第3話 お姉ちゃんの気持ち

 パタン、カチャリ。

 扉が閉まる音がする。

 私は扉に背中を預け、手に持っていた古びた手紙を見つめる。


 私とあの子、アヤトの血が繋がっていなかった?


 それは私も全然知らなかった。私とアヤトは2歳違い。

 私が大学1年生で、あの子が高校2年生。

 私は思い出す。


 そう、私の記憶で一番古いのが3歳くらいの頃。

 だから、私が覚えてるのは既に1歳の頃。こんな真実を知る事は無かった。

 両親もこんな事を言う素振りなんて全く見せてなかった。


 私は呆然とする。


 突然、突きつけられた現実を頭の中で処理する事が出来ない。

 私は歩き出し、自室にある机の上に手をつく。


「お、落ち着きなさい、ユウカ。深呼吸を、するのよ」


 自分で自分を冷静にする為に、一度二度と深呼吸をする。


 すーはー。

 すーはー。


 良し、多少、落ち着いてきた。

 熱くなっていた頭が冷えてきた。

 これなら、正常な判断が出来る。私はもう一度、手紙を見る。


 うん、見間違いなんかじゃない。

 

 アヤトはこの亡くなられた本当のアヤトの両親から託された子。

 つまり、私と彼の間に血の繋がりは無い。

 

 血の繋がりが、無い。私はそれを反芻し、バクンバクン、と脈打つ心臓を抑えられなくなる

 はぁ、はぁ、と何故だか呼吸が荒くなり、心の中に強烈な火が灯るのを感じる。

 そう、ずっとずっと押し殺してきた気持ちが蘇ってくる。


 それを感じて私は叫ぶ。


「ま、待ちなさい!! 藤堂ユウカ!! まだ、まだよ!! この気持ちは表に出していいものじゃないの!!」 


 私が思い切りそう言うと、頭の中に一つの人格が姿を現す。


『そうよ。その気持ちはずっと隠しておくって決めたでしょう? 貴女はアヤトの将来を誰よりも強く考え、厳しくしてきたのよ』


 そう、これは『厳しくしようとする私』

 私が心の中で作り上げた、本当の気持ちを隠す為の一つの人格。

 そうだ。私はそう――この気持ちはずっと抱いちゃいけないって思っていた。


 このアヤトを愛する気持ちを。


 私は姉でありながら、アヤトを愛していた。

 これは家族的な愛情ではなく、アヤトを一人の男性として愛している。


 私はアヤトと小さな頃から一緒に過ごしてきた。それこそ、家族として。

 だからこそ知ってる。アヤトの良い所、ダメな所、私の心をくすぐってくる可愛い所も。

 でも、それは抱いちゃいけない気持ちでずっと押し殺してきたの。


 しかし――今、もう一つの人格が姿を現す。


『違うわ、ユウカ。貴女はもう素直になっていいの。本当の貴女はアヤトに厳しくなんてしたくないはずよ。本当はいっぱい褒めて、いっぱい、よしよしして、いっぱい甘やかして、イチャイチャして、果てには○○○を○○○して、○○○を○○○の中に入れたいはずよ!!』

「何考えてるのよ、私はぁ!!」

 

 私はベッドに倒れこみ、悶絶する。

 違う、違う、違う!! 私はそんな事を考えているはずが無い!!

