第7話 変わらないモノ

 一緒にお風呂に入ってから、俺は机の上に向かっていた。

 湯上りでパジャマ姿の俺は宿題をしていて、隣でその様子を姉さんが見ている。


「そこ、違うわよ」

「え? 本当?」


 姉さんに指摘された設問を解き直す。

 さっきやった所のはずなのに。俺は自問自答を繰り返しながら問題に向き合う。

 すると、間違いが分かった。


「ああ、計算を間違えてたのか」

「ええ、そうよ」


 俺が解いている所も見ずに参考書を片手に姉さんが言葉を続ける。


「でも、確実に力は付いてきてるから、その調子で頑張りなさい」

「分かった」


 それから集中し、宿題に向き合う。

 昔もこうして姉さんに横で見てもらいながら宿題をしたな、と懐かしい気持ちを思い出す。

 何だか今日は一日、ずっと懐かしい気持ちで止まらないな。


 一緒にご飯を食べて、一緒にお風呂に入って、宿題を見てもらって。


 昔は当たり前のようにやっていた事だけれど、今じゃこれに違和感を覚え、懐かしさを感じる。

 俺が最後の問題に向き合っていると、姉さんがポツリと呟いた。


「そういえば」

「ん? どうしたの? 姉さん」

「貴方の買って来たスイーツ、まだ食べて無かったわね。持ってくるわ」

「あ、そういえば……」


 一緒にお風呂に入った衝撃ですっかり忘れていた。

 姉さんはゆっくりと立ち上がり、冷蔵庫へと向かう。そこから俺が買って来たスイーツを取り出し、持って来る。


「ほら、スプーン、置いとくわね」

「うん、ありがとう」


 とりあえず、宿題を終わらせてからゆっくり姉さんと一緒に食べよう。

 俺が宿題をやっていると、姉さんはスイーツには決して手を出さない。


「姉さん、食べないの?」

「貴方と一緒に食べるから、待ってるのよ」

「……分かった」

「焦ったらダメよ。ちゃんと、考えてやりなさい」

「うん」


 いつも言われてる言葉なのに、前までは厳しい口調で言った言葉が今ではとても優しい。

 俺はそんな優しい姉さんの言葉をエネルギーに宿題を終わらせる。

 それから、一つ息を吐いた。


「ふぅ、終わった」

「そう。じゃあ、食べましょう」


 買って来たコンビニスイーツはプリンだ。

 姉さんは大のプリン好きで良くコンビニで買ってきている。

 姉さんは俺のプリンの封を開けてから、スプーンを持つ。


「え? 姉さん。自分の分……」

「そっちは貴方が私に食べさせるの。今は私が貴方に食べさせる番」

「あ、なるほど……」


 あー、そういう感じね。

 俺が納得すると、姉さんはプリンを一口掬い、俺に差し出す。


「はい、あーん」

「あ、あーん……」


 俺は口を開け、姉さんが差し出したプリンを食べる。

 甘くて美味しい。

 姉さんは嬉しそうにクスりと笑い、口を開いた。


「美味しい?」

「うん……」

「そう。じゃあ、もう一口。はい、あ~ん」

「あ、あ~ん……」


 何というか物凄い恋人っぽい事をしている気がする。

 姉さんも何処か嬉しそうで楽しそうだし。今、もしかして、物凄く幸せな事をしているのでは?

 俺がそんな事を考えていると、姉さんがプリンを掬う。


「ふふ、何だか夢みたいね」

「そ、そう?」

「ええ、貴方にしてあげたい事が全部出来る。……こんな日がいつか来たらなっていつも考えていたから」


 そんな事を言いながら、姉さんは俺にプリンを差し出す。

 俺がそれを食べると、姉さんは言葉を続ける。


「でも、それも全部。貴方が受け入れてくれたからよ。ありがとうね」

「いや、俺は別に……姉さんが楽しそうだから、それで……」

「……そう。ありがとう。優しい子ね」


 ナデナデ、優しく俺の頭を撫でてくれる姉さん。

 ……こうして見ると、俺もかなりのシスコンなのかもしれない。


 もしも、こういう事を他の男にもやっていると考えると、割りと嫌かもしれない。

 

 それから俺は姉さんが食べさせてくれたプリンを食べ終わる。

 

