1-3

「さっつきー!」


 さつきがそんなことを考えていると、後ろの方からそんな声がした。さつきが振り返るよりも早く、背中に重みを感じる。首だけで振り返ってみれば、ショートカットの少女、篠宮明日香の笑顔があった。

 篠宮明日香。さつきの友人であり、陸上部所属。運動神経が良く、さらには成績も優秀。ある種の完璧超人。天は二物を与えずなんて言うが、どう考えても二物以上は与えられている。神様はもう少し公平になるべきだ。少しだけ神様を恨めしく思う。もちろんかんなは別だ。


「何か用? 明日香」


 問うてみれば、いや別に、と首を振られた。


「暇そうだったから声をかけてみた!」

「そっか。絶交だね」

「なんと!? それはいやだー!」


 明日香がさらに抱きついてくる。さつきは苦笑しながら、冗談だよと明日香の腕を軽く叩く。明日香はすぐにさつきを解放して、さつきの目の前に回り込んできた。


「で、さっちーはどうしたの? 眠そうだったけど」

「ちょっと早起きしただけだよ」

「ん? その割にはさつつーは入学式の直前までいなかったよね?」

「ちょっと用事があって……。それよりも変な呼び方しないでよ。しかも統一されてないし」


 社に行っていたということはあまり言いたくないため、話題を変えてみる。それほど気にしているわけではなかったのか、明日香はすぐにそれに応じた。


「中学校入学を機に、みんなに新しいあだ名を考えようと思っているのだよ。今はそう、迷走中!」

「だめじゃない」


 明日香は人のあだ名を考えるのが好きなのだが、未だに定着したことはない。今回こそはと思っているかもしれないが、まあ無駄な努力になるだろう。


「今度こそ、私がみんなのあだ名を考えるのだ!」

「あー、うん……。がんばってね」


 さつきは苦笑しながら肩をすくめた。




 さつきのクラスの担任は男の教師だった。まだ若い先生で、おそらくは三十にはなっていないだろう。きっちりとスーツを着て、どこか緊張しているように見えた。


「今日からこのクラスの担任になる島崎幸司だ。担当科目は国語。よろしく」


 教師のそんな短い挨拶の後、各自簡単な自己紹介ということになり、順番に挨拶をしていく。名前と生年月日、趣味や好きなものなど、答えるものは人それぞれだ。さつきは無難に好きなものだけを答えておいた。

 自己紹介の後は、明日からの予定が書かれたプリントが配られる。その後はすぐに解散となった。さつきも荷物をまとめて帰ろうとしていると、


「ああ、悪いけど、神谷は先生と一緒に来てくれるか?」


 島崎先生からそう言われ、断る理由もないのでさつきは頷いた。先生からのこうしたお願いはほとんど強制のように思うのは自分だけだろうか。


「入学初日に何をやらかしたの?」


 さつきの席まで来た明日香が聞いてくる。


「さあ……。何もやってないはずだけど」

「何もやってないのに初日に呼び出されるなんてあり得ないでしょ。まあ何かあったら相談しなさい」

「うん。ありがとう」

「全力で逃げるからね!」

「おい」


 二人で笑顔を交わす。ひとしきり笑ってから、明日香は手を振って教室を出て行った。それを見送ってから島崎先生の元へと向かう。ちょうど先生の準備も終わったようで、いくつかのファイルを小脇に抱えていた。


「行くか」

「はい。あ、何か持ちましょうか?」

「はは。大丈夫だよ。その気持ちだけ受け取っておこう」


 先生が笑いながら歩き出す。さつきもすぐにそれに続いて、教室を後にした。




 先生に案内されたのは、職員室だ。島崎先生に続いて職員室に入ると、大勢の先生がこちらを見てきた。どこか興味深そうな視線だ。そして、何故か畏れられているような、そんな気がする。


「神谷。今日は時間はあるか?」

「え? えっと、一応ありますけど、その、行きたいところが……」

「社か?」


 島崎先生の言葉に、さつきは目を剥いて固まってしまう。何故、この人はそれを知っているのだろう。確かに社を訪ねる学生もいるらしいが、島崎先生の先の言葉は適当に言ったわけではなく、確信している声音だった。


「そう警戒しなくてもいいよ。少し待っていなさい」


 島崎先生はそう言うと、側の席からいすを持ってきて座るように促してくる。断る理由もないので、さつきは礼を言っていすに座った。

 改めて職員室を見る。教室三つほどの広さの部屋で、いくつものデスクが並んでいた。そして大勢の先生だろう大人が何か仕事をしつつ、こちらをちらちらと盗み見ている。興味深そうな視線に、さつきは萎縮してしまいそうになった。


「ほれ。これをやろう」


 島崎先生が缶を渡してくる。受け取ってみてみると、オレンジジュースだった。


「ありがとうございます」

「ああ。もう少し、な」


 いつまで待てばいいのだろう。疑問に思いながらも、オレンジジュースを少しずつ飲みながら、さつきは気長に待つことにした。幸いまだ昼食時にもなっていない。今日はまだ時間はある。

 少しずつ飲んでいたオレンジジュースを飲み終えるまでに、大勢の先生が戻ってきた。おそらくここで働く先生全員が戻ってきているのではないだろうか。このままここにいていいのだろうか。そう思っていると、こちらへと歩いてくる先生がいることに気が付いた。

 校長先生だった。

「急に呼び出してすまないね」

 どうやら呼び出したのは校長先生らしい。さつきは慌てて立ち上がると、姿勢を正す。校長先生は少し目を丸くすると、朗らかに笑った。

「楽にしていい。さて、先生方。少し作業の手を止めていただいてよろしいかな?」

 先生が一斉に動きを止めてこちらへと視線を向けてくる。何十もの視線がさつきへと突き刺さり、さつきは少し後退ってしまう。校長先生が続ける。


「この子は神谷さつきさん。かんな様に選ばれ、巫女となった。便宜を図っていただきますよう、お願いします」

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