第4話 仕事の誘い

 柔からな手が愛しむように早霧の頭を撫でていた。


 美雨だ。


 いつの間にか眠っていたらしい。


 彼女はベッドの端に腰かけて、早霧の頭を撫でている。


 懐かしい。


 昔から、早霧は悲しい事があると部屋に籠って不貞寝していた。


 そんな時は、いつも姉がやってきて、寝ている早霧の頭を撫でてくれたものだ。


 大丈夫よ。


 早霧はなんにも悪くないんだから。


 そんな風に呟きながら。


「……ごめんね。起こしちゃった?」

「……いいんだ。悪いのは、僕だから。さっきはごめん。本当に……」

「いいのよ。いいの。誰だって機嫌が悪い時はあるものよ」


 慰められて早霧は泣きたくなった。


 惨めだった。


 美雨だって仕事で疲れているはずなのに。


 そんな彼女の手を煩わせている。


 彼女に手間をかけさせて、内心で安らいでしまっている自分に腹が立つ。


「……ありがとう。美雨ちゃんは最高のお姉ちゃんだよ」

「知ってるわよ。最高はちょっと言い過ぎだけど」


 ふふっと、美雨は冗談めかすように笑った。


 それでなにもかもが許されたような空気になった。


 そんなはずない事は早霧だってわかっていた。


 そのまま暫く無言の時間が流れた。


 美雨はペットを撫でるように早霧の頭を撫で続け。


 早霧はペットになったみたいに黙って撫でられていた。


 実際早霧は、ほとんどペットみたいなものだった。


 出し抜けに美羽は言った。


「ねぇ、早霧」

「なに? 美雨ちゃん」

「………………うちで働いてみない?」


 美雨の声音が変わった。


 一発だけ弾の入ったピストルの引き金を引くような、そんな声。


 けれど引かなければ生きては帰れない、そんな声だ。


「……ごめん。気持ちは嬉しいけど。そんな立派な仕事、僕には無理だよ」


 どんな仕事かは分からない。


 が、聞くまでもなかった。


 美雨は若手の企業家で、色んな事業を立ち上げている。


 普通に考えて、コンビニバイトを落とされるようなニートに務まる仕事があるとは思えない。


「そんな事ないわよ。実は前から、早霧を誘おうかと思ってたの。早霧ならきっとできる。働く気はあるんでしょ?」

「………………ないけど。働かなきゃなとは思ってるよ。……どんな仕事?」

「レンタル彼氏」

「……はぁ?」


 むくりと早霧が起き上がる。


「美雨ちゃん、そんな仕事やってるの?」

「そうよ? 恋人派遣業、シンデレラバーズ。結構人気なんだから」

「……僕が言うのもなんだけど、なんか胡散臭くない?」

「よく言われる。でも、需要があるって事は必要としてる人がいるって事でしょ?」

「……そうだけど。如何わしい仕事じゃないよね?」


 なんとなく、エッチな仕事なんじゃないかと感じてしまう。


「ないない! 大事な弟にそんな仕事させるわけないでしょ!? 普通に女の子とデートするだけよ! 世の中にはね、癒しを求める孤独な人が大勢いるの。お酒を飲みながらちょっと愚痴を聞いて貰いたいとか、一緒に遊園地に行って欲しいとか。中には知人に見栄を張る為みたいな人もいるけど。まぁ、理由は人それぞれよ。早霧はあたしに似て美形だし、聞き上手の話上手でしょ?」

「……そんな事ないと思うけど」

「そんな事あるわよ! あたしの双子の弟なのよ! 言っとくけどあたし、これでも結構モテるんだから!」

「いや、顔の話じゃなくてね」


 確かに美雨は美形だ。学生の頃だって学校のマドンナなんて呼ばれていた。大学の頃もミスコンに選ばれたなんて話を聞く。


 双子と言っても早霧は弟なので、一卵性の同性兄弟みたいにそっくり瓜二つになるわけではない。


 そのはずなのだが、なぜだか早霧と美雨はそっくりな外見をしている。


 だから一応、早霧も美形ではあるのだろう。


 早霧としては、「女みたいな顏!」とバカにされる事が多かったので、あまり自分の顔が好きではなかったが。


 鏡を見る度に、自分が失敗作のレプリカのように思えてしまう。


「中身の方も大丈夫だってば! 実際あたし、毎日早霧に癒されてるし!」

「それは美雨ちゃんがブラコンなだけじゃない?」

「そんな事ない――とは言えないけど……。それを差し引いても早霧の性格は女ウケ良いと思うのよね。良い意味でクズって言うか」

「そんな誉め言葉ある?」


 良い意味だろうがクズはクズだと思うのだが。


「それがあるのよ。この業界では特にね。なんて言うか、いい意味で無神経って言うか、図太さ? みたいなのが必要なの」

「……僕ってそんなに無神経で図太いかなぁ……」


 自分では繊細な方だと思っていたのだが。


 なんかちょっとショックだ。


「物の例えよ! とにかく、自然体の早霧でオッケーって事! ね? これなら出来そうでしょ?」

「でも僕、女の人と付き合った事なんかないんだけど……」

「いいのいいの。レンタル彼氏って言っても全員が彼氏みたいな相手を望んでるわけじゃないし。その辺はこっちで早霧向けのお客さんを選んどくから。それにこの仕事、結構儲かるのよ?」

「どれくらい?」

「歩合だから人気次第だけど、リピーターがつけば指名料も出るから、下手なサラリーマンより稼いでる人もいるわよ。上の方なんか月百万以上稼いでる人もいるし」

「へ~。すごいね」


 自分なんかが人気が出るわけがないので、大したことはないのだろうが。


「そう! すごいのよ! 有名人とかお金持ちが利用する事も結構あるし。どう? やってみない? なにかあったらお姉ちゃんが直々にサポートするから!」


 はっきり言って気乗りはしない。


 ニートの上に仕事の世話までさせるなんてお荷物にも程がある。


 けれども、わざわざ姉が誘ってくれたのだ。


 この好意を無駄にする方が躊躇われる。


「……僕でいいなら頑張ってみるけど……」

「本当! やったぁ!? ありがとね、早霧!」


 嬉しそうに美羽が抱きついた。


「お礼を言うのは僕の方でしょ?」


 呆れながら、早霧も美羽を抱き返す。


「ありがとう、美雨ちゃん……。ごめんね、迷惑かけて」

「謝らないで! 早霧がやる気出してくれて、お姉ちゃんすっごく嬉しいんだから! 早速早霧向けに良い感じの案件探しとくから! 期待しててね!」

「ゆっくりでいいよ~」


 早霧の返事もろくに聞かず、美雨は部屋を飛び出した。


 静かになった部屋で早霧は呟く。


「……レンタル彼氏か。僕なんかに出来るのかな……」


 正直、不安しかない。

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