 私の脳内、厳格ユウカが言葉を発する。


『今更何言ってるの? ずっとずっと厳しくしてきたもの。今更、そんな甘くなって受け入れてもらえると思ってる? そんな訳ないでしょう?』

『いいえ。アヤトはとても優しい子です。ありのままの私を受け入れてくれるはずです』

『違うわ。アヤトはそう簡単に人を受け入れない。あの子は思慮深い子よ。何かあったと必ず勘繰って、落ち込むわ。最悪、一緒に居たくないって考えるわ』

『そんなはずないわ!! あの子だって、お姉ちゃんの事、大好きに決まってる!! だから、甘えて良いよって言ったら、素直に甘えるはずだわ!!』


 脳内会議で厳しくし続けてきた自分と甘やかしたい自分自身がせめぎ合っている。

 実際、私はそう。あえて厳しくしてきた。


 私がこの恋心のきっかけは確か6歳の頃。

 ショッピングモールで、アヤトが迷子になった時だ。


『ぶえええええええええええええええん!! おねえちゃあああああああん!!』

『あ、見つけた。アヤト!! 大丈夫?』

『おねえええええええええちゃあああああああん!!』


 あの頃のアヤトはとっても泣虫で、ショッピングモールで迷子になったのが相当心細かったのか、私の手をぎゅっと強く強く握り締めて離さなかった。

 その時、アヤトは言った。


『ぐすっ、おねえちゃん』

『何? アヤト』

『もぅ、おねえちゃんはボクの前から居なくならないでね』


 居なくなったのは貴方の方だけど、って思ったけれど。


『うん。分かった。じゃあ、アヤトの側にはずっとお姉ちゃんが側に居るね』

『……うん!!』


 あの時、見せてくれた笑顔が本当に可愛くて。

 そして、ぎゅっと握ったあの手がずっとずっと忘れられなくて。

 私はアヤトを何が何でも守ろうって思った。それがアヤトを特別な目で見ようとした切っ掛けだったんだと思う。

 後は時間が流れていく内にゆっくりと惹かれていってって感じだったと思う。

 

 だから、この気持ちにはずっと蓋をし続けてきた。

 あえて、あの子に厳しくする事で。いつの日か、あの子が私の側を離れても大丈夫なように。


 この手から遠く、遠く離れても、大丈夫なように。


「……それを自覚してからいっぱい泣いてたよね」


 私は薄く笑う。

 恋心を自覚して、姉だから決して叶う事は無い、と理解して。

 必ずこの手からアヤトが居なくなると分かって。私は悔しかったし、悲しかった。

 一人で叶わない恋を悔やんで、でも、あの子の将来の為って言い聞かせて、ずっとアヤトに厳しくしてきた。


「アヤト……」


 私の脳内会議は新たなる進展を迎える。


『厳しくしてきた事もアヤトの為。私は最初からアヤトを愛しているのよ。それは厳しくしてきた貴女も同じはずよ』

『っ!? そ、それはそうかもしれないけれど、そんなのアヤトが気持ち悪がるに決まってるわ!!』

『そうかしら?』

『え?』

『アヤトは優しい子よ。受け入れる事は無くとも……拒絶する事は無い』


 甘やかしたい私がそんな事を言い始める。

 そう。あの子は優しい子。都合の良い話かもしれないけれど、私を拒絶するなんて事は無いと思う。それに、いつだって私はアヤトに言ってきた。


 正直者で生きなさい、って。


 嘘を吐いてしまうと、いずれその嘘がどんどん大きくなっていって、また新しい嘘を吐かないといけなくなるって。

 そんな事を教えている私が嘘を吐いていいはずが無い。

 私は一つ息を吐く。もう一度、冷静になろう。


 私の気持ちに正直になるの。


 厳しくしてきたこれまでの人生と私の心の中にある本当の気持ち。

 

 私はアヤトが大好き。

 姉としても、家族としても、そして、女としても。

 彼にならば全てを委ね、預けたいと思うほどに。

 

 そう、私は色んな人に告白されても全て断ってきた。

 それは全て、頭の中には貴方が居たから。私の心にはいつだって、君が居たから。

 

