第8話 時には童心に帰って

「ご馳走様でした」


 食べ終わったゴミをコンビニ袋に入れて鞄にしまう。


 場所はナビアプリで調べた近場の公園だ。


 二人でベンチに座っているが、間には透明人間が座っているような距離がある。


「……そんなに急いで食べる事ないじゃん」


 相変わらず、不貞腐れたような調子で花子が言う。


「だって花ちゃん黙って見てるし。気まずいでしょ」

「……話す事とか特にないし」

「遊具で遊んでればよかったのに」

「あのねぇ……。子供じゃないんだけど」

「関係なくない? 大人が遊具で遊んでもいいと思うけど。っていうかむしろ遊びたいかも」


 小さい頃、姉と一緒に公園で遊んだ記憶を思い出す。


 なんとなく懐かしくなり、早霧はブランコに乗った。


「うわ。小さっ! よくこんなのに乗れたなぁ……」


 記憶の中にあるブランコとはまるで別物だ。


 地面は近いし、小さな座面は不安定で簡単に落ちてしまいそうだ。


 何度か地面を蹴ってみるが、中々上手く漕ぐ事が出来ない。


 そんな早霧を花子は面白がるように眺めている。


 フッと鼻で笑い。


「下手くそ」

「結構難しいんだよ? 花ちゃんもやってみなよ」

「ヤダよ。恥ずかしい」

「別に誰も見てないじゃん」


 住宅街の中にぽつんと存在する、割と大きな公園だ。


 周りは街路樹に囲まれているし、平日の真昼間という事もあって他に利用する者はいない。


「……そうだけど」

「お。コツが掴めてきた」


 ぎーこ、ぎーこ、ぎーこ。


 古びたブランコが耳障りな悲鳴を上げながら大きくスウィングする。


「ちょっと! 危ないって!」

「平気でしょ。そんなに重くないし。子供の方がよっぽど危ない使い方してるって」


 二人乗りとか三人乗りとか。


 子供は後先考えず平気で無茶な遊び方をする。


 この程度で壊れるくらい柔な作りなら、とっくに事故を起こして撤去されているだろう。


「あははは。いいねこれ。久々に乗ると結構面白いよ」


 ぎーこ、ぎーこ、ぎーこ。


 揺れる視界、流れる風、加速度と浮遊感。


 少し怖いけど、それが逆に心地い良い。


 そんな早霧を花子はぼんやり見つめ。


「……バカみたい」


 白けた顔でそっぽを向く。


「そんな事言って、本当は羨ましいんでしょ」

「はぁ? そんなわけないでしょ! あたしは大人なのよ?」

「じゃあ怖いんだ。やーいやーい。花ちゃんビビってる~」

「怖くないし! 勝手な事言わないでよ!」


 ムキになって立ち上がると、花子が隣のブランコに座る。


 だが、漕ぎ出す事はなかった。


 急に冷静になったように。


「……やっぱりやめとく。怪我したら困るし」

「ほら、怖いんだ」

「あのねぇ……。あんたと違ってあたしはちゃんと働いているの。怪我なんかしたら困るんだから!」

「たかがブランコだよ? 怪我なんかしないと思うけど」

「……万が一って事もあるでしょうが……」


 言葉とは裏腹に、花子はどこか未練がましい雰囲気があった。


 乗りたいけど乗れない。


 そんな自分に呆れているようでもある。


「じゃあ、怪我しないように僕が付いててあげるよ」


 ブランコを止め、花子の隣に立つ。


 思えば早霧も子供の頃は臆病だった。


 それでブランコに乗れなくて、姉に支えて貰った記憶がある。


「いいってば。……そこまでして乗りたいわけじゃないし……」


 足元に向けて言う花子は、そんな風には見えなかった。


「本当に?」

「……嘘つく理由なんかないでしょ」

「どうかな。人間なんかみんな、四六時中つまらない嘘をついて生きてるわけだし」


 少なくとも早霧はそうだ。


 最愛の姉にさえ、早霧はつまらない嘘をついてしまう。


 姉もまた、しばしば早霧に嘘をつく。


 そうやってみんな嘘をつく事に慣れてしまって、本当の事を言えなくなっていくのだろう。


 花子も心当たりがあるらしい。


 というか、今の所なにからなにまで嘘くさい子だ。


 心当たりしかないに違いない。


 凹んだ地面を見つめて黙り込む花子に。


「責めてるわけじゃないよ」


 励ますような調子で言うと。


「ていうか、ニートの僕が花ちゃんを責められるわけないでしょ?」

「……それズルい。言い返せないじゃん」


「名付けて弱者マウント」


 得意げに早霧は言う。


「ちょっと揺れるくらいならいいでしょ? 落ちないようにちゃんと僕が支えてるから」


 でも――。


 そう言いたげに、花子の瞳が早霧を見つめた。


 そして不意に観念し。


「……わかったってば。遊べばいいんでしょ、遊べば……」

「そうこなくっちゃ。ブランコなんかこんな機会でもなきゃ乗れないからね!」


 早霧だって一人だったらこんなバカみたいな事をする気は起きなかっただろう。


 女装して、別人みたいな自分になって、レンタル彼氏で変な客の相手をして。


 そんな状況だからハメを外したい気になったのだと思う。


「おぉ……」


 軽く背中を押すと、花子が興味深げな声を出す。


 そのまま軽くスウィングして。


「ね? 結構面白いでしょ?」

「……まぁ、思ってたよりはね」


 物足りなそうな様子だ。


「もっと漕いだらもっと楽しいよ」

「え? ちょっと、早霧ぃ!?」


 ぐぃっと背中を押す。