「ありがとう、姉さん。美味しかった」

「そう。じゃあ、次は私ね」

「うん」


 俺は姉さんが食べるプリンの封を開け、スプーンを手に取る。

 それから姉さんが食べやすいようにプリンを掬い、差し出した。


「はい、あ、あーん」

「あーん……ふふ、いつも美味しいけれど、貴方が食べさせてくれるともっと美味しいわね」

「そ、そうかな?」

「ええ、そうよ。ほら、次をちょうだい」


 そう急かす姉さんを宥めながら、俺は次の一口も用意し、姉さんに食べさせる。

 ニコニコと嬉しそうに笑う姉さんの顔を見て、俺は思う。


 やっぱり、姉さんにはいつまでも笑っていて欲しい、と。

 姉さんが笑っていると、俺も嬉しいし、姉さんが悲しんでいると、やっぱり俺も悲しい。


 俺って、とんでもないシスコンだな。


 そう自虐しながらも、俺はそれを否定しない。


 だって、俺は姉さんと一緒に居られて幸せだから。


「はい、あ~ん」

「あ~ん……もう、無くなっちゃったわね」

「そうだね。もう少し、大きい方が良かった?」

「いえ。これくらいで充分よ。ありがとう」


 優しく微笑む姉さんの顔。

 それから、姉さんは空になったプリンのカップを手に持ち、ゴミ箱へと捨てる。


「宿題も終わったし、後は歯磨きして、寝ようかしら?」

「うん。ねぇ、寝るのも勿論……」

「ええ、一緒よ」

「そ、そうだよね……」


 まぁ、もう分かりきっていた事だった。

 俺は姉さんに連れられ、洗面所へと向かう。そこで二人並んで歯磨きをする。

 昔、していたように。


 歯磨きを終えたら、いつもは別れる俺と姉さんの部屋に続く廊下。

 そこで姉さんが口を開いた。


「アヤトはどっちがいい? 姉さんの部屋? それとも自分の部屋?」

「自分の部屋でもいいかな?」

「勿論」


 そう言ってから、姉さんは優しく俺の手を繋ぎ、俺の部屋の中へと入る。

 それから俺にベッドの中に入るよう促した。


「ほら、入って」

「う、うん」


 若干緊張しながらも、俺はベッドの中に入る。

 まだちょっぴり冷たいけれど、すぐに姉さんが迷いも無く入ってきた。

 仰向けの状態で横になり、姉さんは俺の腕にぎゅっとしがみ付く。


「シングルベッドで少し狭いから、許してね」

「別に良いよ」


 俺は身体を動かし、顔を姉さんの方へと向ける。

 姉さんは電気のリモコンで電気を消し、俺の胸元に顔を埋めた。


「……アヤトの匂いがするわ」

「そりゃ、俺のベッドの中に居るんだから……」

「何だか凄く懐かしい気がする……こうして間近で感じるのは」

「そう、かもね」


 姉さんとは小学生くらいまでは一緒に寝ていた気がするけれど、それ以降はもう別の部屋で寝るのが当たり前になっていた。

 それ以来。姉さんは俺の胸元に顔を埋めたまま、口を開いた。


「……ねぇ、アヤト。これは夢じゃないわよね?」

「どうしたの? 急に」

「何だか幸せすぎて、明日、朝起きたら、全部夢だったんじゃないかって……」


 そんな大げさな、とは思ったけれど。

 そう思ってしまうのも無理はない。今までとは正反対の生活、正反対の関係。

 そして、姉さんにとって望んでいたであろう未来。


 自身にとって都合の良い未来だと思ってもしょうがないだろう。

 けれど、俺は首を横に振る。


「違うよ。姉さん。これは夢なんかじゃない」

「そう?」

「だって、ほら」


 俺は姉さんの頬に手を添えてから、頬を掴み、軽く引っ張る。

 うにょ~ん、と伸びる姉さんの頬。


「ふぉっと、ふぁにしてるの?」

「はは、姉さん。変な顔ッ!!」

「ふぉっと、ふぁめなさい!!」

「アハハハ、ごめんごめん」


 俺は姉さんの頬から手を離すと、姉さんはむくれたまま口を開いた。


「人の頬で遊ばないの」

「でも、少し痛かったでしょ?」

「それはそうだけど……」

「ほら、夢じゃない」

「……全く。じゃあ、お返し」

「え?」


 俺が戸惑うよりも先に姉さんは俺の頬に手を添えた。

 それから一気に俺の顔に近付け、額にチュっと軽くキスをした。

 

 あまりにも唐突な事に俺が目を丸くしていると、姉さんは楽しげに笑う。


「ふふ、どう?」

「……まぁ、唇じゃないからセーフ」

「あら? 唇が良かった? 私は別にそれでも構わないけれど?」

「いや、ダメだから」

「何よ、ケチ」


 俺の言葉が不服なのか、姉さんはムスっとしたまま、俺にゆっくりと抱きつく。

 それから背中に回した手で優しく、俺の背中を叩き始める。


「でも、ありがとう。そうね、こんな素敵な時間が夢な訳ないものね」

「そうだよ。……俺も姉さんと一緒に居られて嬉しいからさ」

「そう……ふふ、それは……良かったわ」


 ゆっくりと姉さんの瞼が重くなって、落ちていく。

 俺は姉さんを優しく抱き締める。

 その身体は少々頼りなくて、細い。けれど、とても暖かい。


「……すー、すー」


 姉さんの優しい寝息が聞こえてくる。

 家の事のためにって、いつも頑張ってくれる姉さん。

 いつも厳しかったけれど、それでも優しい姉さん。


 俺は眠る姉さんの頭を優しく撫でる。

 サラリとした黒髪の感触を掌全体で感じる。手入れされていて、本当に綺麗だ。


「姉さん……」


 俺はそう呟く。

 関係は確かに変わった。姉ではなく義姉。

 血は繋がっていると思ったら、繋がっていなかった。


 それ故に姉さんは自分の気持ちを押し殺す事をやめ、自分の欲するものを手に入れようと変わった。


 色んなモノが変わる大きな日だった。


 けれど。俺は思う。


「それでも姉さんは何も変わらない」


 この姉さんが包み込んでくれる優しい温もりも。

 姉さんが俺に対して向けてくれる愛情も、決して変わらない。

 

 姉さんはいつだって、俺に厳しくて、優しい姉さんだ。


「……ちゃんと考えないとな」


 姉さんの気持ちを理解した。

 だからこそ、俺はハンパな事で考えちゃいけない。

 姉さんを家族として見ているのか、それとも一人の女性として見ているのか。


 ちゃんと考えないと。


 ――けれど、今は。まだ。


「まだ、姉さんの弟で居たいかな」


 睡魔が襲い掛かってきた。

 重くなる瞼に逆らわず、ゆっくりと落としていく。

 徐々に意識が遠ざかり、眠る穏やかな姉さんの顔が見えづらくなる。


 うん、そう。これは夢なんかじゃない。


 明日もいつも通りだけれど、何処か懐かしくて、あったかい日になる――。


 姉さん、おやすみ。


 俺はそう心の中で呟いて、そっと眠りについた――。

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