第6話 昔と今

 俺は脱衣所で困惑している。


 え? マジで一緒に入るの?


 まだ姉さんは来ていないから、考える余地はある。

 確かに昔は良く一緒に入っていた。これは間違いない。

 

 でも、今はもう既に高校生だ。姉さんなんて大学生。それで血が繋がっていないって何か間違いが起きてしまうんじゃないかという懸念がある。

 そもそも、姉さんは色々とはっちゃけすぎなのだ。


 こういうのはゆっくりと関係を進めていくのが定石というか、常だとは思わないのだろうか。

 色々と疑問は頭の中に浮かんでいるが、明確な解決策が出てくる訳でもない。


「……そりゃ確かに。姉さんと一緒に入れる事が嫌か嫌じゃないかと問われたら嫌じゃないけど」


 誰に言う訳でもなく、何故だか自分に対して変な言い訳をしてしまう。

 何というか、自分自身に邪な気持ちがあるのか、それとも何かしらの戸惑いからあるからなのか、それは自分の中ではっきりとはしていない。


 ゴチャゴチャと色々な事を考えているが、結局の所はただ一つ。


 俺が姉さんのハダカを見て我慢できるのか、という点である。


「アヤト? 何、突っ立ってるの?」


 ガラっと脱衣所の扉を当たり前のように開ける姉さん。

 姉さんはまだ服を着ていて、手にはお風呂に入る際に必要なものが纏められたモノを持っている。中身は良く分からないけれど、女性というのは色々あるんだろう。


「あ、ごめん。ちょっと考え事を……」

「そう?」


 首を傾げると、姉さんは当たり前のようにシャツの裾を掴み、上に一気に引き上げる。

 すると、露になる姉さんの下着姿。

 ……黒、か。


「……アヤトは脱がないの?」

「え? あ、ぬ、脱ぐよ?」


 え? 羞恥心とかってないのか。

 俺が疑問に思っていると、姉さんはクスリと笑う。


「アヤト、もしかして恥ずかしがってる?」

「これに関しては本来、姉さんが恥ずかしがるもんじゃないの?」

「どうして? 私は小さい頃から入っているし、今も一緒に入りたいって思ってたから。恥ずかしさよりもようやく、という気持ちの方が強いわ」

「あ……そ、そうなんだ……」


 姉さんは履いているズボンにも簡単に手を掛け、スルリと落とす。

 本当に迷いが無い。

 上下とも黒の下着姿になると、姉さんの肢体が露になる。


 何か凄い久々に見た気がするけれど、本当にスタイルが良い。

 胸も人並みか、それ以上にはあると思うし、その膨らんだ胸とは対照的に腹部にはしっかりとくびれが見えている。

 くびれから綺麗な曲線美を描き、臀部へと視線を誘導させるかのような艶かしい曲線には思わず息を飲んでしまう程。

 常に一緒に過ごしてきた姉弟という立場からしても、正直、そそるものがある。


「……アヤト? 何、そんなにジロジロ見て」

「え? あ、ご、ごめん」

「別に見たいなら見てもいいわよ? そんなに面白いものじゃないと思うけれど」

「いや……なんかすごい綺麗だなって思って……」

「そう? ありがとう」


 姉さんはふふん、と嬉しそうに髪を軽く払う。

 あ、俺も脱がないと。俺もシャツを脱いでから、ズボンを脱ぐ。


「……アヤトって鍛えてる?」

「え? いや、特に何もしてないけど?」

「そう。何かやっぱり男の子と女の子の違いかしらね。筋肉質に見えるわ。かっこいいわよ」

「そ、そう……かな? あ、ありがとう」


 俺は戸惑いながらも返事をすると、姉さんは簡単に下着を外し、脱ぐ。

 いや、本当に躊躇わないんだね!!