「きゃー!」


 花子が悲鳴をあげ、大きく前後にスウィングする。


「ほら、しっかり捕まってて!」

「だ、ダメだってばぁ!?」

「楽しくない? 嫌ならやめるけど」


 ぎーこ、ぎーこ、ぎーこ。


 無言で何度か揺られると。


「……嫌じゃない」


 悔しそうに花子は言った。


「でしょ? なんか子供の頃にやるより面白くない?」

「……あたしはブランコなんか乗った事なかったし……」

「そうなんだ?」

「……友達いなかったもん」

「僕もだよ。お姉ちゃんと遊んでばっか」

「なにそれ。ズルい」

「いいじゃん。今は僕がいるんだし」

「なっ!? わわっ!?」


 ギョッとして花子の尻が落ちそうになる。


 慌てて早霧は背中を支えた。


「危ないなぁ……。気を付けてよ?」

「あ、あんたが変な事言うからでしょ!?」

「なんか言ったっけ?」


 本気で心当たりのない早霧を。


「う、うぅ……」


 花子が恥ずかしそうに睨みつける。


「こいつ、本当に初めてなわけ?」


 疑わし気に呟くと。


「もういいから! 自分で漕げるし、あっち行って!」

「えー、でも――」

「いいってば! ていうか、なにしれっと身体触ってるのよ! エッチ!」

「触んなきゃ支えられないし。女友達だからセーフでしょ?」

「言い訳しないで! とにかく離れて!」

「はいはい。わかりましたよ」


 よく分からないが怒らせてしまったらしい。


 まぁ、言われてみればいきなり触れたのはマズかったかもしれない。


「……ごめんね。普段から仕事で疲れたお姉ちゃんの身体マッサージしたりしてるから、女の人の身体に触る事なんとも思わなくなってたんだ」


 隣でブランコを漕ぎながら謝る。


 花子は勢いよくブランコを漕ぎながら。


「……別に怒ってないし。ちょっとビックリしただけだから」


 マスクの中で頬っぺたを膨らませていた。


 そして出し抜けに。


「ねぇ。どっちが高く漕げるか勝負しない?」

「別にいいけど……。危ないんじゃない?」

「平気よ。言っとくけどあたし、運動神経には自信あるんだから」

「僕は自信ないなぁ」


 そんなわけで勝負が始まった。


 まぁ、結果は予想通りだったが。


「あははは! その程度? そんなんじゃあたしに勝てないよ!」

「ひー、はー……。無理だってば! こっちは運動不足のニートなんだよ?」

「力じゃなくてコツで漕ぐの! ほら! 揺れに合わせていちに、さ~ん! あははは!」


 成層圏まで飛び出しそうな勢いでブランコを揺らす。


 気が付けば花子はすっかり上機嫌で、早霧よりもブランコを楽しんでいる様子だった。


 しまいには。


「とぉ~!」


 とブランコから飛び降りて、シュタッと華麗に着地する。


「どう早霧? 凄いでしょ!」


 振り向いた花子が得意気にVサイン。


「無茶するなぁ……」


 ゆっくりとブランコを遅くして、呆れながら早霧も降りる。


「これくらい、ステージのポップアップに比べれば余裕だし」

「ポップアップ? なにそれ?」


 そんな言葉、ネットのお邪魔広告ぐらいでしか聞いた事がない。


「あっ……」


 花子はしまったという様子でマスクの上から口を押さえ。


「な、なんでもないから! 今のは忘れて!?」

「誤魔化すんならもっとさり気なくやった方がいいと思うよ」

「わ、わかってるわよ!」


 慌てた様子で花子は言うと。


「それより、次はアレやろうよ」


 回転式のジャングルジムを指さした。


「一度乗ってみたかったの!」

「じゃあ、僕が回そうか」

「やったっ!」


 飛び跳ねて花子が喜ぶ。


 と、不意に味気ない着信音が鳴る。


「ごめん……。仕事の連絡かも」


 テンションの下がった顔でスマホを取り出すと、不自然な程に距離を取り、小声で会話を始めた。


「――はぁ!? 今日は一日オフだって――」


 怒った様子で通話を切ると、しょんぼりした花子が戻って来る。


「……ごめん。いきなりで悪いんだけど……」

「仕事なんでしょ? 僕の事は気にしないで、行ってきなよ」

「……いいの?」


 申し訳なさそうに花子は言う。


「いいもなにもそういう仕事だし。僕は花ちゃんの都合に合わせるだけだよ」

「……そうだけど」


 不意に花子はムスッとして。


「……そんな言い方ないじゃん」


 なにがしかを呟く。


 生憎早霧には聞こえなかったが。


「なに?」

「……なんでもない! じゃあ、あたし行くから……」


 つっけんどんに去っていく。


「行ってらっしゃい。お仕事頑張って~!」


 去り行く背中にエールを送ると、ギクリと花子が立ち止まる。


 そして忌々しそうに振り返り。


「……もう! あんた、絶対初めてじゃないでしょ!」


 決めつけるように指をさしてくる。


「いや、だから、はじめてだって……」

「嘘! 絶対嘘! どうせみんなに同じ事言ってるんでしょ! 騙されないからね! ベー!」


 舌を出し、逃げるように走り去った。


「え~……」


 途中まで上手く行っていたと思ったのだが。


 どうやら何処かでヘマをしてしまったらしい。


 この様子では、次の利用を期待するのは無理そうである。

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