第2話 弟の真実

「姉さん、ただいま~」

「あら? おかえりなさい。アヤト」


 ガチャリといつも通り、リビングに繋がる部屋の扉を開ける。

 すると、キッチンでエプロン姿の姉――藤堂ユウカが迎えてくれた。

 姉さんはスリッパを踏み鳴らす音を響かせながら、俺へと近付き、声を掛ける。


「お弁当を出してちょうだい」

「えーっと、はい」

「……それで? 言う事くらいあるでしょう?」


 ふぅっと一つ息を吐き、俺に対して冷たい眼差しを送る姉さん。


「えっと、今日も美味しかったです」

「そう」


 そう言ってから、俺は手に持っていた弁当箱を姉さんに渡す。

 姉さんは特に何かを言う訳でもなく、弁当箱を受け取り、洗い始める。

 それに連動するかのように纏められた黒髪ポニーテールが揺れ動く。


 俺に視線を送るわけでもなく、姉さんはぶっきらぼうに言う。


「今日は宿題くらい出てくるんでしょう?」

「え? な、何で分かるの?」

「貴方と同じ高校に通っていたんだから、今どのあたりかくらい覚えてるわ。ほら、そこでやりなさい。貴方は私が見ていないとやらないんだから」


 その言葉には是非とも異議を唱えたい所ではあるが、俺が言った所で言い負かされるのは目に見えている。

 姉さんと口論をして勝った試しがないから。

 だから、俺は何も言わずにリビングに座り込み、バックの中から与えられた宿題を取り出す。


 量はそんなに多くないからちょっと集中してやれば多分、終わるだろう。


 俺はチラッと姉さんを見た。

 姉さんはキッチンで料理をしている。

 恐らく、夜ご飯を作ってくれているんだろう。


 今、この家の全てを取り仕切っているのは姉さんだ。

 両親は今、互いに仕事の都合で海外に行き、日本には居ない。

 その不在を任されているのが大学1年生である姉さん。


「アヤト、手が止まってる」

「え? あ、ごめん」

「本当にやるまでのエンジンが掛かるのが遅いんだから……」


 ぶつぶつ、と俺に対する意見を言いながら料理の手を進めていく姉さん。

 姉さんはとてつもなく美人だ。時々、平々凡々な俺の本当の姉かと疑うくらいに。


 今も真剣な顔で料理に勤しむ顔が絵になる程の美しさ。

 元々、凛々しい顔つきであると同時に纏う雰囲気は常にクール。

 何処か近寄り難くも、愛らしい不思議な魅力を持つのが姉さんだ。


 話を聞くに、何人もの男から交際を迫られたが、断っているという話を聞いた事がある。


「アヤト」

「わ、分かってるって」


 どうやらずっと姉さんの顔を見ていたのがバレたらしい。

 姉さんはいつもこんな感じだ。

 俺にはとても厳しい。あまり遊ぶ事は許されず、『将来の為』と口酸っぱく言いながら色んな事をさせてくる。

 この宿題も別に今日までではないから今日やらなくても良いじゃん。

 と言ったとしても。


『じゃあ、貴方、明日はちゃんとやるの? そう言ってやらないじゃない』


 と、言われ、俺は何も言い返せない。

 こればかりは俺の不甲斐無さではあるんだけど、ここからの返答を俺は持ち合わせていない。

 だって、真実だから。

 それを姉さんが見越して、いつも厳しく律してくれている。


 時々、厳しすぎる時もあるけど。


「…………」


 沈黙が流れ、ただ、シャープペンがノートを走る音が響く。

 またも、俺はチラリと姉さんを見た。

 姉さんは料理の味見をしてから、薄く笑う。


「……うん、美味しい」


 あーあ、俺もあんなふうに笑って見て欲しいな。

 姉さん、俺を見るとき、いつも仏頂面だもん。

 クール系と言われれば聞こえは良いかもしれないけれど、俺の場合はどっちかと言うと愛想が悪いという方になると思う。

 何故だか、あの料理たちに嫉妬してしまう。というか、俺に向かってあんな優しい笑顔を見せてくれたことなんてもう過去の事すぎて、覚えていない。

 本当に羨ましい。


 そんな妙な嫉妬心を覚えながらも、俺は宿題を進めていく。


 それから、一時間ほど経過した時。


 俺は軽く背筋を伸ばし、時計を見つめる。


 一旦、休憩でもしよう。どうやら、姉さんは夜ご飯の用意を終えて、部屋に戻ったらしい。

 だったら、少しくらい球形しても変な事を言われる事もないだろう。


 俺はその場に寝転がった時、ちょうど近くにある棚が目に入る。

 そういえば。

 俺は身体を起こし、キョロキョロと辺りを見渡す。

 この棚は両親が子どもたちに絶対に開けるな、と言われている棚だ。

 幼少の頃から開けようとすると、両親が怒り、姉さんもお父さんとお母さんが言っているんだから、と絶対に開ける事を許してくれなかった、秘密の場所。

 姉さんに聞いても分からないと言っていた秘密の場所。


 俺はもう一度、辺りをキョロキョロと見渡す。


 うん、誰も居ないな。


 小さい頃からずっと気になっていた。ここには一体、何があるんだろう、と。

 もしかして、お金か? この家にある秘蔵のヘソクリかもしれないし、それとも、何か俺達に向けられたプレゼントなのかもしれない。


 ワクワクが止まらない。


 一度、膨れ上がった好奇心を止める事が出来ず、俺は棚の引き出しの一番上を開ける。

 