「アヤト、脱がないの?」

「いや、脱ぐけど……先、入ってて」

「……分かったわ。顔に恥ずかしいって書いてあるから」

「わ、分かってるなら、早く!!」

「もぅ、急かさないでよ」


 そう言いながらも、姉さんは気を使って浴室の扉を開け、中へと入っていく。

 俺はその背中を見届けてから、一つ息を吐いた。

 しょうがない、もうどうせ、逃げ道は無いんだ。

 俺は下着を脱ぎ、浴室の扉を開ける。


 すると、姉さんは椅子を用意していて、そこを指差す。


「ほら、アヤト。座って? 身体、洗ってあげるから」

「え……い、いいよ。自分で」

「私がやりたいの」


 どうやら、拒否権は無いらしい。

 俺は姉さんに言われるがままに椅子に腰掛けると、姉さんが優しくシャワーをかけてくる。

 シャー……っというシャワーの音とお湯の温もりが何処か心地良い。


「本当に大きな背中ね」

「そ、そう?」

「身長も大きくなったし、立派になって姉さんも嬉しいわ」

「まぁ、成長期だしね」


 頭の中が上手く回っていないのか、当たり障りの無い返答しか出来ない。

 何というか、物凄く緊張している。

 心臓が高鳴り、出来るだけの姉さんの裸を鏡越しに見ないように気を使う。

 姉さんは石鹸を泡立てながら、口を開く。


「けれど、心は昔のままね」

「へ?」

「優しい所とか。暖かいところとかね」

「……そうかな?」

「ええ、そうよ」


 そう言ってから、姉さんは素手で俺の身体を触り始める。


「え!? ね、姉さん!? タオルじゃないの!?」

「貴方、肌が少し弱いんだから、タオルなんか使ったら傷が付くでしょう? だから、今日は素手で洗うわ」

「えぇ……いや、た、タオルで……」

「素手で洗うわ」

「……はい」


 姉さんに対して弱すぎる気もするけれど、姉さんがその気なら止める事なんて出来ない。

 背中を優しくも暖かい姉さんのほんの少し小さな手で洗われる。

 独特の感覚が背中を巡って、凄くくすぐったい気もするけれど、何だか同時に懐かしい気持ちも芽生えてくる。


「そういえば、小さい頃もこんな感じで洗ってもらってたっけ?」

「……そうね。あの頃は貴方も落ち着きが無くて、こうして座らせるのも一苦労だったわ」

「そ、そうだっけ?」

「そうよ」


 確かに、今、思い返すと何だか姉さんを困らせてばかりだった気がする。

 こう構って欲しいという感情があったのか、姉さんをいつも困らせて。その度に姉さんが相手をしてくれるから嬉しかったんだっけ?


「でも、今はだいぶ落ち着いたわね」

「うん、だと思う」


 くちゅくちゅくちゅと、水音を響かせながら、俺の背中をくまなく洗っていく姉さん。

 それから姉さんは俺の腕を手に取る。


「次は腕ね。……何というか太いわね。私の華奢な腕とは大違い」

「でしょ? これでも成長してるんだよ」

「ふふ、そうね。これも成長だわ」


 そう言いながら、姉さんは鼻歌混じりに身体を洗ってくれる。

 何処か上機嫌で楽しげだ。

 ふと、俺は気になった事を姉さんに尋ねる。


「ねぇ、姉さん」

「何かしら?」

「姉さんってさ。その、ずっと俺のことが好きだったんだよね?」

「そうよ」

「諦めようとかって思わなかったの?」


 今は血が繋がっていないと分かったけれど、本当にちょっと前までは血は繋がっていると思っていた。そうなれば、今のような不思議な関係には絶対になれなかったはずだ。

 俺の問いに姉さんは手を動かしたまま、口を開く。


「そうね。諦めようとしてたわ。言うつもりも無かった」

「やっぱり、そうなんだ」

「そうよ。姉弟で恋愛っていうのは認められない事。禁断の恋ってものだしね。それに、そんな事をしたら貴方の評判が大きく下がる事になる」


 姉さんは腕を洗い終えると、シャワーを手に取る。


「私はね、貴方が好きよ? でも、そんな気持ちよりも前にずっと変わらないものがあるの。貴方をはじめて見た時からずっと変わらないものが」

「変わらないもの?」

「ええ。貴方がずっとずっと幸せであって欲しいって気持ちよ」


 シャワーで俺の背中と腕を洗い流しながら、姉さんは言葉を続ける。


「どれだけの時間が経っても、貴方がどれだけ身体大きくなっても、変わってしまったとしても、私のこの気持ちだけは永遠に変わらないわ。私は貴方が幸せに生きていてくれればそれで良いの。

