第4話 姉さんの本音

「アヤト、美味しい?」

「お、美味しいけど……」


 もぐもぐと口の中に頬張ったカレーを咀嚼し、飲み込む。

 おかしい、俺の頭の中には疑念がいっぱいだった。

 

 さっきからずっと姉さんの様子がおかしいのだ。


「……どうしたの? アヤト」

「え!? あ、えっと、何でもないです……」


 いつもクールですまし顔。こうして夜ご飯を食べるときだって、姉さんはいつも俺とは目を合わせないようにしながら食べている事が多い。

 これはそれはもう日常茶飯事で、俺からしたら当たり前すぎる事。

 けれど、今日は違う。

 何だろうか。そう、柔らかいのだ。

 顔はクールでいつも通りなんだけど、言葉の端々とか雰囲気が柔らかい。


 俺は記憶を呼び起こす。


 そもそも、姉さんが変わった原因が何なのか。

 それは間違いなくあの手紙の事だろう。

 俺が姉さんや父さん、母さんと血が繋がっていないというある意味でビックリな真実。

 当然、最初は姉さんも凄く戸惑っていたけれど、今では落ち着いている。


 それどころか、あの時。

 俺が姉さんの好きなコンビニスイーツを買いに行って帰ってきた時。

 俺は一言二言くらい、小言を言われると思っていた。

 あの時、俺はビニール袋を持っていく事を忘れて、コンビニで3円払ってきた。


 この3円というのを姉さんは物凄く重く見ている。

 塵も積もれば山となる、毎日3円を払い続ければ、ジュース1本買えるのよ? と言われ続けてきた。だから、いつも通り、小言を言われると思った。


『貴方、3円が勿体無いじゃない。全く』


 と、言われて、冷ややかな眼差しを向けられると思っていた。

 しかし、現実は全然違った。


『今日は許してあげる。ふふ、ありがとう、アヤト』


 そう言いながら、昔のように優しく頭を撫でてくれた。

 俺はあんな姉さんを見たのは十数年ぶりだった。

 姉さんはいつも厳しい。気を引き締める、と言えば聞こえは良いかもしれないけれど、時折、その厳しさが息苦しく感じてしまうくらいには。


 だからこそ、そんな厳しさとは対極にある今の状況が全く落ち着かないのだ。


 チラチラと俺が姉さんの様子を伺っていると、姉さんは首を傾げる。


「アヤト、どうしたの? さっきからチラチラ見て」

「えっと……ね、姉さん。何かあった? あ、も、もしかして、これって、俺の最後の晩餐?」


 俺は思わず最悪のケースをイメージしてしまう。

 そう、姉さんが今、柔らかい雰囲気なのは最後くらい良いイメージでなんて思っているのかもしれない。

 これが最後の晩餐で、姉さんは俺をこの家から追い出すつもりなのかもしれない。

 そう考えたら、何だろう。凄く悲しくなってきた。


 しかし、姉さんは目を丸くし、首を横に振る。


「最後の晩餐って、そんな訳ないじゃない。貴方はずっとここに居ていいの。何を不安がってるの?」

「え? だ、だって、姉さん。何かすごい人が変わったみたいに雰囲気が優しいから……」

「……じゃあ、アヤト」


 俺の言葉を聞き、姉さんは一つ息を吐く。

 それは何か決意をしたかのような表情へと変わり、真っ直ぐ俺を見た。


「姉さん、今からすごい大事なお話しても良い? 本当に大事な話」

「え? う、うん」


 一体、何が姉さんの口から飛び出してくるのか。

 追い出さないのなら、もしかして、家の中での隔離生活? それとも姉さんが家を出て行く?