「あれ……これは、手紙?」


 俺は首を傾げる。

 一番上の棚の中にあったのは古ぼけた手紙。

 しかも、焼けていて、若干黄ばんでいる。

 それに開けた形跡もあるし、中も入っているらしい。


 俺は再度、辺りを見渡した。

 うん、誰も居ないな。


 俺は手紙の中身を取り出し、折り畳まれた便箋を開く。


『藤堂さんへ


 この手紙が貴方達の手にあるという事は私達はこの世に居ないと思って下さい。

 まずは、謝罪をさせて下さい。本当にごめんなさい。


 私達は流行病で日本に帰る事が許されません。そして、もう医者からも生きて戻る事は出来ない、というお話をされました。

 ……前々から、藤堂さんは言っていましたね。

 行ったら、息子はどうなる、と。本当にその通りでした……。


 けれど、私達はもう、息子に、アヤトに会う事が出来ません。

 

 アヤトを育てる事が出来ません。

 ですから、これが私達、夫婦の最後の願いです。


 アヤトを……アヤトを育ててくれませんか?


 私達に罪はあっても、あの子は何も関係ないんです。


 御願いします……。どうか、アヤトを、御願いします』



 ……何だコレ?


 俺は思わず首を傾げてしまう。

 えっと、手紙の内容的に俺は両親の子ではない、っていう話だろうか。

 何だろうか。そう言われても、全くピンと来ない。

 

 むしろ、え? そうなの!? くらいなものである。


 これは多分、俺が物心つく前から、お父さんとお母さんの所で暮らしていたから。

 そして、愛情をたっぷりと注いで、育ててくれたからなんだと思う。

 だから、ショックという感情は全然無い。


「……これは確かに秘蔵だわ。別に見たからってどうにかなるって訳じゃないけど……」


 生まれは違えど、育ててくれた両親を俺は愛している。それに姉さんだって。

 だから、今更こんなものを見せられて、動揺する俺ではない。

 むしろ、両親から聞かされたとしても。


『あ、そうなの? でも、父さんと母さんは変わらないじゃん』

 

 って、返してしまうくらい割り切っている自分が居る。


「そうか。血は繋がってないのか。しかし、アレだよな。何だっけ? 遠くの親戚よりも近くの他人みたいな。そういう感じだよな。でも、これは仕舞っとこう、うん」

「……何してるの? 貴方……」

「あ……ね、姉さん!?」


 俺が手紙を封筒に入れて、戻そうとしたとき。

 姉さんの声が鼓膜を震わせた。えぇ!? 思考に夢中で全然気付かなかった。

 姉さんは俺に近付き、手から封書を奪う。


「貴方、その棚を開けたの? お父さんとお母さんが開けたらダメって散々言ってたのに?」

「え、えっと、その、気になって……」

「気になってって、貴方、好奇心ばかりで行動していたら、いつか身を滅ぼすわよ?」

「……ごめんなさい」

「全くもう……」


 そう言いながら、姉さんは封書の中身にある便箋を取り出し、中身を見る。


 え?


「え? 姉さん!? 中身見るの!?」

「当たり前でしょう? そうじゃないと、貴方だけが怒られるのよ? だったら、私だって一緒に見た事にすれば、お父さんとお母さんもそんなに怒らないでしょ」

「えぇ……そういうもんかな?」

「そういうものよ。それで? 何が書いてあるのかしら?」


 姉さんは便箋を片手で開き、中身を確認する。

 それからぎょっと大きく目を見開き、口元を抑えた。


「……え? こ、これって、ほ、本当、なの?」

「ね、姉さん?」


 姉さんの瞳が揺れ、動揺が見て取れる。

 いや、これが正常な反応なのか? 俺が疑問を抱いていると、姉さんは俺を真っ直ぐ見つめた。


「あ、貴方はショックじゃない? 大丈夫?」

「え? 俺は別に全然……。だって、その人達の事、全然覚えてないし。物心つく前でしょ、それ。だから、俺と父さんと母さん、それに姉さんはやっぱり変わらないっていうか……そんな感じ」

「そ、そう……あ、貴方が良いなら、それでもいいんだけど……」


 明らかに姉さんが動揺している。

 珍しい。いつも澄まし顔でクールな姉さんが、こんなにもショックを受けてるなんて。

 やっぱり、弟が血が繋がっていなくて気持ち悪いか……。

 そりゃそうだよな。


 いきなり、弟が血の繋がっていない赤の他人なんて言われて、可愛がる事も難しいはずだ。

 自分の事は良いけれど、姉にそう思われるのは何だかショックだな。

 そっちの方が辛い。


「ね、姉さん。もしも、気持ち悪かったら言ってね。姉さんも嫌でしょ? こんなデキの悪い――」

「待って。アヤト」

「姉さん?」

「……少しだけ整理させてちょうだい。それから、またお話しても良いかしら? 凄く大事な事だから」

「え? う、うん……」

「ごめんなさい」


 そう言ってから、姉さんはリビングから自室へと去っていく。

 俺の胸中には不安な気持ちが大きくなっていく。

 いや、でも、それは後で話してからだ。


「よし。何か姉さんを勇気付けられるようなモノでも買ってこよう!! うん!!」


 こういう時、もしも、俺がショックを受けていたら、姉さんは俺の好きなものを作ってくれたり、相手をしてくれたりする。

 だから、俺も。姉さんがショックを受けたときは、姉さんの力になろう!!

 俺はそう思い、荷物を纏め、リビングを飛び出した――。

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