 それが私の隣だったら、尚の事、良いっていう話なだけでね」

「姉さん……そう、なんだ」


 知らなかった。

 確かに大事にされているとは感じていた。

 でも、そこにそんなにも大きな気持ちがあった事は全然知らなかった。

 姉さんは俺の背中にそっと寄り添う。ふよん、と柔らかなマシュマロを背中に感じ、俺は目を丸くする。


「え!? ね、姉さん!?」

「私はずっと貴方に幸せであって欲しいの。これから先、辛い事、苦しい事、大変な事、沢山の事が貴方の前に起こったとしても、貴方にはいつまでも笑っていて欲しい。

 笑顔で楽しく生きていて欲しい。それはずっとずっと変わらない姉さんの気持ち」

「……姉さんって意外と重いんだね」

「あら? 今更?」


 クスっと笑う姉さんは俺から離れ、軽く背中を叩く。


「ほら、次は。貴方。貴方が私を洗って」

「え? い、良いの?」

「当たり前じゃない」


 俺は姉さんと場所を変わり、背中を見る。

 水を弾くような綺麗な肌に俺は思わず息を飲む。こうして見ると、本当に綺麗だな。

 水も滴る良い女、という奴だろうか。

 俺は石鹸をタオルで泡立てる。


「ああ、私、肌が弱いから素手でお願いね」

「……分かりました」


 どうやら、タオルを使うのは許されないらしい。

 俺は石鹸で泡立ててから、優しく背中に触れる。


「っ……んっ……はぁ……」

「……姉さん、それ、わざとでしょ?」

「あら、バレちゃった?」

「……やめてよ、本当に」


 艶のある姉さんの声にちょっと身体が反応しそうになったのを堪える。

 危ない、危ない、姉さんに色んなモノを持ってかれる所だった。

 俺は姉さんの背中を全体的に優しく洗っていく。


 姉さんの背中って、こんなにも小さかったっけ?


「……姉さんって小さいね」

「そう? そりゃ貴方に比べたら……」

「いや、そうじゃなくてさ……こんなにも頼りなかったかなって」

「…………」


 俺の言葉に姉さんは押し黙る。

 多分、言いたい事を分かってくれたんだと思う。


「そうね。そうかもしれないわね。小さい頃の貴方から見た姉さんは頼りがいがあったかしら?」

「うん。凄く。いつも助けてくれたし、守ってくれた。でも、それがこんなに小さい背中だったなんて思わなかったな」


 何だかちょっと力を入れてしまったら壊れてしまいそうで。

 良く両親が言っていた女の子を大事にしなさい、という言葉の意味が分かるような気がした。

 特に姉さんはこんな頼りない身体でいつも、俺を守ってくれていた。


 それが何ていうか、凄く……凄いって思うし、申し訳ないとも思ってしまう。


 俺の幸せを誰よりも願っている姉さんがこんなにも儚い存在なんだって。

 だから、何だか言わなくちゃいけない気がした。


「姉さん、俺……す、少しは姉さんを支えてあげられるようになるよ。いつまでもさ、姉さんにおんぶに抱っこじゃなくて……その……自分なりに頑張ってみるよ」

「……ふふっ。気にしなくてもいいのに。でも、ありがとう。優しいのね」


 そう言いながら、姉さんは肩越しに俺を見る。

 その目は何処までも優しくて、昔、俺を見てくれた姉さんと何も変わらない瞳だった。


 そうか。俺はそこで気付く。


 やっぱり、俺も変わっていないんだな。どれだけ身体が大きくなって、時間が経って、心が成長したって。

 俺は姉さんが大好きなんだ。


 それが姉弟としてなのか、それとも一人の女性として好きなのかはまだ分からないけれど。

 今はこの背中を、この女の人を凄く、守りたいって思っている。


「……姉さんも変わらないね」

「そう? 良く、貴方に仏頂面になったと言われてたから、少し気にしてたのよ?」

「それはちょっと前までの話。今は、うん。昔のままだなって思うよ」

「そう。なら、前も洗ってくれる? 昔は前も洗ってくれたんだけど……」

「……それは遠慮させてくれるかな?」

「ふふ、そう。しょうがないわね、今日だけは許してあげるわ」


 そんな昔と変わらない話をしながら、僕と姉さんはゆっくりとお風呂を楽しんだ――。

 その間だけ、何だか昔の二人に戻ったような気がした――。

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