 どうにも頭の中にはマイナスのイメージしか浮かばず、俺はスプーンを机の上に置く。


 姉さんは一つ、二つは深呼吸をしてから、口を開いた。


「姉さんね、アヤトが好きなの」

「……え? お、俺も姉さんの事、好きだよ?」

「え!? そ、そうなの!?」


 バン、と勢い良く立ち上がる姉さん。

 その瞬間、ガン、と膝と机の裏が激突する音が響き、姉さんが膝を抑える。


「い、いったっ!?」

「ね、姉さん!? だ、大丈夫!?」


 珍しいミスだ。ていうか、姉さんがこんなに取り乱しているのを始めて見た。

 姉さんは膝を摩りながら、涙目で俺を見る。


「いっつつ……あ、アヤトは姉さんの事、好きなの?」

「え、うん。好きだけど……だって、姉さんはいつも俺の面倒を見てくれるし。ぶっきらぼうで厳しいけど、こうずっとちゃんと見てくれるし」

「……ん? アヤト、ちょっと待って」


 思った答えじゃなかったのか、姉さんが顎に手を当てる。

 それから姉さんは思考した結果、納得のいく答えが出たのか、うんうんと頷く。


「あー、なるほど。アヤトは勘違いしてるのね。ごめんなさい、姉さんのせいね」

「え? か、勘違い?」

「姉さんね、アヤトが男の子として好きなの。つまり、LIKEじゃなくて、LOVEの方ね」

「……ゑ?」


 LIKEとLOVE。その違いくらい俺にだって分かる。

 LIKEは所謂、こう友達関係での『好き』だ。

 重さで言えば、まぁそこまでのものではない。

 ではLOVEは?

 LOVEというのは異性に対して恋慕の感情を現す際に使われる言葉。

 所謂、愛してる、という意味になる。


 ここから導き出される答えはただ一つ。


 姉さんは俺が好き。親愛という意味ではなく、恋愛、一人の男として。

 俺はパチパチと思わず瞬きしてしまい、思い切り立ち上がる。


「え!? ね、姉さん!? それって、いった!?」


 バコン!! と俺の膝にも机の裏が激突し、悶絶する。

 すると、すぐさま姉さんが動き出した。

 姉さんは俺の近くに座り込むと、膝を優しく摩り始めた。


「だ、大丈夫? 今の痛かったよね?」

「ね、姉さん!?」

「はっ!? んんッ!? 何でもないわ。き、気をつけなさい」


 取り繕うように咳払いをしてから姉さんは自分の座っていた椅子に戻る。

 今、滅茶苦茶早かったぞ。思わずびっくりしちゃうくらい。

 俺は膝を軽く摩りながら、口を開く。


「え、えっと……その、姉さん。それはその……勘違いとかじゃないんだよね?」

「そ、そんな訳ない。だ、だって、姉さん。ずっと貴方のこと、好きだったのよ?」


 つんつん、と人差し指と人差し指を突き合せながら恥ずかしそうに言う姉さん。


「で、でも、私達ってほら姉弟でしょ? だったら、こういう気持ちは間違ってるじゃない。だから、ずっとその隠してたのよ。けど、もう姉弟じゃない」

「それは……そうだけど……」


 確かに。

 姉さんの言っている事は間違いない。

 姉と弟という関係だったら、姉弟関係になる為、恋人関係になる事は出来ない。

 日本は近親婚を認めていないから。

 しかし、姉さんと俺の血が繋がっていない事が明らかになれば話は別。

 血というわだかまりが無くなり、姉さんのずっと秘めていた気持ちを隠す必要が無くなったという事。


 でも、それはあくまでも体裁上の話で。


 心というのはそう簡単に切り替えられるものでもない。

 俺は姉さんに向かって一つ頭を下げる。


「ご、ごめん。姉さん」

「アヤト?」

「俺にとって姉さんは姉さんのままっていうかさ……そ、そういう対象としてはその見れないかなって……」


 やっぱり、俺にとって姉さんは姉さんのままなんだ。

 いつも厳しくてもどこか優しい、そんな素敵な姉さんのままなんだ。

 俺の答えを聞き、姉さんは一つ息を吐き、腕を組む。


「……そんな事、分かってるわ」

「え?」

「姉さんは貴方の事、誰よりも分かってる。いきなりこんな事を言われても戸惑う事も。アヤトはこういう大事な事をすぐに結論を出したりしない。そして、ちゃんと考えて答えを出してくれる、そうでしょ?」

