第2話 最愛の姉

「ねぇ早霧。ちょっと話があるんだけど」


 夕食後、早霧が台所で洗い物をしていると、改まった口調で美羽が言った。


「どうしたの美雨ちゃん。デザートのアップルパイ、美味しくなかった?」


 お小遣いをせびった日は、いつもより手の込んだ料理を作る早霧である。


「ちょ~美味しかった! また作って! って、そうじゃなくて!」


 子供っぽい笑顔を見せると、美雨はハッとしたように表情を取り繕う。


「……早霧は、いつまでこんな生活続けるつもりなの?」


 僅かに視線を下げ、言い難そうに言ってくる。


「一生だけど?」

「あぁもう!? 気を使ってるあたしがバカみたいじゃない!? いい加減に働けって言ってるのよ!?」


 ドンドコと床を踏み鳴らして美雨が怒る。


「え~」

「え~、じゃない! 普通の人はみんな働いてるでしょ!?」

「それがそもそも間違ってると思うんだよね。労働は罰って聖書にも書いてるし。人間、働かないに越したことはないと思うんだ」

「このクソニートはぁぁぁぁあああ…………ッ!」


 地獄の底から響くような声で呻ると、美雨が握った拳をブルブル震わせる。


「ていうか僕、年齢=無職だし。働いた経験もなければ働く気もないんだよ? 美雨ちゃんみたいに頭が良いわけでもないし。まともな仕事なんか出来ないと思うんだけど」

「そんな事ないわよ! 早霧だって良い所はいっぱいあるでしょ?」

「例えば?」

「………………えーと」

「ほら出てこない。双子だけど、僕と美雨ちゃんは顏以外全然似てない。美雨ちゃんはなんでも出来るけど、僕はなんにも出来ないんだ。勉強も駄目ならスポーツも駄目、友達だって全然いないし人付き合いも上手くない。僕に出来る事と言ったら、精々美雨ちゃんの身の回りのお世話をする事くらいだよ」


 早霧の顏に自嘲するような影が浮かんだ。


 早霧からすれば、姉の美羽は完璧超人だった。


 学校では常にトップの成績で、友達の多い人気者の生徒会長だ。


 一方の早霧は冴えないボンクラ。


 家でも学校でも、いつも姉の美羽と比較され、出来損ないの弟とバカにされていた。


 立派な姉の出がらしの弟。


 それどころか、姉の有能さに嫉妬する連中の八つ当たりの的にされていた。


 それで早霧は不登校になり、高校も中退した。


 かと言って家にも居場所はなくて、毎日死ぬ事を考えていた。


 そんな早霧を救ってくれたのもまた姉だった。


 両親と大喧嘩して実家を出ていく時も、「いらないんなら早霧はあたしが貰っていくから!」と有無を言わさず連れ出された。


 その後はこの通り、美雨に寄生してニートな引き籠り生活を送っている。


 姉を恨んだ事なんか一度もない。


 恨めしいのは自分の無能さだ。


「……まぁ。美雨ちゃんが邪魔だって言うんなら出ていくけど」


 いつだって、早霧にはその覚悟があった。


 美雨の好意に甘えている自覚はある。


 あり過ぎる程に有り余っている。


 だから、出て行けと言われたらいつでもそうするつもりだ。


 ……あるいは、そう言われる事を望んですらいるのかもしれない。


「そんな事言ってないでしょ!?」


 美雨の表情に悲痛な色が浮かんだ。


「……あたしはただ、早霧に自立して欲しいだけ。あたし以外の人と関わって、自分でお金を稼いで、もっと自分の人生を生きて欲しいの! だってこのままじゃ、あたしが早霧の可能性を潰してるみたいじゃない!?」

「……本当に。美雨ちゃんは優しいね。そんな事思う必要もないのに」

「……思うわよ。だったあたし達、双子の姉弟なのよ? あんたの事は、自分の事みたいに可愛いんだから……」

「……僕もだよ。美雨ちゃん。僕も美雨ちゃんのお財布の事は、自分の物みたいに思ってる……」

「早霧……」


 空気に流されしんみりすると。


「って、なによそれ!? あんたはあたしのお金にしか興味ないわけ!?」


 掴みかかろうとする美雨の手をすり抜ける。


「身体とかに興味があるよりよくない?」

「そういう話じゃないでしょ!? あぁもうあったまきた! 今日という今日は許さないわよ!」

「毎回そう言ってる気がするけど」

「毎回そう思ってるのよ!?」


 ドタバタとリビングで追いかけっこが始まる。


 僕は僕自身よりよっぽどお姉ちゃんの方が大切だよ。


 そんな事、恥ずかしくって言えるわけがない。

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