてつもなく混乱する。

 これはどっちからが正解なのか。冷静に考えろ。

 世の中は平等、抜け駆け禁止。それが俺達の間にある絶対遵守のルールだ。

 抜け駆けという概念で考えるのなら、昨日。


 姉さんは一日中、俺の側に居た。そして、ミクは今日からだ。

 これは冷静に考えると、少々不平等な気はしている。だから。


「ね、姉さん。姉さんは後でも良いかな? さ、先にミクで……き、昨日もやってもらったし……」

「……そう。アヤトに言われたらしょうがないわね」

「そ、そうです!! 昨日、やったなら、今日は私です!!」

「分かったから、早くやりなさい。後が詰まってるわ」

「わ、分かってる。アヤト~、はい、あ~ん」


 甘く可愛らしい声を発するミク。

 俺はミクの方へと顔を向け、差し出された蓮華でチャーハンを食べる。

 やはり、姉さんが作ってくれただけあって、味はとても美味しい。


「うん、旨いよ。姉さん」

「当たり前じゃない。貴方の為に作ったんだから」

「……今、アヤトは私とイチャイチャしてるんだけど?」

「あら? ごめんなさい」


 口元に手を添え、何処か挑発するように謝罪する姉さん。

 それにミクは不服そうに頬を膨らませる。


「こ、今度、教えて下さい」

「……ええ、勿論よ」

「……やっぱり、仲良い」

「うるさい!! ほら、アヤト、次!!」


 そう言いながら、ミクは俺に蓮華を差し出してくる。

 本当はミクだって姉さんを本当の姉のように慕ってる癖に。

 恋心、というのは何ともまぁ難しいものである。


 ミクは綺麗に俺のチャーハンを半分、俺に食べさせ終えると、今度は自分の分を食べ始める。


「それじゃあ、後はユウカさん」

「ようやくね。ほら、アヤト、あーん」

「あ、あーん……」


 次は姉さんの方を向き、俺は昨日と同じように姉さんに食べさせてもらう。

 何ていうか……もう慣れてきている自分が居ることが恐ろしい。

 

「……もしかしてさ。これから先、ずっとこんな感じ?」

「そうよ」

「そうだよ」

「……そ、そうですか」


 良いのか悪いのかは良く分からないけれど、彼女たちがやりたがっているのならしょうがないか。

 それから姉さんは昨日と全く同じように食べさせてくれる。

 

 そんな時間は過ぎて行き、姉さんは俺に食べさせていた分、ほんの少し遅れて食事を終える。


「御馳走様。食器は全部貰うわ」

「あ、ありがとう」

「ありがとうございます」


 俺とミクが食べ終わった皿も下げ、姉さんはキッチンへと向かっていく。

 それからミクはぐでーっと机の上にだらけ、口を開いた。


「何か集中力、切れちゃったな~。それに眠たくなってきたし」

「おいおい。まだ、宿題は残ってるぞ?」

「うー、やりたくな~い……」


 駄々をこね始めるミク。

 こうなると、彼女はテコでも動かない。

 俺はチラリとキッチンに居る姉さんを見た。この際だ。せっかくだし……。


「ミク、どっか遊びに……」

「行く!! 行きたい!!」


 ガバっと身体を起こし、声を上げるミク。


「それって、つまりデートって事でしょ?」

「……抜け駆け禁止」

「うっ……わ、分かってるよ。ユウカさんだって行くんでしょ」

「勿論よ」


 釘を刺した姉さんに渋い表情で答えるミク。

 勿論、姉さんも一緒だ。


「じゃあ、とりあえず姉さんが片付け終わるまで待とうか」

「うん」


 そうして、俺達は三人でデートに行く事になった――。


 

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