第四話 巫女、元巫女と関わる

4-1

 みんみんと、蝉がうるさく鳴いています。本当にうるさく鳴いています。滅びてしまえ。

 夏休み。いつものように社の掃除を終えた私は、広げたシートに寝転がっています。正直に言いましょう、ちょっと辛いです。暑い。本当に暑い。ここにクーラーなんてあるはずもないので耐えるしかありません。


「さつき。大丈夫?」

「うう……。ありがとうございます……」


 かんな様がうちわで私をあおいでくれています。かんな様自身はあまり暑さを感じないそうで、平気なんだとか。羨ましいです。ただそれでも、神様にあおがせるのは、と思っていたのですが、


「さつきが辛そうにしているのを見ている方が、いや」


 その一言でお言葉に甘えることにしました。本当にかんな様は優しいです。ついつい甘えてしまいます。


「さつきはプールには行かないの?」

「前の日曜日に、明日香と叶恵の二人と一緒に行きましたよ。次の日曜も行く予定です」


 日曜日だけはここに来ないようになっています。最初は来ていたのですが、夏休み前にかんな様から日曜日ぐらいは休みなさいと怒られてから、日曜日は友達と遊ぶ曜日になりました。それにもともと、日曜日は私があまりここにいられないというのも理由です。

 かんな様の社は学校の敷地内にあります。当然ながら、部外者が入ることは原則禁止です。ただそれだと一般の人がお参りできないということで、日曜日は解放されています。多くの人が朝から晩までこの社にお参りに来るため、巫女であることを隠すように言われている私はそれを遠くから見守ることしかできなくなるのです。それならもう一日休みにしなさい、というのがかんな様のお言葉でした。


「かんな様も行きませんか? 涼しいですよ」

「ん……。興味はあるけど、いい。私はそこまで暑くないし」

「むう……。羨ましいです……」

「ふふん」


 かんな様が得意げに胸を張ります。威厳を出そうとしているのかもしれませんが、私から見ていると頑張って背伸びをしている子供のようにしか見えません。どう考えても不敬なので口にはしませんが。


「ん……。さつき。お客さん」

「へ!? うわわ!」


 お客さん。つまりはここに誰かがお参りに来た、ということ。運動部の朝の練習すら始まっていないので、誰も来ないはずだったのですが。私が慌てて立ち上がって片付けをしようとすると、かんな様はそれを手で制してきました。落ち着け、と言うかのように。


「かんな様?」

「このままで問題ない」


 私が首を傾げる前で、かんな様が正面を見据えます。不思議に思いますが、かんな様がそう言うなら大丈夫なのでしょう。私もかんな様と一緒に視線を投げます。

 少しして、スーツ姿の女の人がやってきました。いかにも仕事ができそうな女性のように見えます。格好良い。ちょっと憧れちゃいます。

 私が陶然と女の人を眺めていると、その人が淡く微笑みました。


「初めまして。あなたが今年の巫女かしら?」

「あ、はい! 神谷さつきです!」


 慌てて立ち上がって挨拶をします。答えてしまってから、後悔しました。これでは巫女だと言ってしまったと同じです。私が恐る恐るかんな様へと振り返ると、かんな様は女の人をじっと見つめていました。私の視線に気が付くと、すぐに教えてくれます。


「十年前の巫女」

「十年前の……、ええ!?」


 巫女の大先輩でした。私よりも先に巫女になって、かんな様と三年間過ごした先輩。それだけで尊敬できます。私が先輩に目を向けると、何故か先輩は悲しげに眉尻を下げていました。


「かんな様はそこにいるのね?」

「え? はい、そうですけど……」


 かんな様は今も私の隣にいます。じっと、真っ直ぐに先輩を見つめています。その先輩は視線を彷徨わせ、小さくため息をついてしまいました。


「やっぱり、見えないか……」

「あ……」


 今の今まで、忘れていました。見えていることが私にとって当たり前で、そうなることを忘れていました。

 巫女でいられるのは中学校在学中の三年間だけ。その後は巫女ではなくなり、かんな様の姿も見えなくなる。聞いていたはずなのに忘れていました。


「神谷さん。かんな様はあなたの隣にいるのよね?」

「はい。そうです」

「そう。それで十分よ」


 先輩はそう言うと、私の隣へと、つまりはかんな様へと深く頭を下げました。


「ご無沙汰しております、かんな様。私のことは覚えていらっしゃいますか?」

「ん……。覚えてるよ。巫女の子は誰一人として忘れてない」


 かんな様が静かにそう言って、私へと視線を向けてきます。私が首を傾げると、伝えて、とかんな様が短く言いました。見えないだけでなく、聞こえないというのも忘れていました……。


「あの、かんな様は覚えていると。巫女になった人は忘れてないって言ってます」

「そう……。ありがとうございます。あなたの巫女として過ごした三年間は、私にとってかけがえのない時間でした。今はもう、姿を見ることも声を聞くこともできないことが、とても……悲しく……」


 先輩の言葉が途切れます。そのまま顔を俯かせてしまいました。体を小さく震わせる先輩と、それを優しく見守るかんな様。ただ、かんな様の表情は、少しだけ悲しげに見えました。

 しばらくそうしていると、やがて先輩が顔を上げました。咳払いして、私へと顔を向けます。私が首を傾げると、先輩は恥ずかしそうに頬を染めて苦笑しました。


「急にごめんなさいね。今日は新しい巫女のあなたに用事があって来たのよ」

「私に、ですか?」


 てっきり、かんな様に会いに来たと思っていたのですが。先輩が言います。


「本当は私の妹が……。前の巫女が来る予定だったのだけど、学校で用事ができちゃったらしくて。それで代わりに私が、ね」

「姉妹で巫女だったんですか!」


 それはとても羨ましいです。私は両親以外にはかんな様のことについて話すことができません。もっとかんな様のことを話したいと思っている私にとって、同じ巫女相手に話すことができるというのはとても羨ましく思えてしまいます。

 ですが、私に何の用があるのでしょうか? 本当なら私の前の巫女の方が来る予定だったみたいですが、それでも意図が分かりません。私が不思議に思っていると、先輩が説明してくれます。


「神谷さんは引き継ぎがなかったでしょう?」

「引き継ぎ?」

「ええ、そうよ。巫女としてやるべきことと、やってはいけないこととかの説明。学校から最低限は聞くでしょうけど、巫女に代々伝わるルールまでは学校も把握していないでしょうし」


 なるほど。確かに私はそう言った引き継ぎを受けていません。今までの巫女の方は先輩から必ず受けていたそうですが、私が入学した時にはすでに巫女の先輩は卒業してしまった後でした。もしかすると、今回のこととはそれを気にした学校の人が手配してくれたのかもしれません。


「まあ、それほど大きなことはないけどね……。神谷さんはもう巫女としてうまくやっているみたいだし、聞くかどうかは任せるわ。聞いたとしても、それに従うかは神谷さんで決めてもいいし。どうする? 聞いてみる?」

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