「……うん」


 それがいつも姉さんが言っている事だから。

 物事は良く考えて、自分なりの答えを出しなさいって。それでいて、後悔の出来るだけしない道を選べって。

 だから、俺は真っ直ぐ姉さんを見て言う。


「だから、ちゃんと時間が欲しい、かな。今はまだその整理が付いてないし。色々考えたいっていうか……」

「うん、それで良いわ。でもね、アヤト」

「何?」

「アヤトも姉さんの事、良く知ってるわよね?」


 俺は考える。

 姉さんの事を良く知っているよね。それはご存知だ。

 姉さんはちょっと負けず嫌い、というか、強情なところがある。

 押しが強いっていうか、自分の意見は絶対に曲げないというか。頑固って言っていいのかもしれない。

 つまり、俺は冷や汗が頬を伝うのを感じた。


「え、えっと、姉さん?」

「私ね、告白されてたのどうして断ってたか知ってる?」

「え? えっと……」

「アヤトが大好きだからよ。それにね、アヤトが他の女の子のモノになるのも絶対に嫌なの」

「え? ね、姉さん?」

「ねぇ、アヤト。姉さんはね、強欲なの。今もね、貴方の事をいっぱい甘やかしてあげたいし、よしよししてあげたいし、イチャイチャしたいの」


 姉さんの言葉に俺は背中に汗が伝うのを感じ、そっぽを向く。


「ど、どうして!? い、今まで姉さん厳しかったじゃん!!」


 俺がそういうと、姉さんはゆっくりと立ち上がり、何故か机の上を撫でながらこっちに近付いてくる。何だか妖艶な雰囲気を醸し出しているのは気のせいだろうか。


「厳しいのは貴方が将来、結婚して私の側から離れたときに困らないようにする為。でも、もう違うの。私はアヤトの事、好き。だからね、アヤト」


 姉さんは俺の隣に座り、俺の肩を掴み、抱き寄せる。

 吐息が掛かるほど近くに口を寄せ、言う。


「姉さん、今日からいっぱいアヤトを甘やかしちゃう……今まで出来なかった事、ぜ~んぶやって、アヤトが私を好きって言ってくれるまで……頑張っちゃうから」

「ね、姉さん!? ちょ、ね、姉さん!! 正気に戻って!?」


 俺は必死に叫ぶが、姉さんは机の上に置かれていたスプーンを手に取る。


「あら、姉さんは正気よ。今から、貴方にこの私が作ったカレーを食べて欲しいの。こうして、恋人みたいに……はい、あーん」

「ね、姉さん?」

「アヤト、嫌なの? 姉さんにこういう事されたら、迷惑?」


 うるうる、と瞳を潤わせ、しゅんとした様子になる姉さん。

 いつも厳しいはずの姉さんがそんなしおらしくなるなんて。そんな驚きもあるけれど。

 今は違う。何ていうか、姉さんにそんな顔をさせたくない自分自身が居た。

 

 昔から厳しい姉さんが悲しむ姿を見たくない。

 例え、姉さんが俺に向けてくる感情は違ったとしても、姉さんには変わりない。


 俺は口を開ける。


「あ、あーん……」


 ぱくん、と姉さんが差し出したスプーンを頬張り、カレーを咀嚼する。

 姉さんが作るご飯はいつも美味しい。姉さんは俺に身を寄せ、尋ねる。


「アヤト、美味しい? 姉さんのご飯」

「う、うん。美味しいよ」

「そう。良かった。ふふ、じゃあ、もう一口、食べる?」

「うん。でも、自分で……」

「ダメよ。私がやりたいの。今までずっと我慢してたんだから。あ」


 姉さんは何かに気付いたのか、俺の口元を人差し指で撫でる。

 それから、口に運び笑顔を浮かべる。


「ふふ、カレー付いてたわよ」

「あ……」

「美味しいね、アヤト」

「…………」


 ニコニコと嬉しそうに笑う姉さん。

 何だろうか。この絶対にお前に堕とすと宣言されているような顔は。

 ……ちょっと待ってくれ。

 俺はそこで気付く。これ、もしかして、ずっと俺は姉さんが俺を堕とすのに全力を注ぐって事?

 毎日、これが続くって事? それは……え?


 これは――ちょっと大変な事になったのかもしれない。

 俺はそう思いながら、姉さんが運んでくれるカレーを食べ続けた。

 

 その間、ずっと姉さんが幸せそうに笑っていたから、まぁ、ヨシ!!

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