 私の気持ちは何一つ変わっていない。全部、アヤトの為。


「私はアヤトが好き……アヤトにいっぱい甘えて欲しいし、いっぱい甘やかしたい……。恋人みたいな事だってしたいし、デートだってしたい……」


 私は自分の素直な気持ちを吐露する。

 うん、何も取り繕わなくなった時、私の本心が一番に出てくる。

 これが今、私が一番に望んでいる事。


 厳しくするんじゃなくて、いっぱい褒めて、肯定して、認めてあげたい。


 私は一つ息を吐いてから立ち上がる。


「うん。そうだよね、私はずっとそうしたい。アヤト……」


 手紙を手に持ち、私はリビングへと向かう。

 ゆっくりと部屋の扉を開け、音を立てないように廊下を進む。

 それからリビングに到着したが、誰も居ない。


「……アヤトは。あ、書置き」


 机の上には書置きがあった。

 見慣れたアヤトの字で書かれている。


『姉さんへ


 姉さんがショックを受けてるから、姉さんが好きなスイーツでも買ってくる!!

 楽しみに待っててくれ!!』


「……っ」


 私は胸がキュン、とした。

 本当にこの子はいつだってそう。

 私を無自覚にキュンって胸を苦しくさせて、私の本性を暴こうとしてくる。

 

 こういう優しい事をしてくれたときはいつも私は――。


『いつもありがとうね、アヤト。今日はいっぱいハグして、ナデナデしてあげるからね』


 って言ってあげたかった。

 いっぱい頭を撫でて、良し良ししてあげたかった。

 

「……本当にもっと早くに気付くんだったわ。お父さんとお母さんも教えてくれればよかったのに」


 なんて今はこの場に居ない両親に悪態をついてしまう。

 きっと、話すに話せなかったんだと思う。やっぱり難しい問題だったから。

 私は古ぼけた手紙を棚の中に戻し、ゆっくりと棚を閉める。


「……アヤトは立派に育ってます。これから先も私が守っていきますから」


 今は居ない本当のアヤトのご両親に伝わるかは分からないけれど。

 私は伝える。手紙の文面からアヤトを愛している事が伝わってきたから。

 

 うん、これで良い。


 私は一つ息を吐き、立ち上がると、玄関が開く音がした。

 それから足音が聞こえてくる。アヤトかな。


 リビングの扉が開かれ、アヤトが姿を見せる。

 手には何かを買ってきたのか、ビニールの袋を持っていた。


「あ、姉さん。どう? 落ち着いた?」

「……ええ。そうね。落ち着いたわ」

「……あれ? 姉さん、何か優しくなった?」


 私の考え方が変わった事で私の纏っている雰囲気も変わったんだろうか。

 だとしたら、アヤトは私の事を良く見てるね。そういうのも、女の子は嬉しいものなんだよ。

 

 アヤトはあ、と気付き、何かが入ったビニール袋を私に見せてくる。


「そうだ!! 姉さんが好きなコンビニスイーツ買って来たから!! 夜ご飯の後に一緒に食べよう!!」

「……ふふっ、そうね。でも、アヤト」

「何?」

「ビニール袋、新しく買ったでしょ?」

「……あ。ば、バレた?」


 私の言葉にビクっと肩を震わし、曖昧に笑うアヤト。

 全くいつもそうなんだから。


「ええ、バレバレよ。全く……今日はしょうがないから許してあげる」

「え?」


 私はゆっくりとアヤトに近付き、少しばかり私よりも高くなった頭を優しく撫でる。


「ありがとう、アヤト。今日の夜ご飯のとき、少しお話してもいいかしら?」

「え? え? う、うん……」

「そう。ありがとう」


 ニコっと優しく微笑んでから私は少しだけ足早に廊下を進み、自室の扉を素早く開ける。

 それから急いで中に入り、扉を閉めた。


……もう、本当にアヤトが可愛すぎる!!


 ああ、久々にナデナデした!! 髪の毛サラサラでずっと触ってたい!!

 興奮する気持ちを抑えられず、私はしばらくの間、ベッドの上で悶絶していた。


 ああ、もう私の弟が可愛すぎる!!!!!!!

 

 

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